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韓非子関連の本は初めて読んだけど儒家思想から説きおこしていてなかなかよい。ただ韓非子の思想自体はあんま好きじゃないかも
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[ 内容 ]
紀元前三世紀、韓の王族に生まれ、荀子に学んだ韓非は、国を憂えて韓王を諌めるも容れられず、憤慨して著述に向かう。
その冷徹な思想は秦の始皇帝をも魅了し、「この人物に会えたら死んでもよい」と言わしめた。
人間の本性は善か悪か。
真の為政者はいかにあるべきか。
『韓非子』五十五篇を読み解くのみならず、マキアベリ、ホッブズらの西洋思想と比較して、いまなお輝きを放ち続ける「究極の現実主義」の本質に迫る。
[ 目次 ]
第1章 殷周から春秋戦国へ(神の時代の終焉;動乱の時代へ ほか)
第2章 模索する思想家たち(天・天命は存在するのか;人の性は善か悪か)
第3章 韓非と法家思想(韓非と『韓非子』;人は利で動く ほか)
第4章 韓非思想の継承と変形(統一国家の統治者たち;予防刑と現実主義)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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国内の悪を阻止し、秩序を安定させるため法や刑罰を厳重にすべきだ、人間は利によって動く生き物であり、それは血縁、君臣の関係であっても例外ではない、などと冷徹に現実主義を説く韓非子の思想の解説書。キーワードは「不信」と、「打算」。他人を疑うのは恥と考える傾向のある多くの日本人には耳が痛くなる思想かもしれない。
儒学を国学とした漢の武帝の政策にすら、韓非子の思想が窺えます。韓非子の思想は混沌とした時代に、強力な秩序を打ち立てて、社会を引き締めるのには有用だった。「信賞必罰」という四字熟語がお似合いの諸葛孔明にも大きな影響を与えたとされる。
韓非子の師であった荀子についてはともかく、春秋戦国時代の思想について長々と語られています。長すぎのような気もした。いずれにせよ、韓非子の思想の奥深さを知る契機になったのが本書である。韓非子の思想については知識がまだまだないので、もっと詳しく知りたいと思った。
直接本書と関係ないが、商鞅、韓非子、李斯、と秦の天下統一に貢献した法家(商鞅は厳密に言えば法家とは違う気が、思想が似ているため)は皆元々仕えていた国を追われて秦にやってきた。儒学が浸透していた他国に対し、儒学が広まっていなかっため、蛮族扱いされていた秦。だからこそ秦が法家思想により富国強兵政策を採り、天下統一を成し遂げるのに成功したことに、歴史の奇妙さと興味深さを感じた。
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紹介文に「その冷徹な思考は秦の始皇帝をも魅了し・・・」「究極の現実主義」などと書いてあって興味を持った。今まで全然知らなかったのだが、読んでびっくり、ロジカルですばらしい考え方だ韓非子は。これは著者の説明もうまいかも。
「君主は法に従って、臣下は法を師として、あたかもメジャーをあて、量を測るごとくに案件を粛々と処理していけばよい。そこには、非凡な政治的手腕、行政的力量は要求されない。」
「韓非の主唱する法による統治は不条理な法適用、残酷な刑執行、恐怖政治では決してない。きわめて理にかなった、現実的な考え方であり、むしろ理屈に合わず、情に流され、それゆえ論理性に欠けるのは儒家の徳治主義なのかもしれない」
このように、性善説はお話しにならず、せめて性悪説を、理想的には韓非思想をということになるのだが、現代の企業ではまるで逆になってしまっている。社員を信じる性善説的経営はすばらしく、管理ばかりの性悪説経営はダメと言われる。現代の感覚が間違っているのではないか?自分もサラリーマンだから厳しいのは嫌だけど、韓非子のようなルールにのっとった信賞必罰の経営こそが目指すべきものではないかと思う。
最後に、韓非子は現実的で完成度が高すぎるが故に、本音と建前という新たな現実主義を生み出したという皮肉もおもしろかった。
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韓非は性悪説の立場に立っている。非違の行いを礼による徳化で矯正するとした 荀子の考えに対し、法によって抑えるべきだと主張した。
徹底した現実主義者で現代の多様な価値観の中でも十分通用する内容をふくんでいる。
自分の主張が自分の国に受け入れられず、敵対する秦の始皇帝に重用され、秦が大陸を統一、大帝国を打ち立てたという歴史はなんと皮肉なことだろう。
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サブタイトルにある「不信と打算の現実主義」がそのまま韓非子の思考。
性善説と性悪説は聞いたことあるけど、韓非はそこに与せずそんなことよりも人間の性に注目し、自分に利益がある方に行動すると定義する。それが正だとも悪だとも言わない。はなから人間など信用しない、とでも言っているようなドライで分かりやすい思考。現代社会にこれがどう活かされるか分からないけど、どこかで見聞きして知った(きっかけを覚えてない)この思考、それで買って積んであったこの本。難しく読みにくかったけど知れてよかった。
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まず序文にある古代中国における法医学の現代性に驚く。
人間とは何ぞやという点は無視して、法の整備で社会を回していこうやという韓非子の先見性にも驚かされる。
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韓非→始皇帝→焚書坑儒。この図式は儒家にとって嫌悪するものでした。漢籍を学ぶもの(儒家)は韓非をことさら貶めてきました。
韓非子のなかに老子が収録されているのも、ことさら法家(韓非子)の宣伝工作のようなものだと批判してきました。
老子、韓非子の本文を精査するのではなく感情論が先行していたのではないでしょうか。
著者は、老子と韓非の結びつきを明らかにしました。つぎのように述べています。
「萌芽の措置」という韓非の主張が老子に思想的根拠を見つけたこと、ここに両者の交渉の一端があったのだと考えたい。(第三章 韓非と法家思想)
漢籍から学問へ、中国古代思想の研究が根をおろしたようです。
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韓非子の思想について、孔子を始祖とする儒学との比較を中心に丁寧に解説している。
現実主義と理想主義の2元的体制は韓非子の思想が変形したものであり、現代の中国にも連綿と受け継がれているという指摘は非常に説得力があり、面白い部分であった。
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韓非子そのものというより、性悪説、性善説の主義主張を参考にわかりやすく書かれている。
人を信頼せず、評価で縛るやり方は現代のビジネスの参考にはなるが、全てではないと思う。
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紀元前三世紀、韓の王族に生まれ、荀子に学んだ韓非は、国を憂えて韓王を諌めるも容れられず、憤慨して著述に向かう。その冷徹な思想は秦の始皇帝をも魅了し、「この人物に会えたら死んでもよい」と言わしめた。
『韓非子』五十五篇を読み解くのみならず、マキアベリ、ホッブズらの西洋思想と比較して、「究極の現実主義」の本質に迫る。
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焚書坑儒を経て、紀元前3世紀の考え方が現代に蘇る。その時代にそれぞれの考え方がどう、政治、経済、学問として捉えられてきたか?悠久の時を経て、残っている考え方を知るには良い書物だと思う。両端を見て、今の自分のポジショニングを考えさせられる一冊。