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小学校時代「同じクラスなのだからみんな仲良く」という空気に馴染み切れなかったので、そのころにこういうことを教えてくれる大人がいたら良かったな、と思う。
今はあまり同調圧力を感じずに、自分は自分人は人と思って生活しているけれど、それでもたまにストレスを感じるのは「周りの人に同調できない自分」に劣等感を感じていたのかもしれない。
でも、すべてを同じように感じる人はいないわけで。
合わない人とは適度な距離感を取り、フィーリングが合う友達でもすべてを受け入れてくれることを期待しない、という姿勢はとてもしっくりくると思った。
社会人になって、本当に多様な人と接しなければならないけれど、その人その人に合った距離感があると考えて接していきたい。そして、「苦味を味わうことを通して味わううま味」を実感したい。
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友だちは大切。なのになぜ傷つき悩むのか。人と人のつながりを考察し、合わない人とはどうするか、いじめはどうしていけないのかといった問題をわかりやすく解説します。人間関係の距離感覚をみがいて上手に人とつながるための一冊。
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中高生向けに書かれた本だけど、教育者や親にも響きそう。
クラスみんなと仲良く…なんて出来るわけないって、私は子供の頃から思ってたので、協調性のない子だと言われてたけど、この本を読んで救われた。
仲良くならなくても、それぞれの人と、一番いい関係を保てる距離を見出すことって、もっと学校で教えてもいいと思う。
今では、会わないのが一番仲良くいられる友達って人も何人かいます。
学校では、みんな仲良くと教えるより、ケンカやイジメをしないようにと教えたほうが良さそうですね。
なぜ人を殺してはいけないかの理屈、腑に落ちました。
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懐かしい歌「一年生になったら、友達100人できるかな」当時は何とも思っていなかったが、改めて考えると強烈なメッセージだ。筆者はまさにこれに対してずばり”幻想”であると指摘する。そして、そうした発想から解放されなければならないとも説いている。
また「熱心さゆえの教育幻想」の章も興味深い。「生徒の記憶に残るようなりっぱな先生をめざすことはない」のだ。教育の本質をついていると思う。確かに生徒に一番大きな影響力をもつのが先生ではあるが、それが人物としてではなく「教育環境」として子どもの成長にかかわることが大切だということだ。
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中学高校生に対しての本だとはおもうが、大人もおもしろい。
まず、「みんなと仲良くしよう」とはいうけれど、世の中そんな風にはできてないという身も蓋もない話からはじまる。
そして一人では生きていけないとはいうけれど、実は現代社会は生きて行くだけでは生きていけちゃう。
でもだからといって一人で生きていけばいいという話ではない。
一人でも生きていくことができてしまう社会だから、人とつながることが昔より複雑で難しいのは当たり前だし、人とのつながりが本当の意味で大切になってきている。
人は一人でも生きていけるが、一人だけではなんとなく空しい
コミュニケーション阻害語としてKYとかキモいなどを使わないよにととく。
これをやると、深みのあるコミュニケーションができないからだ。簡単なラベリングは注意。
これは仕事でも同様。
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かなりやさしい語り口でありながら、結構難しいことを書いてある。中高生だったら、かなり時間をかけてじっくり読まないと内容を把握できないんじゃないかな。
並存性、なんてまったくその通りなんだけど、自分だけこの概念を理解したところで、決して世界が住みやすくなるわけではないってのがネックなんだよなあ。まあ、学校という特殊社会は難しい。
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特に若者たちの、「友だち」をたくさん作らなきゃならん、仲間はずれにならないようにしないといけない、というような問題、本書はもう10年前の一冊なので、最近ならSNSでのつながりの問題でしょうか、そのようなところを端緒に、現代の人と人とのつながりについて、考察した一冊でした。著者が社会学者ということで多少小難しいところがありますが、まぁそれなりに読みやすい内容でした。著者の主張、特に教育現場とか家庭に関する主張などは自分にとっては普通に感じていることで、そのまま受け入れられました。読書は大事ですね。
