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ほわー!ホントにこんなとこしてる人いるんだなーっとただただ驚嘆!
思えばこーゆー探検ドキュメントみたいなの読んだのって初めてかも。
北極かあ。
つーか10度以下になった時点で冷える~っと悲鳴をあげている私には絶対無理。
が、そーゆーありえない状況が、日常になると、それがあたりまえでなんとも思わなくなる、とゆーのが印象的だった。
なるほど、どーゆー状況でも人間は慣れるものなんだな、と。
こう町の影がみえてきて、そこへ向かっていくうちに、
人のいる世界が日常へと変わっていく、とゆー感覚が、すごいなーっと。
にしても、ほんと、どんだけ過酷なんだっ。
血がつららになる、とか。もうありえない。痛すぎるぞ。
実際の様子とフランクリン隊についての諸々の記述が交互に書かれてあるので、こうテンポよく読めるとゆーか。文章も読みやすく、
この人のは他のも読んでみたいなあっと思わせた。
やっぱイチバン鮮烈だったのは麝香牛を喰うとこでしょうか。
いやーでも自分でさばけるとかスゴイ。
食べることが生きることに直結する。そのなんとゆうか圧倒的ななにか。
自然に囚われる、かあ。
きっとこの人も同じなんだろうなあ。
私だったら二度と行きたくない、と思うだろうケド。
いや、その前に生き残れないと思うが。
しっかしなんなんだろう。
こんなとこで生きれるわけないだろっとゆーようなところへ
何度も何度も行こうとした、する、人たち。
それほどのものが、きっとあるんだろうなあ。
そして、そーゆーひとたちになんとなく憧れを抱いちゃうんだな、なぜか。
検索3度目の正直にして。
そろそろエラー、どうにかして欲しいなあ。
ちょっとイラッとする。
他の検索使うとか、できないのかしら??
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なんとも壮絶な北極行の記録。「空白の五マイル」とはまた違った、極地という極寒の地での苦闘に圧倒される。
今回は単独行ではなく「北極冒険家」の友人と二人で、北西航路開拓に挑んだが129人の隊員が全滅するという悲惨な結果に終わったフランクリン隊の足跡をたどる冒険である。この探検隊については、どういう経緯で全員死亡という終末を迎えたのか、よくわかっていないそうだ。著者はフランクリン隊がとったであろうルートをたどり、食料やテントなど装備一式を橇に積み自力でそれを引きながら、六十日かけて極地を徒歩で行く。
いやもうその旅のとんでもないことには恐れ入る。言うまでもない寒さ、北極熊の脅威、行く手を阻む乱氷帯、凍傷の恐怖、ヘルペスの悪化(これがえげつない!)などなど、読んでいるだけで苦しくなってくる。何でそこまでして、と思いつつ、命をかけた冒険にはやはりとてつもない魅力がある。一気に読み終えた。
著者も書いているが、こういう冒険では生と死がぎりぎりのところでせめぎ合っていて、そこで得る「生の実感」には半端ではないリアルなものがあるのだろう。また、自分の肉体のみで自然そのものと対峙し、自然の中に入り込んでいるという感覚は他の体験では得られないものなのだろう。そういうものの引力にとらえられた人たちが、冒険を追求していくことになるのだろう。
それにしても、何でそこまでして…。何によらず「強度」を求めていく生き方は、自分にはよくわからない。遠巻きに見るぶんには、おそろしく魅力的ではある。著者のちょっとマッチョな感じが気にならないでもないが、これまでの本と同じくぐいぐい読ませる面白さがあった。
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人間の極限が飾られることなく書かれている。フランクリン隊全滅は歴史の一つとして記憶していただけだが、探検家して最後を遂げられて幸せだったのではないだろうか。出産直後の麝香牛を射殺し、生まれたばかりの仔牛も射殺するところはとても悲しく罪悪感にかられた。
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現代にこのような冒険をやっていることに驚いた。極地探検の
