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【目的】
学生時代の知識欲を取り戻す
【引用】
・幼子から青いひとまで、共通しているのは、ことがらには1つしか真理がないこと、そしてその真理はいまあきらかに「われ」の側にあるという確信だろう。
・人間の弱さはそれを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいてずっとよく現れている。
・…いま起こっている理解困難な問題、その本質が誰にもまだ見えていない問題を、自分がこれまでに手に入れた理解の方式で無理やり解釈し、歪めてしまうというのは最悪の対処の仕方であろう。
【感じたこと】
鷲田清一を追いかけて10年以上経つ。どこかで読んだことのある文章だと思いながらもどこで読んだか思い出せない。
自分は成長しているだろうか。同じ場所をぐるぐると回っているだけではないだろうか。このように問うこと自体が、この本の言わんとするところなのだろう。
【学んだこと】
問い続けること。問いの答えを探すことよりも問いの意味を考えること。
自立とは1人で立つことでもなく、支えあうネットワークの中で「助けてくれ」と声を上げれば、すっと手を差し伸べてくれる。そして自らも差し出すことができるようになること。見ず知らずのなじみのない人とも上手くやってゆけるように自分を鍛えること。
【行動】
問いを発し続けること。
問いの意味を考え抜くこと。
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〝ほんとのところよくわからない、とほんとうに思うようになるのが、ひょっとしたら老いのしるしなのだろうか。
死ぬ前に、理解できなくとも納得だけはしておきたい。自分がここにいる、いた、という事実を。
あるいは、ついに理解できなくても、このことがわからないという、そのことだけはわかっておきたい……。
近ごろ、しきりにそう希うようになった。〟
と、いう書き出しではじまるこの本は、「モードの迷宮」や「じぶん・この不思議な存在」の頃とはまったく異なる雰囲気を発している。
〝老い〟というものを見つめだしたからだろうか、その文章からは不思議な魅力が漂ってくるように思える。
文章が成熟しきっていて、一文一文を読むたびに感動してしまう。いつか自分もああいう文章を書けるようになりたい。
しかし、あまりに文章が上手であるということは、同時に大きな危険性をはらんでいる。
完璧な文章で書かれると、内容までなんだか完璧に思えてしまう。批判しようとする視点が失われ、無批判にそれを受け入れてしまいがちになるのだ。
その点は気を付けながら読まないといけないな…と常々思う。
(篠崎)
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パラドックス。反対側から見るとまた別のものが見えてくる。新鮮なのに、違和感なくすとんと落ちる内容。盲いだ眼をふわりと優しく啓いてくれる文章です。
先日、初めて鷲田先生の講演を聞きました。静かな語り口ながら、なかなか厳しい。聴衆が年配の方ばっかだったのはどうなんだろうか。若者にこそ届いてほしいメッセージが届いていないとしたら、残念。
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responsibilityとかhospitalityの意味についての話が、なるほどなぁと思った。意味をただ探すのではなく、保留してみるというのも一つなんだなと思う。特に意図したわけではないけど、医療や子育てにつながる話があったのが大きな収穫でした。
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http://kumamoto-pharmacist.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-4189.html
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問いについて問う―意味について
こころは見える?―ふるまいについて
顔は見えない?―人格について
ひとは観念を食べる?―生理について
時は流れない?―時間について
待つことなく待つ?―ホスピタリティについて
しなければならないことがしたいこと?―責任について
所有できないものしか所有できない?―自由について
同じになるよりすれ違いが大事?―コミュニケーションについて
できなくなってはじめてできること?―弱さについて
憧れつつ憎む?―家族について
未熟であるための成熟?―市民性について
わかりやすいはわかりにくい?―知性について
著者:鷲田清一(1949-、京都市、哲学者)
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生きがい、やりがい、働き甲斐、人は何かをするときに、それをすることの意味を問う。あるいは自分はなぜここにいるのか、自分がここにいることに何の意味があるのかという意味を問いただす。今、自分がやっていることの意味がわからないのは苦痛である。
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「自由」、「家族」、「市民性」、「コミュニケーション」といった13のテーマについての考察。
