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2冊目(1-2)
担当していたカルロス・ゴーンがレバノンへ行ったので読んでみました。この本を読んでる最中にもカルロス・ゴーンの会見が行われたが、日本の司法に対してゴーンが行ったことと全く同じ事が書かれていた。
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カルロス・ゴーン氏逃亡により一気に注目を浴びている弘中弁護士による著書。ゴーンで悪いイメージがついてしまったけれど、この方は正しい弁護活動をしてらっしゃってきた。村木さんはその代表例。ゴーン逃亡で落ちた印象が世間にはあるだろう、が、この著を読むと、この人が根底に持つ信念がよくわかり、この人のぶれない魂は尊いもので、このような弁護士がいることで世の不正は正されるのだろうと思う。彼の主張は一貫しているし、そもそも謙虚だ。無罪請負人と呼ばれることに違和感を感じていて、すべての事件で無罪を目標にできるわけではないと現実的で、ケースによって何が何でも無罪獲得というものでもない。無罪獲得の数を競うものでもない。彼は依頼人とよく話して、この人は真実を話している、そう思ったときに依頼を引き受ける。嘘をつかない、人を陥れない、というごく普通のことを掲げている。が、その普通のことが普通に行われないのが刑事事件における検察のやり方で、彼はここに異議を唱える。この著に出てくる話は彼の実体験ではあるものの、彼の視点でしか語られていないため、検察側の主張を聞く必要があるが、彼のような検察に鋭く対峙する弁護士は必要であるしがんばってほしいと思う。シンプルに、この先生は、人間として信頼できる、と思った。また、刑事事件は真相究明が目的ではない。被告を処罰するかどうかと言う証拠集めをする。一人の人間がターゲットとなり裁いて解決するケースがどれほどあるか。仕組みを改良するという選択肢がない矛盾を指摘し、気づかせてくれた。これから刑事事件が起きた時、それはそもそも一人の人間の問題か、という目線で見ることができるようになったのが、この本での学びである。
また、誠実に、強く生きること。万が一自分が冤罪に巻き込まれ拘束されるようなことがあったとしても、検察のストーリーを否定し続ける気力と勇気を持つこと。それには周りのサポートが欠かせない。一人で戦っていると心が折れる。サポートが得られる人というのは、それまでの生き方に嘘がなく、いろんな人がサポートをくれる人だ。いざという時助けてくれる人がいるかどうか。自分を振り返った。
ただ一方で、やはりゴーン逃亡のインパクトは大きい。ゴーンが逃亡した今、弘中氏のいくつかのコメントに、著者はどう思うんだろう。
・「無罪判決を得るには、弁護士が無罪を確信出来るかどうか。少しでも疑問を持てば事件を新たな角度から見たり有利な証拠を探したりする意欲がなくなる。」…著者はゴーンの無罪を確信して弁護の仕事を受けたのだろう。逃げたゴーンに今何と思うか。
・「逃亡すること合理的に推測する出来るケースは稀ふ」…その稀な逃亡をしたゴーンに何を思う…
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衝撃的だなー。正義はどこにあるのだ。国策捜査は冤罪の温床だと!?(((( ;゚Д゚)))
P79 その意味で刑事事件では、当人がそれまで送ってきた全人生、人間性のすべてが試される
P85 国策捜査とは検察、なかでも得喪検察が、ある政治的意図や世論を動かすために進める捜査を指す。たまたま犯罪があることが発覚したので犯人を逮捕・起訴するのではなく、何かの理由をつけて特定の人物を逮捕・起訴することを前提にすすめるのである。このため、恣意的な法律の適用や権力乱用的な操作を招きやすく、冤罪の温床となりうる。標的は政治家に限らない。官僚、経済人、学者、弁護士など、社会の中枢に位置する人物が対象となる。
P107 検察側が作成した調書に署名しなければ返してもらえなかった。「この場で一応サインして、法廷でいいたいことを話せばいい」と言いくるめられ、最後は疲れ果ててサインするーーーこれまでの冤罪事件と構図は同じである。
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ゴーンハズゴーンで有名な弘中弁護士。
この本はその事件に関わる前の著述。
書いてあることはいちいち納得。
裁判所は酷いが、やっぱり検察がひどい。
何時もではないと思う。やっぱり有罪率90%以上は、綿密な事前捜査に基づくものなんだろううが、所詮は官僚組織、上部組織の見込み違いが修正できない。
裁判は真実を争うところではなく、証拠の正否を争うゲームだってのは判るが、官僚組織が無辜の市民を、圧倒的な有利な条件の下でゲームを仕掛けて有罪にして、何が残るのか。
怖いわ。
ただ、国策調査って言葉は引っかかる。国ではなく、検察でないの?
