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日本人は、宗教なしに道徳をどう学ぶのか―こうした外国人の疑問を受け英文で書かれた本書は、世界的ベストセラーとなった。私たちの道徳観を支えている「武士道」の源泉を、神道、仏教、儒教のなかに探り、欧米思想との比較によってそれが普遍性をもつ思想であることを鮮やかに示す。「武士道」の本質をなす義、仁、礼、信、名誉などの美徳は、日本人の心から永久に失われてしまったのか?日本文化論の嚆矢たる一冊を、第一人者による清新かつ平明な現代語訳と解説で甦らせる。
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大きな名誉と大きな特権を持つにつれて、責任も重くなる。
ヘブライ文学では作者が紙のことを語っているのか、それとも国家のことなのか、天国のことなのか、エルサレムのことなのか、救世主なのか、その民族なのか、これらを見分けることがしばしば困難である。
学問の専門家は、機械のようなものだとみなされた。血性自体も倫理感に従属するものだと考えられた。武士道はそのような知識を軽視した。知識の獲得は目的ではなく、智恵に至るための手段であるとした。
義は自分の身の施し方を道理に従い、ためらわず決断する心を言う、死すべき時に死に、討つべき時に討つこと。
仁とは人である。仁がなくても一国を支配を及ぼしたものはいる。しかし、この徳なくして天下を入れたものを聞いたことがない。
仁は優しく、母のような徳である。まっすぐな義と厳格な正義が特に男性的であるとすれば、仁が施す慈悲は女性的な優しさと説得力を持つ。
ヨーロッパでは、キリスト教が戦場の恐怖のさなかにあっても憐みの情を喚起する役割を果たしたが、日本においては音楽や文学のたしなみが果たしたのである。優しさの環状を安ナウことで、他人の伊丹に対する思いやりが育つ。
礼と仁は検挙を同期として生まれ、他人の感受性に対するやさしい感情によて始動するのだから、いつも優雅な同情新として現れる。
哲学と文学は武士の学習の主要部をなした。
仁は本来的に王者の徳であり、いわば大名の心得である。
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「恥」をかかず、「名誉」を重んじれば、かっこ良い生き方ができそうだ。
今の日本人が忘れがちな事だ。
「礼」もしかり。
できなければ低い人間と見られる。
日本人は良い道徳をもっと伝え続ける必要があると思う。
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現在も静かなブーム(笑)を呼んでいる「武士道」論の嚆矢。矢内原忠雄の訳が定番ではあるが、最近、山本博文によるかなりこなれた訳が出された。さらに武士道について探求したいのならば、『葉隠』、『甲陽軍艦』、菅野覚明『武士道の逆襲』などにもトライすべし。(2010:柳田洋夫先生推薦)
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日本人が外国人に向けて書いた初めての日本文化論。
「武士道は、わが国に根ざした花である。それは、私たちの間にあって、いまだに力と美を持つ生きた存在である。そしてそれは、なんら実態的な形を持たないが、道徳的雰囲気の香りを漂わせ、私たちがなおその魅力の下に置かれていることを気づかせてくれる」
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以前読んだ内田樹氏の著書の中で、新渡戸稲造の「武士道」の一文が引用されていたのを覚えていて、先日本屋をうろついている時に思わず衝動買いした本。新書本の帯にも、内田樹氏の推薦の言が記載されている。
新渡戸が外国人に対して日本文化の礎としての「武士道」を英語で書いたものを逆輸入している本。
山本博文氏が、原文どおりではなく、新渡戸が採用したであろう原典を調査し、その言外の意味も含めて訳文を作っているのでしょう、とても読みやすく、理解しやすい文章でした。
内容的には、「武士道」とは何ぞやを、外国人が理解しやすい、海外の事例との比較をしながら解説していくスタイル。日本についてもたれていた「野蛮な国民」という誤解を解かんがために書かれた本ということで、日本の文化や風習が、西洋の慣習や哲学・思想とも通じる価値を持ったものであることを丁寧に書き下している。
ただし、訳者の山本氏の解説にもあるが、この本が書かれたのは、日清戦争後間もなくということなので、武士社会崩壊後。つまり、新渡戸自身、本当の意味での武士道を実体験している訳ではなく、ある種の郷愁を抱きながら、過ぎ去りし時代を美化して書いている傾向は否めない気がする。
また、武士道として紹介されている価値観が、必ずしも武士特有のものではなく、日本人なら誰もが共有していたであろうものもたくさんあるような気がする。
そういうことを差し置いても、あの時代に、客観的な手法で、日本の文化を理路整然と可視化したことは、大変な功績だと思う。
私自身がそうなのだが、学校教育の場で、新渡戸稲造という人物について、あまり深く学ぶことはないように思う。しかし、本書が当時果たした役割の大きさを考えれば、本書の内容とともに、もっとフォーカスされても良い人物であるような気がする。
少なくとも、ワタシには、「温故知新」的な新しい発見のあった読書でした。
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さすがに時間がとれなくて時間かかってしまった。。 この時代の日本人の道徳観。読みづらいけど読んで損はなしかなと。やっぱり死の文化なんだよね。1:1.414の文化だったのよねーもはやかけらも残ってない気もしますが。
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義 武士道の礎石
勇 勇気と忍耐
仁 慈悲の心
礼 仁・義を形として表わす
誠 真実や誠実を伴った礼 嘘×
名誉 命以上に大切な価値 「恥」
忠義 武士としての生き方
