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「ここは退屈迎えにきて」なんてインパクトのあるタイトルなのだろう。
地方都市に住む女の子の話。一連の話の中で椎名くんが出てくるのだけど、彼のその時の時代がわかって面白い。過去は誰もが憧れるカッコいい男の子だったのに、だんだんその欠片がなくなってきて普通になっていく様がとてもよい。
女の子の明け透けない感じがふむふむと共感できる部分もあって面白かった。
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山内マリコはズルいと思う。思っただけなので山内さんに怒られたらすいませんと謝るけど、ごめんなさい。デビュー作『ここは退屈迎えに来て』、二作目『アズミ・ハルコは行方不明』を読むとやっぱりその思いは加速する。R-18文学賞・読者賞を受賞して四年後にデビュー作が刊行されたので順調じゃねえしと言われるのだろうが出た当時にすでに話題になっていたのですぐに読んで思った。ああ、この人はなんかえらいとこに行くわって。
2011年の東日本大震災の後に出されたこの作品にある空気は地方から上京した著者の身近であり知っている風景(この国のロードサイドの景色はほぼ代わり映えがしないために固有名詞があってもないようなもの、歌で言えば浜崎あゆみやコブクロの詞のような世界)と山内さんが最低限のサブカルクソやろう(限りなく褒め言葉です)であることがわかる固有名詞が僕には比較的馴染みのあるものが多くて、遠くの親戚よりは近くの他人という感じで親近感が沸いた。
と同時にいわゆるサブカルクソやろう共がこの作品を読んで共感してめっちゃ褒めるだろうことも予感せずにいられなかった。これは二作目『アズミ・ハルコ〜』で使われるグラフィティアートを始める理由が覆面芸術家であるバンクシーが監督をした『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を観たからということや物語に出てくる少女ギャング団が結成された理由と言うか成り立った経緯が読み始める時にまさかなと思ったら最後にやっぱりそうだったから一瞬本を投げようかと思ったのは事実だが、どっちもシネマライズでやったやつやんけ!というミニシアター文化というものを受容した最後の方の世代にあたる山内さんや僕なんかからすれば東京でミニシアターの老舗はシネマライズというのはあるので、ぬおおおおおお〜やられたぜということになるわけで、山内さんの策略というかそういう固有名詞使いにまんまとやられてしまった。これは僕よりも上の世代にはもろにズッキュンな直球でやられちゃうんじゃないの?と思っていたらけっこうみんなやられていた。おそるべしマリコ。
椎名という『ここは退屈〜』に出てくる彼こそが山内マリコ自身なんじゃねえのと思ってしまうのは彼の存在は彼女たちの中で忘れがたい存在であるからだ。手に届かないけど微妙に身近な感じがするとか、スター性といえるものを生来持ち合わせている感じは実際の山内さんを見て思う事に通じる。この人絶対に文化系にモテるっていうものが、ゼロ年代の本谷有希子的ななにかがある。しかも自意識をきちんと処理して不自然さがない笑顔とか話し方とかたくさんの書店員や読者が虜になってまうw
R-18文学賞で道を切り開いているトップランナーは窪美澄さんだと思うが山内さんはその道をひょいと滑走路にして飛び上がっていきそうな感じである。空キレイーとかいいながら違う景色を見せてくれそうだし、やっぱりズルい。
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タイトルにゾッとして手に取った。一見ありふれた、日常の中の非日常を切り取った連作短編集かと思いきや、なかなかに凄いロードサイド小説。
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ここに収録されている8編の物語はどこかしら『あなた』の物語かもしれない。地方都市に住む男女の悲喜こもごもを見事なまでに描き出していると思います。こういう話はいつの時代もあるのかもしれませんが…。
ここに描かれているのはある地方都市に住む男女の『悲喜こもごも』を8つの物語に収めた連作小説集です。それぞれがものすごいリアリティがあり、正直なところ、自分自身と物語世界との『距離』を測り損ねていたく難儀してしまいました。
