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いじめられたこともいじめられた経験もなく、平凡なことが唯一の悩みという香山リカさんは、現代人の心の病を追い続けている。辛淑玉さんは幼い頃、民族学校での差別を受け、アメリカで自身も教育を受けた経験をもち、現在は構造的弱者のために様々な支援を行っている。
アメリカと日本のいじめの違いとは何か?
民族差別がいまだ残るアメリカよりも日本のいじめの方が陰湿で辛いという理由は何か?
日本でのフリースクールやシュタイナー学校は本当にいいのか?
過酷化する競争社会の中で、これからの教育に本当に求められるものは何か?
二人の本音トークによって、教育の現実と理想を考えさせられる一冊である。
自分だけでなく相手をいたわる気持ちを改めて持つこと、いろいろな考えをもつ多様な人間社会で生きていけるような人間をどう育てていくかが今後の課題ではないかと二人はいう。
「日常を変えるには、小さなことでもいいからとにかく自分で動け、そして、自分で考えることが大事。」
心に響いた言葉である。
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いつの時代にも「いじめ」というものはあり無くなることはない。しかし、時代の流れを考慮して「いじめ」を読み解くことは大事なことである。
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差別の中に生まれ込んだ辛淑玉さんと、いじめ経験がないという自認で育って職業上いじめと出会った香山さんとの、対談およびそれぞれのエッセイ。それぞれの引いてくる事例(多くは当人がかかわっていて、単にメディアから拾った物の口先三寸批判でなく)も深く考えさせられるものがある。
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『いじめ』はいろんなところで問題になっているにもかかわらず、それについて、共感できる書物も意見も少ないのが現実です。
いじめの構造なんて説明されても、実際被害にあってる人の救いにはならないので、いつも歯がゆい思いばかりしてきました。
自分のつたない言葉では表現できないけれど、なにかが確実に間違っているという思い!
このもやもやしているけど、強い思いに答えてくれるのがこの一冊です!!
人間の基本中の基本に戻って、『いじめるな!』と叫ぶ必要性が、いろいろないじめについて二人によって真剣に話されています。
激しいまでに真っ直ぐな気持ちが、読んでいる者の心を打ちます!
いじめてる人、いじめられてる人、いじめに加担してる人、周りで見てる人、すべての人にこの思いを知っていただきたいです。
今の社会に必要な一冊!!!
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すごくためになった、私には。
わかっていたけれど、「(学校の)先生だからって全員の子供に等しく愛情を注げるわけじゃない」っていうのを言ってくれたっていうのは大きいと思うよ。
その上で「仕事として子供たちに関わっていくことはできる」という。
なるほどって思いました。
あと、儒教的考え方って意識していないけれど、はびこっているんだと思ったので、儒教をお勉強しようかと思いました。
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判官びいきという気質を持ち合わせている日本人であるにもかかわらず、弱い者いじめの根性が染みついてしまっている日本人であることを思い知らされる。問題が起きた時、加害者よりも被害者にその原因を求めようとする。すなわち「いじめられる方にも原因がある」と。そんなことがあるはずはない。どんなことがあろうともいじめる方が悪なのだ。辛淑玉さんの論はいつ読んでも小気味いいが、このたびは香山リカさんとの対談もあり、いじめについて臨床の現場からも知ることができた。
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おばさんの立ち話,という印象。
考察のレベルが感情論で何の役にも立たない。
こんな本で市民を扇動することに何の意味があるというのか?
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副題が
ー弱い者いじめ社会ニッポン
そこかしこに
この「いじめ」を助長し温床してしまう
「日本の今」が語られていく
我々が
今、できていないことが
何なのか
我々が
今、できることは
何なのか
新書の形だから
語れることもある
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「私は存在していていい、生きていていいんだ」という確信をいつも問う者として、そこにある「いじめ-いじめられ」関係の根っこは、共依存の関係である。
「意味があるなら生きていてもいい」生きるとは本来そんなものだろうか?では意味のある生とは?改めて生きるとはどういうことだろうか?考えさせられた。…そうやって自分の生の意味を常に確認する必要性にせまられている現代社会はいじめの温情ではないか?いじめは個人の問題ではなく社会潮流の中で咲く病理現象ではないかとさえ思えてくる。蔓延する社会病理の一形態として「いじめ」「ひきこもり」「自殺」問題。これはもはや個人の責任に帰すには大きすぎる数字になりつつある。そして満たされない自己肯定感から突き上げてくる問いに迫られて、今、グローバリゼーションの流れの中で、お互いの権利をどう考えていくか、違いをどう見つめていくか、哲学が文化に追いつかない時代にあって、もう一度、弱者とは何か、権力とはなにか?支配とは?を考えさせられた。
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読書レポート:「ネットの炎上力(文藝春秋)」「いじめるな!-弱い者いじめ社会ニッポン」 | デジたろうとピアノ http://digitaropiano.luna.ddns.vc/digitaropiano/?p=3505
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対談に短いエッセイが挟まっている、手軽なつくりである。
対談という性格上、いじめにたいする緻密な分析や批判とはなっておらず、会話の流れからの思いつきの言いっぱなしであるのはやむをえないかもしれない。が、最近の若者の犯罪動向等について、ワイドショーと同レベルの体感治安認識をしめしたり、アメリカの状況についても、「貧困大国アメリカ」を読んだあとでは、まともに取り合う気にもならないお粗末な称賛を与えたりしている点は見過ごすことが出来ない。
さらにエッセイ中で、福岡の家庭内殺人事件を日本型いじめの典型とする辛の見解はあまりにも粗雑だ。催眠術にも通じた加害者の心理操作によって引き起こされた事件であるのに、被害者達の性格に起因するものとして捉える論理には強い違和感を感じた。(もちろんその背景として日本社会の構造的問題があることは強調されてはいるが、そういう問題ではないだろう。)
もう少し濃い中身を期待していたのだが、残念ながら期待はずれだ。
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安倍首相について「神経性の胃腸炎ってズルヒケ(偽って早退する)の子とよく似ているよね」と書いてある箇所があった。原因がストレスだろうと本当に体調不良なのに信じてもらえなくていじめられた子どもとかが読んだらどう思うんだろう?と気になった。