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普通の人は行かないようなところばかりをわざわざ選んで旅をする、辺境作家の高野秀行。コンゴへ怪獣を探しに行ったり、ミャンマーへアヘンを栽培しに行ったりしていた彼が、早稲田の探検部の先輩後輩のよしみで、大作家の船戸与一からミャンマーへ一緒に行こうと誘われます。ミャンマーに合法的に入ったことがなかった高野さん。絶対にブラックリストに載っていると自負していたのに、意外にも入国は簡単に認められ、駄目だと言われたのは船戸さんのほう。作家としての知名度の差らしく、高野さんガッカリ。なんとかふたりとも入国できることになったものの、ミャンマーの某旅行会社を必ず使うようにと指定されます。これがなんと旅行会社に姿を借りた軍情報部、高野さん曰く、まるで柳生一族。ワケのわからん日本人に勝手をさせてたまるかということで、ガイドのふりをした柳生一族が監視役として同行するのでした。高野さんが行けば何でも珍道中に。船戸さんの酔っぱらいぶりも楽しい旅行記。
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面白かった、為になった点 3点。
p137
日本で働くミャンマー人がストレスを感じるのは上司に意見を聞かれること、つまり発言の自由。
p151
ミャンマー人の社交性はどこで身につくのか。
p158
答えは国内。ミャンマー国内で様々な宗教・民族の人="異国"の人と接するため。
p171
パンロン条約締結後アウン=サン亡くなる。その後地方を押さえるために軍事独裁体制を築いたのがネ・ウィン。
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基本強引に徳川幕府に繋げていくのでちょっと違和感。親しみを持って例えているのは分かるがかえって混乱した。
コンデンスミルクをたっぷり入れたチャイ、飲んでみたい。その茶店の風景と共に味わったら楽しいだろうな。電気が部分的にしか通っておらず、夕陽が沈むと街が赤く染まり闇に包まれていく、終末を迎えたかのような感覚というの、ちょっと興味がある。人々の温かみや、少ない娯楽を堪能しながらゆっくりと時間が流れているミャンマーに想いを馳せた。
お酒の席での話なんかは、人種や言葉や育ち方や住むところが違っても、おじさんはおじさんでみんな一緒なんだと思えて面白かった。
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掛け値無しに面白すぎる!
クレイジージャーニーで見かけたヤバイ人だぁと思って読み始めたけど、ヤバさはそのままにミャンマーの体制や人びとの濃い部分を描き出している。
人を観察する視線はフラットで、そのフラットさが激ヤバな状況でもそのままだからこそのおもしろさ。
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早大探検部の先輩・船戸氏に随行する形でミャンマー(ビルマ)入りした著者。入国前の審査から船戸氏との扱いに笑えたが、題名のとおり軍事政権の情報部を隠密・柳生一族になぞらえての記述は、まさにエンタメ系ノンフィクションと呼ぶに相応しい。奇しくも2015/11/11現在、ミャンマーでは千姫ことアウン・サン・スー・チー氏率いるNLDが勝利を収める報道が世界を駆け巡った日だったことは偶然にしても出来すぎ(笑)
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ミャンマーに興味を持った人が最初に読む本としてお薦め。
世界の秘境ハンターとしてすっかり有名になった著書が、船戸与一の取材旅行の案内にとしてミャンマーに向かう。
タイトルがいかにも怪しげなのはいつもの癖。軍事政権下で鎖国政策を取る、ってことは開国前の日本とそっくりじゃないかということで、ミャンマーを江戸期日本に見立てて説明していくのがこの本の趣向。
