紙の本
正しすぎるのは良いことか?
2006/02/04 15:32
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中身が分かりにくいタイトルである。サブタイトルを見て何とか内容に見当がつく。
そこで勝手ながら私なりにタイトルを付け直させてもらおう。これは『教養の書』である。「教養」といっても知識の集積のことではない。いや、一定量の知識は必要だが、それを土台にして自分はどのように生きるのかをしっかり見定めるのが「教養」なのであり、本書はその指針となる本だからである。ニートやフリーターが社会問題になっている現代日本において、「個性」を職業に活かしたいと漠然と考えながら、しかしさっぱり勉強をしないでいる若者、及びその親を対象に、勉強して教養人=職業人となることの意義を説いているのだ。国語・歴史・自然科学など科目ごとに一章をあてて、それを勉強する意味を改めて考え、章末にお薦め文献も提示している。
悪くない本だと思う。しかし私の懸念は、長山氏の案じている層、つまり学校の勉強が嫌いで「下流」になりかかっている若者やその親は、そもそもこの本を読まないのではないか、というところなのである。学校の教科書すらろくに読まない人たちだろうから。
揚げ足取りと思われるだろうか? では具体的に、本書の中で最も優れていると思しき第4章「『正しい歴史』は存在するか」を取り上げよう。長山氏はここで「新しい歴史教科書を作る会」のメンバーが出した『教科書が教えない歴史』への疑問を提起する。といっても旧来の左翼的な立場からの批判ではない。むしろ氏は、「扶桑社版の歴史教科書が戦前的な愛国教育を目指す危険なものとは、思われない。そういう意味でいえば、むしろ危険なのは韓国や中国の教科書だ。そちらのほうが『戦前の日本』的にみえる」ときわめて的確な判断を示している。
では長山氏の批判はどこに向けられているのか。歴史を子供に受容しやすくするための物語化である。歴史上の出来事はきわめて複雑で多面的であり、分かりやすい物語にしてしまうと必ず切り捨てられる部分が出てくる。氏は『教科書が教えない歴史』の或る章を例に、具体的に何が削られているかを指摘する。また、戦前の皇国史観や戦後の左翼史観でも同然だと述べてバランスを保ちつつ、歴史の「物語化」をいましめる。
ならば歴史記述はどのようになされるべきなのか? 氏の答えは「棚上げ」である。つまり、一つの理想や理論の奴隷になるな、特定の史観に基づいて歴史上の出来事を解釈するなかれ、懐疑の精神をたえず持ち続けることが歴史教育の目的であるべきだ、という。
正論だと思う。しかし「正しすぎる」とも思う。そうした懐疑の精神は、長山氏のような優れた資質を持つ人間なればこそ可能なのであって、誰にもできることではない。横田めぐみさんの拉致を金正日が認めた直後に「金首席は朝鮮の人民から慕われている」と教室で力説した高校歴史教師の存在を私は知っているが(そしてこの教師は例外的存在ではないと思うが)、大学で歴史を専攻したいい年をした大人でさえこの程度なのである。まして大学に進学する意思すらないフリーター予備軍にどうしてそんな能力があろう。
なお、トーマス・マンに言及した箇所で、マンは「オランダでの講演中に亡命を余儀なくされた」(152頁)とあるが、彼は当初は単にドイツに帰らず外国滞在を続けたのであり、正式に「亡命」を表明したのは1936年になってからのことである(ただし実は彼は帰国したかったのだというのも誤り)。また「〔戦後になっても〕トーマス・マンはドイツ国籍の回復が許されなかった」とあるが、これだとマンがドイツ国籍を回復したいと思っていたことになるけれども、そうした事実はあるまい。この辺の事情はそれこそ複雑であるから、山口知三『ドイツを追われた人々』(人文書院)などの一読をお薦めする。
紙の本
勉強してる=不勉強ではない、ではない
2016/01/29 08:26
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ホンの無視 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは老若男女問わず「勉強」について考え直すいいきっかけになる本だと感じた。
「好きなら伸びるは本当か」という章の記述等は学びに望むほとんどの人が向き合う現実ではないだろうか。
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勉強することの大切さが書かれていていい本だった。でも、歴史については、知識をしっかり得ないとだめなのになあと感じてしまう。太平洋戦争で日本が戦った相手も知らない、平成生まれの高校生を牧歌的にみている気がする
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教師や文科省、例の委員会の人達には読んでいただきたい。これが全て正しいとは思わないが、分かりやすくいい本だと思う。
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長山氏の気合いが感じられる一冊。
豊富な読書量に裏付けされるコメントもさることながら、多くの人が共有する疑問に対してストレートな主張展開が心地よい。
なぜ勉強を軽んずる風潮が見受けられるようになったのか?