奥深さ、厳しさを知った。アグルーカへの尊敬、敬愛の念がよくあらわれている。フランクリン探検隊の軌跡を実査で解明した、命がけの渾身の一作。
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壮絶な冒険記。現代においてもまだまだこの様な壮絶な地は有るのだなと。途中に差し込まれる写真が文面をフォローしている。作者の文明の利器(衛星電話・GPS)に頼りたく無かったが数日すると気にならなくなった・・・という文面や、麝香牛を仕留めるシーンには色々と考えさせられるものがあった。フランクリン隊云々というテーマはこの旅の過酷さを更に象徴づけるものにしか感じなかったが何にせよ北極という地がものすごく過酷な地ということだけはイヤと言うほど判った気がする。
最後に空白の五マイルから続けて読んでみたので非常に疲れたな。重い、すっごく重かった。ただ冒険という物に憧れている身としては続けて読んだ価値はあった。
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北西航路探索の歴史は15世紀に始まった。当時スペインはアメリカ大陸に到達しマゼラン海峡を抑える一方でとポルトガルは喜望峰を抑えていた。中東経由でアジアに向かうには高い通行料を課せられロシアの北を回る北東航路とカナダの北を回る北西航路の探索が始まった。しかし結果は報われずカナダの毛皮貿易や捕鯨が副産物として流星を迎えた。スペインとポルトガルの国力が弱まり北西航路の重要性は弱まったがイギリスは国家事業として探索を続けそこで生まれた英雄がジョン・フランクリンだ。フランクリンは1819年から3年間のカナダ北岸探検でカヌーと橇と徒歩で8900Kmを踏破して生還し"The man who ate his boots"靴を食った男として不撓不屈のイギリスの象徴となった。そして1845年の北西航路探検で最新鋭の2隻の船を擁すも北極海の氷に2冬閉じ込められ、船を捨てて生還を目指すも129名が全滅し北西航路探索の最大の悲劇となった。一方で探検隊の一部はイヌイットの助けを借りて生還したと言う逸話が残っており、作家の角幡唯介は北極探検家荻田泰永とともにフランクリン隊が生還を目指した道をたどる旅にでた。北極圏1000km60日間を無補給で前半は重さ90Kmの橇を引き、後半はツンドラの湿地帯を歩きそして時には携帯ゴムボートで河をわたる過酷な探検の記録が本書だ。
2011年3月17日、スタートはコーンウォリス島のレゾリュートと言ってもカナダ北部の地理なぞ頭に入ってないのでグーグルマップの衛星写真を見ながら想像するのがお勧め。カナダ北部は多島海になっていて冬は氷で閉ざされるため歩いて渡ることが出来る。しかし平面な氷ではなく吹き溜まった雪が堅く凍り乱氷帯と言う所では高さ数mの氷の固まりや氷山が流されて出来た高さ2〜30mの氷の丘が行く手を阻み氷の壁を乗り越えるために橇を押し上げ一番ひどい所では1時間にわずか50mしか進めない。また零下40度の世界では体調が狂い出発わずか2日目に角幡は寝小便をしてしまう。低温化での行動北西航路探索の歴史は15世紀に始まった。当時スペインはアメリカ大陸に到達しマゼラン海峡を抑える一方でとポルトガルは喜望峰を抑えていた。中東経由でアジアに向かうには高い通行料を課せられロシアの北を回る北東航路とカナダの北を回る北西航路の探索が始まった。しかし結果は報われずカナダの毛皮貿易や捕鯨が副産物として流星を迎えた。スペインとポルトガルの国力が弱まり北西航路の重要性は弱まったがイギリスは国家事業として探索を続けそこで生まれた英雄がジョン・フランクリンだ。フランクリンは1819年から3年間のカナダ北岸探検でカヌーと橇と徒歩で8900Kmを踏破して生還し"The man who ate his boots"靴を食った男として不撓不屈のイギリスの象徴となった。そして1845年の北西航路探検で最新鋭の2隻の船を擁すも北極海の氷に2冬閉じ込められ、船を捨てて生還を目指すも129名が全滅し北西航路探索の最大の悲劇となった。一方で探検隊の一部はイヌイットの助けを借りて生還したと言う逸話が残っており、作家の角幡唯介は北極探検家荻田泰永とともにフランクリン隊が生還を目指した道をたどる旅にでた。北極圏1000km60日間を無補給で前半は重さ90Kmの橇を引き、後半はツンドラの湿地帯を歩きそして時には携帯ゴムボートで河をわたる過酷な探検の記録が本書だ。