取材は10数年前のこと、ジャーナリストビザはなんとか貰えた、ただし条件として軍情報部の旅行会社のお膳立てに従うこと。情報部の元締めキン・ニュンは首相でもある。彼のような人物を日本で探すと、江戸初期の柳生但馬守が一番しっくりくる、小説やドラマの中では裏柳生はおなじみだし、、ってなことで、すべてが江戸時代に例えられていく。
正直、最初の方はちょっと苦しい例えが多いというか、ちょっと滑りがちのような気がするものの、だんだんこれ以上の方法は無かったように思えだす。
というのは、やたら複雑な民族問題、領土紛争の話を、固有名詞を次々に出されて説明されても日本人にはまずついていけない。それがカレン島津藩、シャン伊達藩、タン・シュエ家光みたいな書き方してあると、すんなりイメージできてしまう。そして最後にはどんでん返し。
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例えが分かりやすい気がして、ちょっと読みやすかったけど、そんなに面白いとも思えなかった。
この人がいたころまでの早稲田の探検部。
面白い人たくさんいたんだろうなぁと思う。
今の早稲田って、ちょっと味が薄くなっているんじゃないだろうか。しらんけど。
30年前。早稲田の一文の受験生に着流し、角帽がいたのには驚いた。学生がやるならまだしも、単なる受験生なのに、凍える2月末にそのカッコはないだろう…と思った。
この本とは関係ないけど。
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高野さんの冒険はいつだってワクワクさせてもらえる。そして面白い視点と解釈、というか噛み砕き方と味わい方。
どんな場所にいる人だって、どんな立場にいる人だって、袖触り合うも他生の縁。旅は道連れで、別れたあの人は今どうしているんだろうと遠くの空を思う。
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以前同著者の「アヘン王国潜入記」を読み。
この本も読みたいと思ってました!
今回は作家船戸与一氏と取材旅行で入国。
高野氏自身に危ない事も特になく、旅行は進んでいきます。
ミャンマーの軍事政権を日本の江戸幕府のようだと、独自の視点を用いて、ユーモアたっぷりの文章で書かれています。ミャンマーの人は鎖国のような国でありながら意外と国際的だったり、民族や宗教が多様であったり、読書家が多いとか、現地の人の暮らしが垣間見れるのも良いです。
高野さんの冒険記は、謎の国が気になる私の好奇心を大いに満たしてくれます!
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ーーアウン・サン・スー・チーをどう思う?オレは、彼女が政権をとっても国を運営することはできないと思うんだけど。(p.140)
ーー民衆がスー・チー千姫を熱狂的に支持している理由は……彼女がアウン・サン家康の娘だからだ。……このように幕府対倒幕派は……「お家騒動」の側面もあるのだ。そして、そのいちばんの証拠は、スー・チー千姫が少数民族問題について、何一つ具体的な提案をしておらず、少数民族のリーダーたちとそのテーマで議論をすることすら拒んでいる現状だ。(p.66)
なるほどねー、と思った。
何の知識も先入観もなく(映画『ビルマの竪琴』を小学生の時に見たくらい)「なんかまたミャンマーがよくニュースに出てくるなぁ。よし、読んでみるか」くらいの感覚で読んでみた。結果、大変に面白く、勉強になった。
かつて、スー・チー氏は自由の女神みたいに報道されていた。のに、国のトップに立つや否やロヒンギャ問題で叩かれるは、カレン族の動きは不穏だわで「わけわからん。何でそうなる?」と思っていた。そういう理由だったか。
つまり、彼女にはアウン・サンの孫娘という血筋と西側の思想はあるけれど、ミャンマーの多民族国家を多様性を保ったままに舵取りするプランは最初からなかったわけね。本書は15年前に初版が出てるけれど、今の混乱ぶりを見ると、現在も冒頭の指摘とさほど変わらない感じなんだろう。
大手新聞や国営放送は「民主主義の危機でござる‼︎」と喧伝するのに忙しそうだけれど、内幕のところは語ってくれない。セイギノミカタを演じることでお金もらってるのだから仕方ないけど。