で、この後ゴーンさんの事件でああなってしまったわけだが、それについての著書をぜひ書いて欲しいと思っている。
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今の人間社会において「法」というものが存在する中、「法学」については、固く陰険で、警察・検察の右向け右・これがルールだ的な秩序思想がどうも苦手で...、目をそらしてました。
そんな中、本書は「法」に堂々と向き合いつつ信念にブレが無いと感じた。検察、すなわち国家権力の不正・不当に明確な異議を唱えている。
(犯罪者を弁護するわけではないが)刑事立件されたら一般人は勝てる訳がないルールなのが本当によく分かり、腹が立つ。供述での弁護士立ち合いと可視化、こんな当たり前のことが実現されない現実に悲しくなってくる...。
しかし何といってもやるべきことは目を背けず知っていく努力をすることだろう。「次は我が身」の可能性は”ある”のだから...。
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・村木厚子さんの事件(無罪)。
・小沢一郎さんの事件(無罪)。
・鈴木宗男さんの事件(一審有罪→控訴審からの受任、有罪確定)。
・薬害エイズの安倍医師(無罪→控訴後公判停止)。
・ロス疑惑の三浦氏(有罪→逆転無罪)。
・虚偽診断書作成・同行使罪で起訴された医師(無罪→逆転有罪)。
・麻原彰晃の主任弁護人だった安田氏(有罪)。
これらはすべて弘中弁護士が担当した刑事事件で、この本に出てくる。特に村木厚子さんの弁護の話が面白かった・・・。検察の「悪事」のぼろが次々と剥がれていく様は、こういっちゃなんだけど、爽快。
小沢一郎さんと鈴木宗男さんの事件の国策捜査感。「国策捜査は時代のけじめをつけるために必要。時代を転換するために何か象徴的な事件を作り出してそれを断罪する」「揺さぶれば必ず何か出てくる、そこに引っ掛ける」、「捕まえれば、必ず事件を”仕上げる”自信がある」…そんな観点で狙い撃ちされては、たまらない。おそろしい。
そして、判決は無罪確定でも、逮捕や起訴や、そこに至るマスコミ報道によって社会的地位は不可逆的な大打撃を受ける。そんなのあり?!悔しい。
武富士の社長の代理人をしたり、薬害エイズの安倍氏を弁護したりしたことで団体のバッシングを浴びたりしたそうだ。
強者と弱者はそう簡単に分けられない。お金持ちであっても、医師の世界で権力があっても、刑事事件の被告としてみれば、マスコミと対峙すれば、弱者。このあたりを知って、弘中弁護士の信念がわかった気がした。
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弘中氏の記述をそのままは信じられないけれど
反対側の記述ばかり見てきたから混乱する
両方知っておきたい
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多分に筆者の反体制のイデオロギーが反映されているが、
多くは納得できることであり、検察への権力集中という構造的な問題や、人質司法、検察の誘導脅迫による自白を元にした供述調書偏重主義など、日本の司法制度の闇が理解できる。
こういった構造的な歪みを問題視することも重要だし,もっと身近な問題に置き換えて理解するのも重要だと思う。
たとえば、検察がマスコミと手を組んで、被疑者の段階である罪を確定的に報道することで、民意をコントロールできる。そしてマスコミの悪意のある報道に飲まれた国民もその人物を叩き始める。
この構造はいじめの構造と同じである。
自分と違う他者を規程し,バッシングをしまくる。
いじめも単純な悪意以外に、自分以外のものに対する嫌悪や、何か嫌なことをされた人を罰するという正義感から始まっていることも多く、構造が同じ。
つまり日本人はいじめをする社会体質個人体質があり、
個人体質だけでいじめ問題を議論しても意味がなく、もっと構造的な根深いことであろうと思う。
それは日本人のリテラシーの低さ、思考力の低さ,問題意識の低さ、それに伴う感情優先の判断が原因となっていると思った。