2011年3月17日、スタートはコーンウォリス島のレゾリュートと言ってもカナダ北部の地理なぞ頭に入ってないのでグーグルマップの衛星写真を見ながら想像するのがお勧め。カナダ北部は多島海になっていて冬は氷で閉ざされるため歩いて渡ることが出来る。しかし平面な氷ではなく吹き溜まった雪が堅く凍り乱氷帯と言う所では高さ数mの氷の固まりや氷山が流されて出来た高さ2〜30mの氷の丘が行く手を阻み氷の壁を乗り越えるために橇を押し上げ一番ひどい所では1時間にわずか50mしか進めない。また零下40度の世界では体調が狂い出発わずか2日目に角幡は寝小便をしてしまう。低温化での行動ではカロリー消費がすさましく、1日5千Kカロリーをとっても次第に痩せていく。体温を保つ基礎代謝だけでも猛烈な消費だ。
動物との遭遇では麝香牛を撃ち食べた話が印象的だ。撃った牛は出産直後でようやく立ち上がったばかりの親を亡くした子牛がビェーッ、ビェーッと絶叫しながら何度も突進を繰り返してくる。食欲に勝てず撃ち殺したのだが罪悪感がこみ上げる一方、このままでは生き残れない子牛も撃ち殺すことにしている。他にも雷鳥を撃ったり、鵞鳥の卵をとったり80センチもあるレイクトラウトをとったりしているがこちらでは罪悪感を感じた様子が無いのはやはり牛の大きさと子牛がいたことだろうか。
フランクリン隊はキングウイリアム島の西を進み氷に閉じ込められたのだが最終的にはこの島を東から南に回り込む航路が南極点到達のアムンセンの航海によって正しい航路だったと言うことがわかっている。島の西側は海流の関係で氷がはりやすく島に遮られた東側は比較的新しくて薄い氷が多いのだが当時この島は地峡でつながった半島だと信じられていた。キングウイリアム島の北西で船を捨てたフランクリン隊は南下しその内40名ほどは知らずにこの海峡を渡って対岸のバック河を目指したが餓死の入江と言う所で力つきた。発見された状態から生き残った物が人肉を食べた形跡が残っている。今ではこの入江のすぐ隣の湖が鮭釣り大会の会場になっており昔から氷が融けるのに伴いイヌイットがこの辺りに移動してきたことを聞いた角幡はフランクリン隊はイヌイットを探してこの地を目指したのだと推理している。イヌイットの伝説ではアグルーカと呼ばれた男はイヌイットに助けられ故郷に帰ったとされているのだがその話の一部はフランクリン隊を亡くなったフランクリンに変わり途中から率いた副官のフランシス・クロージャーと重なる。
最新に装備を備えているとは言え二人で同じ時期に踏破できたコースを129人のフランクリン隊が出来なかったのはなぜか。一番大きいのはフランクリン隊が船を捨て歩くことを想定していなかったため充分な防寒着を持たずまたイヌイットの知識を学ぼうとしなかったことだ。フランクリン隊は船を捨てるときでさえ銀の食器や陶器のティーカップなど北極では役に立たないものを持って移動していた。同時期の冒険家でアグルーカ(大股で歩く男)と呼ばれたジョン・レイはイヌイット式の毛皮の服と靴で全く同じ時期に同じ地域を歩き回っておりイヌイットの伝説の故郷に帰ったアグルーカは自分のことだと言っている。
作者の角幡はこの探検にGPSや衛星携帯電話を持っていってるのだが、特に携帯については後半の湿地帯行では置いていくなどつながった状態では自然に入り込めないと否定的だ。一方でGPSはコンパスの効かない極地での効果は絶大で、一日の移動距離をGPSで決めた通りにするなど依存してしまう部分も書かれている。そもそもフランクリン隊には十分な地図も無かった。軽量のゴムボート、防水服、熊よけスプレーやコンロそして当時恐ろしい病気だった壊血病を防ぐビタミンCなど通信が無くても現代文明にはつながっているので携帯やGPSだけを否定しても仕方ないと思うのだがこればかりは探検の目的そのものに関わるのだろうか。一方でフランクリン隊も当時の最新技術であった缶詰を持ち込んでいるのだが、この缶詰のハンダによる鉛中毒がフランクリン隊が数をへらした原因として上げられている。フランクリン隊が当時のイギリス文化を重視しイヌイット式を否定したために全滅したのに対し、現代文明を極地探検に持ち込むことを忌避しつつ助けられている角幡、そして人肉食に追い込まれながら全滅したフランクリン隊と罪悪感を覚えなが麝香牛を撃って食べ生還した角幡となかなか皮肉なものなのだ。