特に「時間」についての話で、時を流れていくものとして捉えたところで、どうしてその流れを自覚できるのか、自分もその流れの中にいるのに、というあたりが面白いと思った。時を区切ることで時が駆られる、というのが面白い。うちの親は空いている時間は常に旅行に芝居に映画にと忙しく過ごしているが、この忙しさを作るのは時を駆るためではないかと思う。仕事をしないと自分から区切らないといけなくなってしまう、という例を表しているようだ。また、「責任」についての部分で、「何にでもなれるということは、あらかじめ何も決まっていないということ、(中略)自分がしたいことが見えないかぎり、何にもなれないということである」(p.94)の部分もなるほど、という感じ。この世の中、自分の生き方について何でもいい、とかよく分からない、という人は淘汰される、とまで言ってしまうと言い過ぎだろうか。でもこれと決めて、あるいはこうしたい、と思える人が圧倒的に強いことは確かだ。そう思えるように「キャリアデザイン」なんてことを考えなきゃいけないんだから。という、思考することの面白さを与えてくれる本だった。ただこういう文は高校の時に現代文なんかで読んでもめんどくさいと思うことの方が多かったが、今読むと面白いと思う。(14/06/--)
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[ 内容 ]
ひとはなぜ、自由が拡大したのに不自由を感じ、豊かな社会になってかえって貧しさを感じるのか―現代人は、このようなパラドックスに気づき、向き合い、引き受けねば幸福にはなれない。
「自由」「責任」の本質は何か。
「弱さの力」とは何なのか。
哲学の発想から、常識とは違う角度からものを見る方法を、読者とともに考える。
人々と対話し思索を深める“臨床哲学”を実践してきた著者が、複雑化した社会のなかで、自らの言葉で考え、生き抜いていく力をサポートする。
[ 目次 ]
問いについて問う―意味について
こころは見える?―ふるまいについて
顔は見えない?―人格について
ひとは観念を食べる?―生理について
時は流れない?―時間について
待つことなく待つ?―ホスピタリティについて
しなければならないことがしたいこと?―責任について
所有できないものしか所有できない?―自由について
同じになるよりすれ違いが大事?―コミュニケーションについて
できなくなってはじめてできること?―弱さについて
憧れつつ憎む?―家族について
未熟であるための成熟?―市民性について
わかりやすいはわかりにくい?―知性について
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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大学受験を控えた者が必ず通る道にいる鷲田さん。
現代文の問題で苦労した記憶があります。
心に余裕をもって読んでみると感じられるところが多くあります。
高校時代の自信のなさからくる焦り。言いようのない不安。自分の存在意義のゆらぎなど…。
私は落ち着かないまま高校時代を過ごしました。どうすれば、焦りから解放されるのか、何をすれば自信がつくのか…。
こんなことを感じる人がいたら読んでみてほしいと思います。
考え方の根本から見直すことができます。
きっと心の処方箋になります。
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苦手な鷲田さんに少しでも慣れるため、
意識して彼の著書を読むことにする。
でも、わかったような、わからないような。
まったくわからないのなら、
こんなに苦しまなくてすむのに・・・
自分の読解力不足に打ちのめされるわ。
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NHKラジオ『こころをよむ』の講義テキストを加筆訂正した本です。「意味について」「ふるまいについて」「人格について」など、13のテーマをめぐって議論がなされています。
「臨床哲学講座」というサブタイトルが示すように、われわれの生活に密着したところから著者らしいしなやかな知性が静かに歩みを進めていきます。哲学的エッセイですが、池田晶子のような力みは感じられません。そこに、少しもの足りなさを覚えてしまうこともあります。
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旅のお供の一冊。
さくさく読める本でした。
「ネガティブ・ケイパビリティ」につながる内容だったので、今の私にぴったりでした。
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所有できないものしか所有できない?―自由について が一番印象的で発見があった。ただし、臨床哲学というコンセプトには疑問がある。哲学はカウンセリングではない。そこを勘違いしている人は結果的に不幸になるケースが多いように思うが。
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タイトルに惹かれて読みました。先に読んだ同著者の「〈ひと〉の現象学」とほぼ内容が被っていましたが、解りやさすさ(ライトな切り口)はこちらの方。「生きてゆくうえでほんとうに大事なことには、たいてい答えがない」として、それを問うこと自体に意味があると言う。解らないことに出会った時、それを安易な、解りやすい論理に当て嵌めて解ろうとしないこと、解らないまま、正解がないまま、いかに正確にそれについて対処するのが大事だとも。物質的に豊かになった現代社会は「速い」ことが「善」とされるだけに、何でも「早く」(速く)どうにかしなければという思いに駆られがちだ。確かにスピードを要される物事もあるけれど、何かをじっくり「思考する」「待つ」という姿勢も忘れてはいけないように思う。