なんと言ったらいいのか…。この吹き溜まり感や、地方都市独特の『けだるい』空気。出てくる登場人物たちの『行き場のなさ』が全体を覆っておりました。ここでは主に女性の登場人物たちが物語の中心で、『3・11』の震災を機に10年にもわたる東京生活に見切りをつけて地方でライターをやっていたり、10代の頃は読者モデルとしてちやほやされるも、20代になって、徐々に仕事がなくなり、地元でスターバックスの店員をしながら婚活に勤しむ女性。さらには性転換をして、高校時代のあこがれた男の子に思いを打ち明ける大学院生。大阪の大学の寮室でアメリカの地方都市から来た女子留学生。年齢の離れた男性と逢瀬を重ねる女子高生。そして、16歳で処女を捨てようと躍起になる女の子…。これらの物語を読みながら、僕は学生時代のクラスメイト(現在ではすべて関係が絶たれて久しい)の顔を思い出し、
「まぁ、彼女たちも多かれ少なかれここに出てくるようなことを経験して今ではいいオッカサンになっているんだろうなぁー」
と、そんなことを考えてしまいました。
本書は連作集なのですが、物語全体を貫く存在として、椎名一樹なる男性キャラクターの存在があります。彼は子供の頃から学校の人気者で、サッカー部の花形選手という、まさに『日陰者』のような学生生活を送ってきた自分とは真逆というわけですが、それが高校を卒業して、実業団に入り、それがなくなってしまうと会社を辞めて遊びまわるようになり、大阪へと行ったり、地元に戻ってきてゲームセンターの店長になったりと、少しずつ彼の存在が色あせていくのです。
それを読んでいると
「あぁ、こういうことってきっとあるんだろうなー。実際」
と考えながら椎名君のことを思い浮かべ、
「あいつとアイツとあの野郎を足して割ると、丁度椎名一樹のようになるんだろうなー」
ともう二度と会うことはないであろう。もしくは顔を合わせたとしても口すら利くこともない昔の同級生のことを考えておりました。
結局の所椎名一樹君は自動車学校の教官という安定した職業に就き、結婚し、子供を作る…。そんな彼の10代から30代にかけての『軌跡』が描かれているのです。個人的には、椎名一樹の存在と彼の人生は、本書の持つもう一つのテーマではないかと勝手にそう思っております。かつて小説に『田園の憂鬱』と『都会の憂鬱』というものがありましたが、本書はその現代版ではないかと確信しているのです。
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帰る場所がある人たちは、
皆故郷に自分の片割れを残して、
外の世界に足りないものを探しにいく。
それは多分、私も同じだ。
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地方から当てもなく東京に出てきた私には本当にいたたまれないような気持ちにさせる一冊でした。
地方女子の鬱憤から妄想から憧れが詰まってます。
またもっと落ち着いた大人になって読み返したいです。
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ありふれた地方都市で、どこまでも続く日常を生きる8人の女の子。著者「今でも地元に帰るとこんな気持ちになります」
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地方であることを強調されていたけど、首都圏近郊で育った私でも共感できる部分が多かった。描写については好き嫌いはありそう。
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読み終わってすぐは、けっこうあっさり終わるなー、っと思ったけど、自分の中で反芻してみたら、どんどん泣けてきて、涙が止まらなくてビックリした。
自分は東京育ち東京在住だけど、身動きができない感じ、何者にもなれない感じ、私こんなはずじゃなかったのにという気持ちがふつふつと湧いてきて、、、
ふがいない僕は〜を読んだ後の感情に近いかな。
しいていえば、椎名の時間軸が逆ならもっと良かった。最初にしょぼくれた椎名を見せるんじゃなくて、ストーリーが進むに連れてだんだんと椎名の輝きが薄れて行く方が、ガツンとくる気がする。
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最近ではマイルドヤンキーが生息していそうな、地方都市が舞台の短編連作。
小説というより、ルポ新書を読んでいるような気分になりました。
地方の退屈感や、それをそこまで退屈と捉えていないけれど何か物足りなさを感じている若者たちの様子が、あるある過ぎてもう…。
都会でうまくいかなくて帰って来たり、周りをひがんだり、サブカルに被れて「あなたとは違うんです」オーラを出してみたりとか、とにかく痛々しい。
地方住みの人は、読むのが辛いのでは?
