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インドネシアの多島諸島の最東端、レンバタ島の農作物も出来ない入り江に約2000人ほどの漁村がある。写真家の石川梵さんは92年から今までずっとその村ラマレラの伝統捕鯨に魅せられ、取材を続けて来た。1997年に写真集「海人」、2011年にその取材過程を記した本書、2021年には「くじらびと」というドキュメンタリー映画までつくった。確かにホンモノだけが見せる魅力が、本書には随所に散りばめられている。
私はどうしても、ラマレラ捕鯨に古代日本の捕鯨を想像しながら読んでしまう。万葉集にある「いさなとり」は捕鯨という意味であるが、実は日本でも縄文時代から鯨を食べていた証拠が諸所に残っている。私は韓国の蔚山で組織的捕鯨を記録した壮大な壁画(新石器時代)を見たことがある。ラマレラは、手造りの帆掛船で鯨を追い、銛1本を投てきするのではなく自ら飛び込んで突くというもっとも原始的な方法だった。当然海に落とされるが、直ぐに船に戻ってまた銛を突き、最後は包丁で滅多刺しにして絶命させる。一瞬の油断が命取りだ。それを可能にする村の民俗は、私の想像を超えていた。
村のインフラは極めて素朴。水道もなければガスもない。調理には薪の火、鯨の脂でランプを灯す、塩田を作って塩を確保していた。表紙の写真を見ればわかるが、銛持ちは極めて大柄で筋肉質、彼らの主食は白米にとうもろこしを混ぜたご飯。鯨を獲ることに成功すれば、関わった舟全てに鯨肉が分配される。一頭の鯨で家族を二ヶ月賄うことができると言われる。命をかけた捕鯨だからこそ、共同体の怪我人老人含めての福祉補完システムはキチンと完備されていた。女たちもとれた鯨肉は、直ぐに売ったり干し肉にして後で売ったりして、食料や金に交換経済で換えてゆき、男たちの人生を支えている。
やはり銛撃ちが少年の1番の憧れであるとか、船や漁具の作製、祈りも、そうだろうな、というひとつひとつ説得力があった。もちろん、古代と多くの部分で違うが、想像できる部分は沢山あった。
だからこそ、縄文、弥生前期にかけての、鉄器が普及していない時代の捕鯨が何処までラマレラ式なのか、疑問がむくむくと湧いてくる。石器の銛で果たして脂肪30センチのマッコウクジラを仕留めることができるのか?そもそもそんな大きな銛は、遺物で展示されていたことがあったけ?入り江に迷い込んだ鯨をたまたま仕留めただけではないのか?鯨は古代人の人生では忘れることのできない大事件だった。だからこそ壁画に描かれたのかも知れない。しかし、日本の絵画土器には(おそらく)ひとつも登場していない(サメの絵は多い)。宿題がまたひとつ出来た。
その他興味深い処のメモ
・マンタとはオニイトマキエイ(5メートルほどの体長)。年間10頭の鯨に対し、マンタは100頭ほどとれている。この漁の発展形が捕鯨だったのかも知れない。
・イルカよりもシャチやサメの方がよっぽど獲るのは楽。
・一番の銛撃ちは、一撃で鯨を突き殺した者。
・櫂を漕ぐ時の歌に「象牙を生やした水牛よ、どうか私たちを村へ連れていっておくれ」というのがある。古代から鯨が牛や馬などと同じ仲間であることを知っていた。
・1番銛には心臓が分け与えられる���香辛料代わりのタマリンドという臭い消しを入れ、煮込み料理にしていた。鯨肉丼は案外美味しいらしい。
NO Book & NO Coffee NO LIFEさんの鯨月間レビューで、こんなノンフィクションがあるんだ、と知りました。ありがとうございます♪