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100パーセント自分のことを理解して受け入れてくれる、そんな存在は幻想でしかない。そんな“他者”はいない。いたならそれは“自分”であり、“他者”ではない。人と人は完全には分かり合えないし、完全に受容してくれる存在はいない、それを分かって認めることから友情も恋愛もはじまる。
いくら頑張っても認められないこともあるし、人には限界もある。みんな仲良くはできないし、だけれども苦手な人ともうまくやっていかなくてはいけない。学校では教えられず、無限の可能性を信じさせられていることは問題である。
もやもやと常日頃感じていながら形にできないでいた認識や考え方が、明確に言語化されていて、その通りだと思いとても共感できました。人間関係、友人関係に対して呪いが解ける本でした。
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中高生にも読ませたいけど、教師にも読んでほしい。
前向きで努力家の教師ほど「クラスの一体感」「みんなで団結」みたいなことをことあるごとに言うから。そういう感覚を自分が中高生の時に感じたからこそ教師を志したのかもしれないが、そうは感じていない生徒が必ずいるということは忘れがちになる。感じていない生徒を目の敵にしてしまう教師もいる。
自分が感じられないタイプだったので、こういう本に若い時であっていたら救われただろうなと思う。感じないことは「悪である」という感覚が、劣等感となっていたので。
社会に出ると、「ルール関係」と「フィーリング共有関係」の区別がついて、楽になったけれど、中高生は、最悪の場合死を選ぶこともあるから、早いうちに知っていた方が良い。
私は、もう他人には「ルール関係」しか求めない。たまに「フィーリング共有関係」ができればラッキーだけれども、敢えて求めない。それで十分幸せである。大人になるとこんないいこともあるから、死ぬんじゃないよ、と伝えたい。
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我が子はマイペース過ぎるので当てはまらないけれど、友人の小学生の娘さんが「学校で周りと合わせるのが苦痛だけど孤独も怖い」と悩んでいるそうなので薦めてみた。少しでも気持ちが楽になるといいんだけど。
内容は子どもだけでなく、親や教師にも読んでほしい話が含まれていて、「いい先生」とか「友だちが一番大切」とか、それって思い込みや建て前だなあと気付かされることも。「みんなと仲良く」なんて自分もやらないし、子どもの頃も出来なかったくせについつい言ってしまいがちなので反省。
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発売した当初に買って長らく積読してしまっていたが、ようやく読了。読むと少しだけ、人間関係というものから解放されたような、楽になる、そんな感覚を味わえる。
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人との距離感。
大事ですよね。接客業してると特に。当たり前ですが。
この本は中学生?を対象に書かれてるみたいなのでまず読みやすいです。大人が読んでも共感できること多かったです。
同調圧力、フィーリング共有関係。
確かに学生の時は多少僕もそういうの気にしてたと思います。
最近その辺を気にしてなさ過ぎてちょっと問題かなと思ったりもしますが…。
「1年生になったら友達100人できるかな」とかまさにですよね。
まるで友達多くなかったらダメかのような。
友達少なかったら問題あるかのような。
学校に通う前からもうそういう考えを押し付けてる気がします。
実際友達と呼べる人なんて5人いるかいないかぐらいだと自分は思ってます。
自分は友達1人って人もいると思います。
全然良いと思います。
ただそういう「友達」と呼べる人に対してもあくまで他者ということを前提に付き合うことが大切です。
題名が友達幻想なのでちょっとショッキングですが、友達を作ることなんて無意味という内容ではありません。
友達と呼べる人に対しても自分のことを100%受け入れてもらえるという考えをやめよう、他人との距離感をもっと考えようと主張している本です。
学生の方や組織の中で働く方々にオススメかと。
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菅野仁『友だち幻想』ちくまプリマーブックス,2008年
中高生むけに書かれた「人づきあい」の基本が書かれた本だけれど、親や教師に対する提言も書かれていて、ためになる本だと思う。ぼくが読んだのは21刷だから、かなり読まれている本じゃないかと思う。やさしく書いてあるので、すらすら読める。一時間とか二時間でよめると思う。課題図書にするのもいいかもね。