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読書順として~
「西南シルクロードは密林に消える」⇒「河畔に標なく」⇒「ミャンマーの柳生一族」
正当な順だったと納得☆彡
高野さん、船戸さん、何れも読んできた内容はほぼ外れなく、楽しませてくれた。
船戸さんの作品がもう、読めないのが淋しいけれど。
日本軍の統治、ビルマの竪琴、収容所の実態は一つ前の世代なので詳しく知らないが、アウンサンスー・チーさんは何かとニュースで耳にしたくらいの知識しかなかったビルマあらためミャンマーという国。
不安定な政権と言う位しか解らなかった内情が1作目でかなり頭に入り、位置的に、不安定な情勢に絶えず悩まされ揺れ続いてきたという事が見えた。
この作品の最期にもあるが『この顛末記ルポ』で「河畔に標なく」の中身は出来たようなものだと言う船戸さんの凄さを改めて認識、凄い。確かに中身も血と、怒涛と、性的なものと死体。。凄いけれど何時もの船戸節。
高野さんの文は面白く、ファンには申し訳ないが、そこいらの純文学が霞んでしまうほどに巧みな比喩が健在。漢字で「木が二本で林」「三本で森」になる。それを現実化しているのがミャンマーとは巧い事を言う。
複雑なミャンマー情勢を柳生一族がいた江戸時代、諸藩になぞらえて語っているから分かり易い。
ミャンマー潜入のルポの副産物として「今は亡き船戸氏の人間録」ともなっている。
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『世界の辺境とハードボイルド室町時代』の中で紹介されていたので読んでみた。テンポよくスルスルとあっという間に楽しく読め、ミャンマーの地理と民主化以前の国情をザックリ掴むのに役立つ。民主化が後退しつつある今、ミャンマーの今後について考えるために読んで損はない。
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「高野秀行」の面白おかしいノンフィクション作品『ミャンマーの柳生一族』を読みました。
紀行は、昨年11月に読んだ「村上春樹」の『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』以来ですね。
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旅行ガイドは軍情報部!?
爆笑必至の珍道中記。
探検部の先輩「船戸与一」と取材旅行に出かけたミャンマーは武家社会だった!
二人の南蛮人に疑いを抱いたミャンマー幕府は監視役にあの「柳生一族」を送り込んだ。
しかし意外にも彼らは人懐こくて、へなちょこ。
作家二人と怪しの一族が繰り広げる過激で牧歌的な戦いはどこへ…。
手に汗握り、笑い炸裂。
「椎名誠」氏が「快怪作」(解説)と唸り仰天した、辺境面白珍道中記。
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軽めの本が読みたくて本書を選択… ふざけたタイトルに目を奪われてフィクション作品だと思って買ったのですが、、、
実はノンフィクション作品… こんなエンタテイメント性のある旅行記は初めて読みましたね。
■前口上
■序章 ミャンマーは江戸時代
・ミャンマー柳生、おそるべし
■第一章 アウン・サン家康の嫡子たち
・柳生、仕事すべし
・幕府にたてつく人々
・幕府の豆鉄砲狩り
・ミャンマー幕府成立とスー・チー千姫
■第二章 柳生三十兵衛、参上!
・柳生三十兵衛、参上
・謎の男は「裏柳生」
・柳生一族、懐柔作戦
・かけがえのない「元麻薬王」を大切に
・スーパー外様「ワ藩」別件
■第三章 たそがれのミャンマー幕府
・中国がアメリカに見えた日
・武家社会はつらいよ
・鎖国の中の国際人
■第四章 柳生十兵衛、敗れたり!
・アウン・サン家康の風呂場
・柳生と老中の死闘
・ミャンマーのシャーロック・ホームズ
・柳生十兵衛、敗れたり
■終章 柳生一族、最後の戦い
・キン・ニュン宗矩はタカノを知っていた!?