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少し長いが引用。
『探検家が探検をすることには多くの人が様々な理由をつけてきた。……そんなことは人間が探検をする本当の理由にはならない。探検をしない人たちが考え出した分かりやすい理屈に過ぎないのだ。悩みや葛藤や逡巡という要素を取り除いた、やらない人たちが納得するためだけの、きれいに体裁を整えた説明なのだ。……彼らは北極の自然に囚われていた。人が命を懸けて何かをすることを説明するのに必要なものは、もしかしたら囚われてしまったという、心の片隅に突き刺ささった小骨のような心情のひだを持ち出すだけで十分なのかもしれない。囚われるというのは恐ろしいことなのだ。』
「探検」と「北極の自然」を「カヌー」に置き換えるととても私にはしっくりくる。囚われたものがある人には、「」内を換えると同じ思いなのではないかと。
角幡さん、ビシッと突きましたね。
あと、唇痛そうです。ひー。
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北極圏に消えた、冒険家の足跡を追う。
イヌイットに”アグルーカ”と呼ばれた男は、何を見たのか、どこに向かったのか。
想像を絶する極地探検の凄さを知った。
大自然(しかも極地)の中に分け入れば、ヒトもケモノもなく、ただひたすらに「生きる」。
強烈な”自然”の描写は迫力があり、人間がいかに脆く小さな存在かを思い知らされるよう。
冒険の過程では、生きるために生き物を屠る場面も。
改めて、人間が生き物の一種だと再確認した。
それでも重くなり過ぎずに読み切れるのは、適度に挟み込まれる柔らかいエピソード。
仕事の合間、移動中に少しずつ読み進めたので、読了までに日数を要した。 それがかえって、一歩ずつ前進し続けた冒険家の歩みに近い気がした。
一気読みしない方が、じっくり愉しめるかも知れない。
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カクハタ氏とは同じ大学で同級生、考え方も似ていて凄い共感する。この新作も本人の内面に関する記述にシンパシーを感じながら読み進めた。
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アグルーカとは北極のイヌイットたちが、かつて北極にやってきた勇敢な男たちを呼んだ名称である。本書はそう呼ばれた男たちのうち、1840年代に129名もの隊員全員遭難という悲劇を招いたフランクリン隊の行方をたどった記録である。それは、零下何十度という酷寒の中、103日、1600キロに及ぶものであった。位置を知るGISや地図、最新の装備を備えていたとは言え、結局のところは橇、スキー、そして足を使うしかなかった旅がどれほど過酷のものかは想像して余りある。食料の備蓄はあるとはいえ、途中で牛や鳥を殺し、魚、鳥の卵を捕獲して食べる。狼や北極熊という脅威も常に潜んでいる。なにしろ、フランクリン隊は、隊員がつぎつぎと死んでいく中で、最後はお互いを喰らいあうカミバリズム(=人食い)までやったほどである。角幡さんは途中でGISも緊急の電話も置いていく。それは、これらを使っていては究極の冒険とは言えないと思うからである。昔、本多勝一が、道のあるところを歩くのは登山ではないという言い方をしていた。ある夏、北海道であったバイクの青年は、「どこまで」と尋ねると、「この道のつづく限り」と答えた。本当の冒険、旅とはそのようなものを言うのだろう。角幡さんはかつて、チベットの秘境、ツアンポー峡谷で生死の境をさまよい生還した人である。そんな体験をした人間にとって、生死の境を歩む旅というのは、いつまでもやめられないものなのであろう。体がうずくのである。そして書いたのが『空白の五マイル』で、それはいくつもの賞をかっさらった。自らの旅程と、先人の旅行記をまぜながら、あるときは現実をあるときは過去に滑り込む手法は本書でも存分に生かされている。それが一種独特の角幡唯介の世界を形づくっているのである。