この本のエッセンスは、友だちだって、親だって、先生だって「他者」ですよということだろう。で、みんな仲良くという「共存」はできればラッキーだけど、明治から昭和の自然村に一つだけの学校ならともかく、偶然そこに住んでいるだけの集まりである現代社会じゃ、「共存」はラッキーでしかなく、意見や感覚がちがう「他者」と「並存」していくことが大事だということになる。
で、「並存」をするにはルールが必要だということになる。ルールは絞り込む形でつくるのがよく、増設する方向でつくると、束縛が強くなり、脱落者がでるそうだ。こうしてつくった最低限のルールを守ったうえで、他者との適切な距離をとっていくのが大事ということになる。
イジメは攻撃だからルール違犯である。他人をいじめれば、集団の内部に「いじめてよい」という環境をつくりだすから、いじめたものも、いじめられるということで、集団の関係が不安定になり、悪くすれば総崩れになる。相互の安心のために条約のように、ルールを作るんである。シカトも一種の攻撃だから、どんなひとでも、アイサツくらいはするのがルールである(まあ、まともな会社と同じである。最近の「会社」じゃ、おかしなやつも多いらしいが)
教師はいわゆる「熱血」で生徒の感情をいじくるのはまずいことになる場合が多く、クラスの基本的ルールを守らせるのが大事だということになる。「教師は通りすぎられる存在でよく」、「記憶にのこる先生」をめざすのは満塁ホームランねらいなんだそうだ。
親も、子どもが小中学生までは、言葉ではなく成熟の度合をみきわめながら、自立できるように関わっていくというのが必要だそうだ。包摂(過保護)にすぎたり、生意気な口をきくようになったから「手に追えない」とするのではなく、まあ、よくみて関わるのが大事とのこと。
そして、人間関係は味わうものだということが書かれている。自分と相手とのちがいを時間をかけて納得していくなかで、「この人とつきあってよかった」と思えるとよいとのこと。
ほかにも失恋とか、挫折とルサンチマン(怨念・嫉妬)などにも提言がある。
コミュニケーション阻害語、「ウザイ」(理由ナシに拒否感を表明)とか、「ていうか」(相手にレスポンスせずに自分の言葉をつなげていく)、「カワイイ」「ヤバイ」(物事を大ざっぱに理解した気になる)などについても、これらを使わないように心がけるだけで、他者との関係をかみしめられるようになるらしい(著者の娘の例)。
こういう言葉に表される「ノリ」でつながっていく人間関係は希薄で、いつでも崩れる。味わい深い人間関係をつくるには言葉で細部を考える力が必要で、読書が大事だということである���
論理学的にいうと
同じように感じるなら→つきあえる(順)
から
同じように感じないなら→つきあえない(裏)
を導いてはいかんということであろう。同じように感じなくてもつきあっていく方法はいくつもある。そのときに基本的なルールは守ろうよということ。
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友達に限らず他者とのつながりをテーマとした本。
クラス運営について書かれている箇所に納得と共感。
教員は子どもの内面をいじる必要はないし、いじることの危険性を知るべきだと言うところは本当にその通りだと思う。
「教師が子どもを変えた(変えられる)」なんて危ない幻想をもっている教員は未だに(ますます?)多い。
そして、そういう教員が、クラスの「同調圧力」をつくる一端を担っていることが往々にしてある。。
全体としては、他者を他者として認識し、互いにマナーを守って心地よい距離で関係を築いていきましょう、というとても全うかつ当たり前な内容。
物事を考えるときにキーワードで整理することの大切さを再認識できた。
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人間関係はフィーリング共有性かルール共有性。
フィーリング共有性でなければならないと思いがち
全員とフィーリング共有性は無理
ルール共有性の付き合いも有り得ると割り切って、自分を強迫しない。
限界があることを知る。割り切ることも必要。
本能的にフィーリング共有性を望んでしまうけれど、割り切って付き合うことも学ぶ。
相手に自分と同じであること、全てを受け入れてくれることを望まない。
具体的に表現されていて、星4
ルール共有性と割り切ることが、唯一の正解かどうか少し疑問が残る。
ルール共有性は公、フィーリング共有性は私
という感じか
ルール共有性であっても、自分からは暖かいものを醸し出せたらいいと思う。でも相手から振り向いてもらおうと期待しない。
ルール共有性からフィーリング共有性へは、フレキシブルに繋がっているのだろう。