・柳生一族の没落
■あとがき
■解説 椎名誠
2004年(平成16年)に著者の「高野秀行」が、冒険小説作家「船戸与一」の取材旅行に同行する形で、ミャンマーを旅行した際の様子を描いたノンフィクション… 解説の「椎名誠」が「快怪作」と表現したほどのユニークな辺境面白珍道中記です、、、
本書では、当時、軍事政権だったミャンマー政権を、武家社会で鎖国政策を取っていた江戸(徳川)幕府に例え、軍情報部のミャンマー人たちを、「徳川家」の隠密になぞらえて「柳生一族」と称しています… そして、「アウン・サン」は「徳川家康」、「スー・チー」は「千姫」となるという奇抜な発想により、一見すると、バカバカしい旅行記のように思えてしまいますが、時折、吹き出しそうになる場面を盛り込みながらも、ミャンマーの国政や国民性について、丹念に書き込まれており、ミャンマー入門とも呼べるべき作品に仕上がっていましたね。
識字率が高く読書大国であることや、都市部に住んでいて���鎖国により外国人との交流機会はないし、他地域との交流がない辺境の少数民族が多いにも関わらず社交性に富んでいること等が、面白おかしい文書の中で、その理由等も含め鋭く考察されているのが印象的でした… こんな面白い紀行は初めてですね、、、
これまで遠く感じていたミャンマーが、少し近くに感じられるようになりました… 行ってみたいな。
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いつものような、純粋に自分の探検道中記ではなく、探検部の先輩・船戸与一との取材旅行での記録。……というか、旅行中に出逢った現地の人たちとのやりとりをからめつつ、ミャンマーの政治や現状(2004年当時)を江戸時代に例えておもしろおかしく、かつ分かりやすく説明する内容でした。最近ではさらにクーデターが起こり、未だ激動の国であるミャンマー。その国の成り立ちを楽しく知る入門編として最適。
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高野氏離れが続いていたけど、先日の『語学の天才まで1億光年』によって長い眠りから覚めた。
自分への快気祝いにと今回手に取ったのは、世にもおどろおどろしいタイトルと表紙が特徴の本書。(相変わらず、刊行年順関係なしに読んでいくスタイルをキープ)
いつものことながら、彼の文筆にかかれば恐怖は軽減され、寧ろ愉快な気分にさえなっていた。
早大探検部の先輩で作家の船戸与一氏とミャンマーへ取材に出かけた著者。今回は珍しく観光に近い合法的な旅行なのかと思いきや、そんなはずはなく。題して「柳生一族と過ごすミャンマー辺境14日間」の旅だ。
ここで早速、謎のワード「柳生一族」が登場。これは現地の軍情報部を徳川家の大目付であった柳生一族に準えた、高野氏による例えである。彼らの監視下で著者と船戸氏は取材をすることになったのだ。
彼は事あるごとに人や事物の呼称を独自開発しており、例えば政治の実権を握るミャンマー国軍を「徳川家」。他にも「江戸ヤンゴン」「大坂マンダレー」と双方の第一・第二都市をくっ付けたり等しているが、それらが妙にイメージしやすい上にしっくりくるもんだから侮れない。
内容よりも先に彼の秀逸なネーミングセンスに度肝を抜かれていたが、船戸氏の「(下調べや細かいことは気にしない)行けば何とかなる」マインドにも実は感心していた。
特にツアーに同行した柳生一派とお酒を酌み交わすシーンは痛快だった。ある程度考えていらっしゃるとは思うが、後は成り行き任せで現地に溶け込むというのが本当にお上手。時には現地の人まで(意図せず)翻弄する。そのスキルの高さに何度も衝(笑)撃を覚えた。
性格がほぼ真逆の高野氏とは抜群のバディだったんじゃないかな。この2人にかかれば柳生一派の監視役も大したことなく見える笑
自分も抗議デモの勃発する数年前にミャンマーを訪れたことがある。
しかし、料理は日本人の口に合うまろやかテイストのものが多く、国民性はどことなくおっとり穏やかというしょぼい感想しか持ち合わせていない…。
そのせいか、昨今のデモや「柳生一族」・更に主君の「徳川家」に見られる不穏な影と実際目にしたミャンマーがなかなか結び付かずにいる。(本書の旅は色々と腑抜けて見えたが、後日談の「政変」にて一気に意識を持って行かれた。道中では味わうことのなかった胸のざわつきも感知したし)
ミャンマーの国民性について自分にはおっとり穏やかだと映ったが、高野氏は対等な立場同士だと非常に社交性・国際性が高い人々だと書かれている。(事実、一派への緊張感も次第にではなく、急激に薄れていた)
民族と宗教の多様性がそれらを養っているというのが何もかもを見てきた著者の推測であるが、それらもまた彼らの寛容さ・穏やかさに直結しているのかな。
彼が実際目にしたミャンマーを自分も恋しがっている。