自説を織り交ぜ、展開されるジャンルは国語・社会・数学・科学と多岐に渡る。それぞれの各章毎に著者がオススメする書籍リストは要チェック。
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著者がいうところの「勉強嫌い」は若者だけでなくて社会人・親などの大人も含む。若者だけでなく大人も本を読まないし勉強しないから「勉強しない日本人」を再生産しているということらしい。おもしろいのは、著者自身勉強嫌いで、「このままだと格差社会に淘汰されますよ!」と勉強嫌いの人間として警鐘を鳴らしているということ。とはいえ高校時代は読書ばっかりしてまったく学校の勉強はしなかったというのにちゃっかり医者になってるからかなり頭のいい人なのでしょう。
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序章の最後に書いてあるように、
「本書は、凡庸な親が、子供の教育に悩みながら、親もまた勉強しなくてはならないと考え、
しかし何をどうやって学ぶべきか、そもそも勉強とは何だっけ、といった事柄を思い悩むドキュメントである。」
大人のための「本物の勉強」入門書。
各章末に基本図書ガイドも載っていて参考になります。
自分の不勉強が身にしみました。勉強します。。。
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途中から割と脱線していた印象。
言いたい事は大いに分かるけど、この内容を論じるなら官僚はもとより医者になった人間じゃ説得力なし。
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「勉強」ということの意味を
身にしみるほどに考えさせられる一冊。
レビュアー自身も偉そうに語れるほど
「勉強」をしているわけではないが、
社会システムの様々なひずみが
社会の構成者の「不勉強」に由来している可能性を
痛烈に示唆しており、衝撃的だった。
とりわけ、「勉強」について
一番まじめに考えるべき教育関係者もまた、
往々にして「不勉強」であるという。
この指摘は、
教育学部で勉強してきた身として悲しくなる。
確かに、教育について物申す人々には
「勉強」を悪しき行為と決め付け、
「勉強」とは独立した
「学び」という概念を提起する教育者も
少なからず存在している。
著者の指摘と照らし合わせるなら、
彼らの発言は
「勉強」への現実逃避ではないかと思えてくる。
「勉強」の意味を社会と関わらせて
考えたい人にオススメの一冊だが、
一番読むべきは
「勉強なんか社会で役に立たない」
と心の底から信じ込んでいる人では?と
個人的には感じた。
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勉強とは何かを主題とする一冊。
現代社会の分析から、親の世代には何が不足し何が必要なのか、
若者の世代には何が不足し何が必要なのかについて、持論を展開す
る。
個人的には、共感できる部分もあればそうでない部分もあるのだが、
その分析は面白い。
というのも、分析の基礎となるのは、思想・哲学から学術書にいたる
著者の幅広い読書歴であり、それらの観点から社会を見据えている
ため、この手の分析にありがちな単なるステレオタイプに陥っていない。
全てには共感できないという人もいるであろうが、一つの分析として
読むことは、非常に参考になるといえる。
私が最も強く感じ取ったメッセージは、最終的には勉強は本人の努力
によるということだ。
努力の「しやすさ」には多少の環境の違いはあれ、最終的に努力する
かしないかは本人次第である。
世の中には、人が「わかる」ものと「信じる(宗教的な意味ではなく)」
ものがある。
自己で具体的にイメージできないことは、「わかる」ものとは言えず、
誰かに教えてもらったことを「信じる」ことで理解するしかないためで
ある。
つまり、「信じる」ということは、この場合においては思考の停止を意味
する。
そのため、努力によって「わかる」範囲を押し広げることが大切なので
ある。
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社会力を持つためには基礎学力が必要で学力をつけるには勉強が大事で、勉強には努力が必要であるという。学力が無いのは本人の努力が足りないのだ。耳に痛い言葉である。
著者のユニークの意見だが「文学に関して作家に生活者としては破綻している人が少なくないため、教科書に載せて強制的に読ませるというのに疑問を呈する」というが、そもそも文学的な価値と作家の生き方とは関係ないことである。
著者は歴史は物語と言う「歴史は正しく語らねばならない、そしてその「正しさ」とは事実は正しく語るだけではなく、語られるべき事実はア・プリオリに倫理的正しさを持っているはずだという期待が込められていた」
著者は思考することが大事だと言う。「信じることは思考停止に陥ることだと述べたが停止した思考の隙間には経済的な詐欺どころかより深刻なオカルトや新宗教にはまるという事態が待っている」
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受験のときは勉強を欠かさずにやった私。
大学に入って気が抜けたか勉強に手つけてなく
"不勉強"になっている。
この本で"受験のときの頑張りに戻りたい"と思った。
もうすぐ長い春休みが来るので
資格の勉強に取り組みたい。
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著者自身も不勉強だったようだが、しかしあなた大学出て歯科博士の歯科医じゃないか。
なんか題名に騙された感じはあるが、内容は我が子に勉強を教えようと思っている親にはいい刺激になるような事が書いてある。
奮起剤として読むべし。
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(「BOOK」データベースより)
四〇歳を過ぎた。親として子に何かを教えようとしたとき、ふと、自分の生きざまを問われ、恥じ入りたい気持ちになる。子供に読んでやる文章が、自分自身の身にしみる。この年になってやっと、本当の勉強の意味に気付いた気がする―。学力低下不安から、子供にお勉強をさせることは、一種のブームと言える盛り上がりを見せている。しかし現在の日本人の不勉強ぶりは、子供にお勉強をさせればいいというレベルをとうに超えている。自戒を込めて言えば、すでに大人からしてダメである。本書は、凡庸な親が自分も勉強しなくてはならないと考え、しかし何をどうやって学ぶべきか、そもそも勉強とは何だっけ、といった事柄を、国語・倫理・歴史・自然科学といった広い分野にわたって思い悩むドキュメントである。
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忙しさの荒波にもまれて、倫理とか歴史とか人生の中で一度は真剣に向き合わないといけない勉強をそっちのけで人は「大人」になっている。
それでも生きていくには困らないけど、自分が親になった時、改めて自分の不勉強が身にしみる。
確かに塾講のバイトしてるときにもう一回歴史とか理科とか復習しないと恥ずかしいなって思ったこともあってなんとも共感した。
倫理、哲学、歴史、生涯学習としての趣味の在り方など、少々厳しい視点での著者の捉え方も記されていてなんとも勉強になった一冊。
これを読んでちゃんと勉強する人がちゃんとした大人になるんだろうなぁ