ただの地方都市小説で終わるかと思ったら、後半は意外な切り口に。
全編に何かしらの形で登場する「椎名くん」がいい味出ていました。こういう人、学校に1人は居るよなぁ。
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タラリンピスキーという章のタラリンピスキーというワードが、意味が分からないくせにすーごい響きが好きでタラリンピスキーとずっと言っていたいのだけど、調べたら女性フュギュアスケート選手で、そういえばそういうこと書いてたわ、と思い出してタラリンピスキー。
今年読んだ本の中でも上位に入るおもしろさ。そして地方都市の私にはこの本はホラーだ。
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集中して4時間で読み終わる本。
これは、ハマる人にはハマる。世代と出身地、日々の生活スタイルや価値観がハマらないと、肩すかしをくらった感覚になるかもしれない。
わたしは全てドンピシャ。なんともいえない、あえて感想を言うならエグい。
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ありふれた日常と、女の子の不安とかもどかしさとかを、素直に文章にしてくれてて、そうそう!わかるわかる!って共感はできるけど、それだけ。ありふれすぎてて、それ以上でも以下でもない感じ。文章が読みやすかっただけにちょっと残念。
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あらすじ紹介には「(略)ありふれた地方都市で、どこまでも続く日常を生きる8人の女の子。居場所を求める繊細な心模様を、クールな筆致で鮮やかに描いた心潤う連作小説」とあり、興味を持ちました。
不穏な雰囲気を感じる表紙の写真、何といっても「ここは退屈迎えに来て」というタイトルの秀逸さに惹かれます。
文章は軽く、横文字が多く読みやすいです。
特徴としては固有名詞がとにかく多いので、「鮮やかに描いた」というのがつまりリアリティがあるってことかな?と思いました。
その分、話も軽く、文体も求めていた感じと違ったので、勝手に期待して外れた‥という思いが強く出てしまいました。
どういう目線で捉えたら良いかというのもだいぶ悩んだので、いつも以上に不細工な感想です。
私も地方都市に生きる女の子(って歳でもないけど)ですが、わかるわかる~というよりはあるある!というぐらいの感じ方でした。
なぜかというと、私の育った町は確かに地方の田舎ですが、電車に乗れば1時間程度で都会という土地柄もあり、そこまで切り離された土地という閉塞感がないからだと思います。
また、私も昔はこんなところより都会で暮らしてみたい、と思っていたのですが、最近は住み心地のいい場所だと思うようになりました。
それは私の価値観が変わったというよりは、就職してある程度経済的に余裕ができたため、行きたい場所へ好きに行けるようになったからだと思います。
そんな女の子(笑)の感想です。
「私たちがすごかった栄光の話」
固有名詞のオンパレード。
こういうのって権利とか法的な問題ってどうなっているんだろう・・?と読んでいて疑問に感じるくらいでした。
最後のポエム、なんだかよくわからなくて…。
どういう感想を持つのが普通というか一般的なんでしょうか。
ポエムが世の中に溢れているとか、マイルドヤンキー論
とか最近の世相がばっちり反映されている‥のか?
「やがて哀しき女の子」
山下南が椎名の奥さんか、なるほど、すべての話がゆる~くリンクしていくのだな、と悟りました。
「地方都市のタラ・リピンスキー」
タラ・リピンスキーを知らなかったので、ロシア人の画家か作曲家だと思っていました。
わたしもオリジナル名言集を携帯にいれているので、ゆうこの気持ちはわかります。
あと、『新学期が来るたび、自分以外の人間には結局なれないことに、毎回絶望している者がいることなんて、椎名には想像もできないんだろう。』というところは良かった。
思春期に毎晩同じようなことを考えていました。今では何に思い悩んでいたのかよく思い出せないけど、自分の深淵を久々に覗いた気持ちになりました。
「君がどこにも行けないのは車持ってないから」
8人の女の子って書いてあったのに椎名の話しかしてないし、ゆうこは女じゃなかったし、あらすじに偽りありじゃない?と思えてきました。
それに『ルービックキューブの達人が目にもとまらぬ速さで色を揃えるように、あたしの頭の中がみるみる整理されていく』みたいな比喩が苦手だなあと思い始めました。
「アメリカ人とリセエンヌ」
これは気に入りました。路肩に車を止めて泣くところ。
「東京、二十歳」
これもよかった。
やっぱり思うだけではいけない、行動しなければ。
「ローファー娘は体なんか売らない」
心は売っているということ‥?
「十六歳はセックスの歳」
どうして最後にこの話を持ってきたのか…。
突然眠りに落ちて長い間目覚めない珍しい病気があるというのはテレビで見たことがありますが、誰にでも起きることではなく、現実的ではない。
リアリティにこだわってきたはずでは‥?
都市部に住む人はどんな感想を持つのか気になります。
可哀想と憐れむのか、こんなこと考えるんだって新鮮に思うのか、まったく感情移入できないのか…。
作家自身、富山県の出身で大阪の大学を出ていますが、それこそどういう気持ちで書いたのでしょうか。
自身の体験に手を加えたのでしょうか。
また、これがありふれた地方都市(とあらすじに書いてる)の姿と言い切るのは間違いだし、地方都市に住んでいるすべての女の子のバイブルにはなりえないと思います。
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最後の寝ちゃうやつが吹っ切れててちょっと楽しかった。ファスト風土っていうのは別に東京にいたって感じることだよね。そしてそれがこれから滅んでいくんだろうけど、それはとても希望の持てることかなあと思う。まあこの小説とは全然関係ないけどね。あと、世の中における椎名的なものに関しての理解がちょっと深まったきがしたよ。リア充ってのは、たぶん、二元論的に考えたときに、肉体と精神において肉体先行ってことなんだね。いや文字にして書くとものすごく馬鹿っぽいのでもうちょっとそのうち正確に書きたいとは思うけどね。