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外国人に向けて書かれた昔の日本人の道徳感だが、現在読んでも見習うべき姿勢が多い。英語版も読んでおくべきだと感じた。
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新渡戸稲造の『武士道』を、現代人が読みやすいように翻訳された一冊。
日本人が外国人に、日本の文化を紹介するために初めて書かれた本だというのが、この『武士道』だ。初版から全世界でベストセラーになり、多くの人に読み継がれている。
日本の文化を学ぶために読み始めたが、「忠・義・仁を重んじ、なによりも名誉を大切にする」と言われた日本人の心は、つい最近まで読んでいた三国志の武将たちとも通じるところがあった。
発刊された当時から、武士道は滅びつつあることがわかっている。それでも、形を変えながら日本固有の文化として根ざしていくはずだと新渡戸は考えた。いまの日本にはないのか、それともルーツとして眠っているのか。そういったことを考えるのも面白い。星3つ。
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岩波文庫の「武士道」と比べたわけではないが、こちらの現代語訳の方が分かりやすい気がする。
とは言っても新渡戸博士の縦横無尽な“博学”についていくことは難しい。
ただ、100年以上前に書かれた日本人論、日本文化論は現代でも色あせないし(時代の限界はあるが)、忘れてはいけない魂がある。
継続して読み続けていきたい。
ちなみに本書は15歳の長男の誕生日に贈ったもの。
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新渡戸稲造が本著を記すきっかけとなった出来事のひとつとして、西洋人から宗教教育のない日本でどうやって道徳教育が授けられるのかと問われ、即答できなかったことが上げられている。よって本著は、開国間もない日本・日本人とはかくありなんということを西洋人に誤解無く認識させることを目的としている。
どんなに世の中のスタンダードが西洋近代化していても、どこかすんなり受け入れ難く感じる事があるのは何故か。それは私達が、自分でも意識しない心の奥底に武士道の精神を携えているからではないか。
こうした点から、本作は西洋人だけではなく現代の私達自身が、自らの持つ道徳観念の由来を知る手掛かりにもなる。
武士道が表立って日本人の精神論として語られないのは、武士道そのものが沈黙や謙遜を美徳とし、多弁を好まなかったから。だからといってそれが現代の価値観に合わないとは私は思わない。誇るべきところは誇り、学ぶべきところは学ぶ。その柔軟さは必ず真理をつく近道であり、また真理はいかなる価値観や精神にとっても近しいものだと思うから。
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内容が難しくて読むのに時間がかかった。日本人の道徳感、日本的思考の源泉の武士道をなんとなく理解した。贈り物を渡すときに謙遜して言う「つまらない物ですが」も逆に失礼という風潮もあるけど悪いものでもないなと思えた。それにしても僕には武士道は残ってないなぁ…。
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日本人が書いた文章なのに、母国語による本人の原稿が残っていない
というのもなんだか不思議である。
この本はわかりやすさを心掛けて訳されたものだそうで、確かにわかりやすく、読みやすかった。
宗教がないのに何故道徳を教えられるのか。
言われてみれば、確かに中々即答の難しい問いかもしれない。
胆を練るということは、今の日本ではあまり馴染みがない気がした。
朝ご飯も食べすに裸足で冬の朝から師匠のところへ稽古に行ったり
公開処刑を見にやらされたりなど
現代日本でやろうものなら雑多な問題が出てきそうだ。
なぜ胆を練るのが必要なのか。
有事に慌てず騒がす、冷静に行動できるようにする為。
そもこうした”有事”について考えている日本人が、少なくなってしまっているだろう。
自分が日本史に興味を持てたのは、先生が
教科書には無い様々な話をしてくれたからなのだが
この世の名残に笛を吹く若武者の首を、泣きながら刎ねた敵方の武者の話をしてくれたこともあった。
死に直面して歌を口ずさむことの美しさ。
単純に歌が雅だということだけでなく、歌うことのできる胆力、
歌わせてやろうとする敵方の思いなど
感銘を受ける点は多い。
『合戦は、単に野蛮な暴力の争いだけではなく、同時に知的競技でもあった。』
という言葉に成る程と感じ入った。
封建制について、日本人ですら否定的な見方をする人が多いのが、予てからの疑問である。
封建制と専制政治は同じでは無いというこの書の書き方には非常に頷くところが多かった。
封建君主は臣下に義務を負うと考えなかったが、祖先や天に対し強い責任感を抱いていた。天に民の保護を委ねられたと考えていた。
実に日本人らしい責任感であると言えよう。
天や祖先に恥じぬ正しい行いをした者が長であった封建制は
専制政治とは違うものであろう。
『武士の情け』は言葉こそ今でも使うものの
意味まで正確に伝わっているかというと怪しいかもしれぬと思う。
情けとは単なる慈悲ではなく、正義に対する適切な配慮を認識し、生殺与奪の権力を背後にもった慈悲である。
日本人でありながら、英語で
しかも当時ですら廃れつつあり、新渡戸氏も廃れるであろうという予測を持っていた武士道を
ここまで的確に異国の人に伝えたというのは
本当にすごいことであると思う。
たとい内容がまったく正確でなくとも
"Bushido"という単語が海外で通じるというのはすごいことだ。
現代の日本人は今一度、この著作のように具体的に例をとって考えつつ
武士道とはなんであるのかを見つめ直さなければならないと思う。
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願わくば、われ太平洋の橋とならん
教育者にして世界的ベストセラー、武士道の著者であり、国際連盟の事務次長ともなった新渡戸稲造。