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筆者の弘中惇一郎氏は弁護士。著名な刑事事件の弁護を多く担当。例えば、ロス疑惑の三浦和義氏、厚生労働省官僚の村木厚子さん、小沢一郎・鈴木宗男といった政治家、薬害エイズ事件の安倍英氏、ライブドア事件の堀江貴文氏、等、枚挙にいとまがない。このうちのいくつかの事件で、無罪を勝ち取ったので、「無罪請負人」と呼ばれ、それが本書の題名にもなっている。
本書では、それらの個々の事件の紹介もされており、それはそれでとても面白い物語であるが、一番興味をひかれたのは、日本の刑事司法の後進性について筆者が紹介している部分である。
2013年の話なので、かなり前のことであるが、国連で「日本の刑事司法は中世に近い」との指摘を受けたというエピソードが紹介されている。実際に筆者から見ても、日本の刑事司法の現実は前近代的であり、国際基準に照らしても相当に遅れていることは確かであるらしい。どういったところが前近代的なのかは、個々の事件と関連づけて本書の中で紹介されている。例えば、取り調べに弁護士の立ち合いが許されていない、自白主義、実質的に無制限で検察側の恣意的なコントロールの利く拘留期間、等である。これらの話を読むと、冤罪事件が起こっても全然不思議ではないなと思うし、実際に冤罪が起きるメカニズムも紹介されている。
本書で筆者が問題提起していることは、おそらく、随分と以前から多くの弁護士から指摘されていることだと思うのだが、そういったことが変わらない、あるいは、変わる兆しすら見えないこと自体が「中世的」なのだろうと感じた。
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政治家、官僚のお家芸の記憶にございません。はあれど、手帳に自分の予定を記録しておくのも自分を守るの必要なんですね。
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人質司法と日本国憲法は矛盾しているように見えるし、矛盾だらけのように思える。あまりにも危なっかしい制度になっているような気がしてならない。点数稼ぎの公務員は自己を正当化するために嘘をつく。だから、人質司法に対する評価というのは、行政の言葉ではなく、他の誰かの言葉を参考にすべきだと思う。
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カルロス・ゴーンの弁護人としてテレビで取り上げられ、
「そんなに有名な人なの?」と気になっていた。
ネットで調べてみると、なんと郵便不正事件や陸山会事件など、テレビで連日報道されていたあの刑事裁判の弁護人ではないか。
無罪請負人なんて、この人は一体どんな弁護活動をする人なのかと、無知のまま本書を読んでみたけれど、
真実を追い求め複雑な権力構造に立ち向かう姿に
なんと気骨がある人なのだろう、と心打たれた。
現場主義を貫き、仮説の実証や証拠集めのため奔走する姿は泥臭く、まるでジャーナリストのようで、
記者会見やニュース番組で流暢に解説する姿からはとても想像つかない。
本書では、弘中さんが担当した事件を基軸に、
事件の背景にある刑事裁判の問題点や国家権力の不正・不当について述べられている。
テレビで刑事裁判の報道を見ても、
「どちらが正しい・悪いのか」という二元論で物事を見がちで、その事件が権力にどう利用されてきたのか、その利用目的は何なのか、なんてことは考えない。
だけど、刑事事件の中には、その時の歴史的背景やなんらかの社会体制の転覆を狙って「刑事事件化」されているものがある。
検察によって作られたストーリー、隠滅させられる証拠、司法の現場は歪められ利用されていることを、
私のような一般人も知っておいた方が良いのだろうと思う。
刑事事件において弁護人が立たされる不利な立場、
さまざまな組織、人間の立場や利益に目を向けることが、情報の受け取り手として最低限必要なことなのだろう。