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子供の頃テレビでサグラダファミリアを見たとき、この建築物が何なのかもわからないのに『いつかこれを見に行きたい』と思うぐらい衝撃を受けた。
それから十数年後実物のサグラダファミリアを見上げたとき、あの時以上の衝撃を受けた。 そしてこの本を読んだ。『完成したらまた行こう』と決心した。
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言葉にならない感動。エピローグは嗚咽を堪えて読んだ。大きなものに生きる。自分を無にして。宗教を小馬鹿にする人がいるが、宗教が時代を越えた人間をつくるのだ。日本語として美しい本でもあった。
・モノをつくる人間をダメにする確実な方法は、全体を考えさせず、細かい作業をひたすら義務としてやらせること。
・近代とガウディ建築の違い
・自分の能力を超えるようなひらめきは、大きな疑問を抱え、疑問の海に叩き落とされ、何かを掴もうと必死でもがいているときに初めて得られる。
・宗教への本気の帰依
・どんな偉大な息子よりも、その母親は偉大なものです
・大きなものをつくる上で本当に苦労するのは、いかに人の力を借りるかということです。
・人間が平穏に生きるというのは、それだけでも大変なことです。
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ガウディはずっと気になる存在で、断片的に彼についての情報は得てきたけれど、この本を読んで、彼の人となり、サグラダファミリアへの想いを全体としてつかむことができた。
デザイン、機能、象徴と、彼の作品には全てが考慮されている。今読んでも全く遜色がないし、それどころか今の時代のものづくりにも十分に学ぶところがあると思う。やっぱり彼は天才だった。
それと同時に、著者である外尾さんのガウディのメッセージを読み取る力、さらにガウディの想いに応えようと必死に模索しながら最高のものをつくりあげようとする姿に心打たれた。
石の中に入ってしまったかのように没頭して作業する彼の姿は本当に天職のようだし、本当の幸せとは何かも教えていただいた。
ぜひ完成した暁には、サグラダ・ファミリアを見に行きたい!
文章もとても分かりやすく、技術の知識がなくても、十分に楽しめる。
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スペインにあるサグラダ・ファミリアの彫刻家として30年以上現地で働く著者が、ガウディの生き方やガウディが建築に込めた思いを語ったもの。
今月春休みを利用して初めてスペインに行き、サグラダ・ファミリアも2時間以上かけて見た。生誕の門のエレベーターで上に行ったりもした。この本を読むと、生誕の門のハープを奏でる天使の彫刻や、柱の下の亀の彫刻にどんな意味があるのか、など知ることが出来た。それに著者が「過ち」として書いている、受難の門のデザインはガウディの考えたものとは違う、ということは知らなかった。そして何よりも、決してガウディが生前、万人から認められていた天才建築家という訳ではなく、ライバルがいたことや、周囲の死などの挫折を経験していることも分かり、身近に思えてくることが、この本を読んだ収穫としては大きいと思う。建築に多少なりとも興味のある人なら、ぜひ読んでみるべき本ではないかと思う。エッセイのように書かれていて、読みやすい。さらに、ガウディはもとより、こうやって単身スペインに渡って、自分の道を切り開いて活躍する人もいるんだ、ということが分かる。
この本で印象的な部分をいくつか挙げると、「ものをつくる人間をダメにする確実な方法は、全体を考えさせず、細かい作業をひたすら義務としてやらせること」(p.43)の部分で、「そうするともう、現場での新しい発想が生まれてこなくなるだけでなく、いかに手を抜くかということばかり考える人が現れ、図面通り一〇〇パーセントのものすらできなくなる」(同)という部分は、実体験としても共感できる部分であった。次は幾分感覚的なところではあるが、「人間には常に完全には満たされないものとしてある。それでも謙虚に、豊かな実りを目指し、知恵を養っていく。時間を超え、空間を超え、多くの人が言の葉を交わしていく。それが文化であり、宗教であり、科学であり、人間にできる大切なことではないでしょうか」(pp.151-2)という部分は、石を彫るという作業をひたすらに続けることで、こういうことが考えられる境地に達するんだという意味でも、印象的だった。同様に、人間の幸せについて語られた部分で、人間の幸せの一つは、「どれだけ何かを愛し、その自分でないもののために生きられているかということ」(p.257)というのも、ありきたりではあるが、納得した部分であった。(15/03/--)
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最も印象に残ったのは、ガウディが、職人たちに、図面ではなく、模型により、コンセプトを理解してもらい、細部は、職人の技術に任せたということ。だから、ガウディなきあとも、その意志を引き継いだ職人たちは、サグラダ・ファミリアを、つくり続けることができた。持続可能な事業をつくるための、そのヒントとなる一文だった。独りの力には、限界がある。自分の世代では、到底なしえない壮大な計画を前に、他者はもとより、まだ見ぬ存在にも、頼ることになる。ガウディは、職人を大切にした。職人の意見を取り入れ、仕事をすすめた。自分のやり方に固執せず、良いと思ったものは、取り入れていくそして他者を巻き込んでいく…。それにより、関わる人の中で、他人ごとが、自分ごとになっていく。ちっぽけな、個人の手柄やこだわり、を手放したとき、得られるものは、とてつもなく大きいはずだ。
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バルセロナに行って来ました。
ガウディをいっぱい、いっぱい見て来たので、今、ブログに書いているのですが、この本を参考にしています。
行く前に読んでおくべきだったか???