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1845年、英国から極地探検に出発したフランクリン隊129名全員死亡。
著者・角幡と北極探検家・荻田泰永はその軌跡を辿る旅に出発する。
103日間、1600キロの極地探検。
何故そこまでして・・
著者・角幡さんは、自身が(何故?)という思いを抱き続け極地を行く。
角幡さんが探検を終える時、私が抱く(何故?)も綺麗に回収されていた。フランクリン隊の軌跡。もう少し追ってみたくなった。
冒険家の思いに少しだけ寄り添えた気がする。
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探検、冒険、未踏の地といった派手な惹句にとどまらない記憶に刻まれる記録と著者の生々しい感情の動きがある。過去の探検隊の足跡を追いながら、現代社会における「冒険」の意味やあり方を考えさせる。ひとたび読み始めると、日々の細々した仕事からの疲れやこだわりが吹っ飛び極北の地で白い息を吐きながらひたすら歩き続ける人の姿に夢中になる。なぜこんなに人は冒険に取りつかれるのかという謎と、過去の探検隊にまつわる謎がオーバーラップしていき、いつの間にか引き込まれてしまう。
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1845年、英国から出発した、北西航路(カナダの上の方を通って、アジアへ抜ける航路)を探す探検隊・フランクリン隊。全隊員が死亡したといわれる。
著者はこのフランクリン隊遭難の足跡を辿りながら、北極圏を旅する。
極限の寒さの中を旅するとは、えらいことだ。そして、そんな世界で日々暮らしている人々がいるということもまたえらいことだ。
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21世紀における冒険家”角幡唯介”が送る傑作冒険ドキュメンタリー。
1845年、英国は北極経由でアジアに抜ける交易路を確保すべく、ジョン・フランクリンを隊長とする探検隊を北極圏に送り込む。
幾多の不運に襲われたフランクリン隊は、乗組員192名が全員死亡。しかし、隊の分裂・カニバリズムの横行など凄惨な事態を目の当たりにしつつも、たくましく生き残った生存者が南へ生き延びた記録が、当時の文献やエスキモーの証言から浮かび上がる。
その名は「アグルーカ」。
角幡は「アグルーカ」がその目で見たであろう極限状態に置かれた人間・極北の厳しい自然の景観を追うべく、北極探検の専門家"荻田"と共に氷で閉ざされた世界をゆく。彼らのトンデモナイ冒険がシリアスに、コミカルに描かれる。
「決まった時間に決まった電車に乗り、決まったコンクリートの建物に吸い込まれていく」そんなサラリーマン生活の埒外にある彼らの行動は、凝り固まった頭脳に風穴を空けてくれるはず。通勤時間におすすめの一冊です。
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1840年代、英国のフランクリン隊が北極圏の北西航路を開拓するために、129人、2隻の軍艦で旅立つが、行方不明となり出発後10年近く経ったのちに全滅したことがわかる。その後の調査や隊員に遭遇したイヌイットの言質より、隊員の無数の白骨や墓、遺品などが発見された。しかし、最後の隊員が、どこまで辿り着き、志半ばで力尽きたかはいまだに謎である。
本書では実際に北西航路を歩きながら2ヶ月かけて踏破する過程を経てその仮説を提示する。
過去と現在を交互に描く手法、極地探索におけるGPSの意味合い、なぜ危険な旅を続けるのか。
読み応えのある、非常に面白い本でした。船戸与一、高野秀行、そして角幡さんと、早稲田の探検部に興味を抱く。