読了したら、また追記で書きますね。
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新書は内容薄っぺらいものが多いですが、これは当たり。
製作者本人からの言葉は重いし、貴重。
内容もガウディの人柄やバルセロナの歴史についての記述もあり、これから教会をみにいくひと必読の書。
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サグラダファミリアを見に行く前に読んだ。
芸術的な外観で、細かな装飾もすごい。ガウディの思いも汲みとって、大勢の人の熱意と技術で作られているのだと伝わる。
見た目がすごくインパクトがあるからそこに目が行きがちだけど、もちろん内部もサグラダファミリアにしかない空間ができていて、緻密に考えられて作られているからこそ成り立っている建物だということが分かる。
用強美という言葉を思い出す建物の1つ。
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サグラダファミリアの彫刻責任者である外尾氏のノンフィクション。
これを読んでから行ったので、サグラダファミリアの見方が違ったと思う。外尾氏はガウディの思い描いたものとは違うと感じてる受難の塔を遠回しに非難してるっぽいけど、実際に見たら、シンプルにキリストの受難を描いているもの逆に伝わってきたなと思った。
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読み終えた今、兎にも角にも拍手喝采を送りたい。
日本人でガウディについて語るのにこれ以上相応しい人がいるだろうか。いるわけがない。
筆者は1978年以来、彫刻家としてサグラダ・ファミリア建設に携わってきた、正真正銘作り手の一人なのだ。
本書はガウディやサグラダ・ファミリアについてその時代背景も含めて必要十分に語られているだけでなく、筆者のサグラダ・ファミリアに対する真摯な姿勢、彫刻にかける情熱、そしてガウディへの畏敬の念で溢れている。
前半でガウディ建築の幾何学的な合理性を学び、「機能とデザイン(構造)と象徴を同時に解決する」という天才の天才たる所以に舌を巻くのだが、ガウディ自身やサグラダ・ファミリアの数奇な運命について語られる後半では、尊い精神性の世界に足を踏み入れたようだった。
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素晴らしい本である。バルセロナ旅行の準備として購入した。サグラダファミリアの建築に直に携わっている外尾さんだから語れる深い話が全編にわたっている。本を読むだけで感動させられる。本物のガウディの建築物を目の前にしたらどんな感情が湧くのだろうか。ゆっくりとバルセロナを観て廻りたい。
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ガウディを知るに好適な書。サクラダファミリアで30年あまり石を掘り続けた日本人によるガウディ論。ある意味ガウディに囲まれて生きてきた人の語る言葉だ。サクラダファミリアの興亡を目で見てきた人でもある。この本を読むとサクラダファミリアを見に行きたくなる。石の聖書をこの目で見てみたい。
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幸福の定義は人それぞれだけど、外尾さんの幸福論がわたしはとても好きだと思いました。
ガウディは死に方も含め、とっても幸せだったと思う。
そして外尾さんもまた幸福だろうなと勝手に思ってしまいました。
いつか、ガウディが聞きたかった音色が響くことを願います。そして、たぶん毎日変わりゆく音色を聴いているんだろうなと思った。
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最後の方に行けば行くほど面白かった。p.258がすごく胸熱で鳥肌がたった。確かにこれは物作りをしたくなる本だ!!!でも、読めば読むほど、ガウディは人間離れしてるし、建築家や彫刻家は人間なのに私には想像もつかないようなものを作り出していて、ガウディも含め物作りをしている人たちと私がいかに実力が離れているかを実感させられた。
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バルセロナを訪れた際、サグラダ・ファミリアで外尾さんが製作した生誕の門を実際に見ることができた。その時はガウディの設計に従い製作されたものだと思っていたが、この本を読んで、模型も設計図も十分に残されていない中で、ガウディが残したメッセージを必死で読み解き、欠けていたピースを埋めるように、外尾さん自身が考え、つくりだしたものだと知った。ガウディという建築家が目指したのは、サグラダ・ファミリアという圧倒的な建築を、そこに関わる一人ひとりの情熱が支えることだったのかもしれない。