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著者はあとがきで、困窮邦人の存在を「自己責任」と考えるか「明日は我が身」と考えるかに分かれるとかいているが、自分は断然「明日は我が身」派だ。困窮邦人に限らず国内でも、自分がいつ貧困に陥るか分からない。そんな閉塞感をこの日本に感じている。
「幸せとは何か?」
この問いの答えは著者だけでなく自分にとっても一生のテーマかもしれない。この問いが出る事自体が実は幸せである事なのかもしれないが・・・。
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フィリピンには困窮した生活を送る何百人もの日本人男性がいる。彼らの生活に迫りながら、フィリピンと日本の両方を丹念に取材した質の高い一冊。
フィリピンパブにのめり込み女を追いかけて日本を飛び出し、フィリピンの教会で寝泊まりする日本人のホームレス。偽装結婚のカモにされた男や、借金から逃れるため日本から逃げた男。
それぞれの強烈な生き様に迫れば迫るほど、日本の社会問題がジワジワと浮かび上がってくる。
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日本に捨てられたのではなく捨てた男たちという題名。でもね、どこでも買われる人は捨てられなんかしない。
ここで非難されるのは、彼らからしがみつかれなかった日本ではなくて、他国に迷惑な人を流出させちゃった日本。
どっちにしろだめなんだけど、日本のだめさは怜悧さでなく法とかの未整備っぽい感。
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こんな人達が沢山いるとは全く思っていなかった。日本を「捨てた」という「逃げた」という感じか。何とも自分勝手で弱くだらしない男達の気持ちがさっぱり分からない。自己責任とは思わないけれど、結局どうしたいのか?本当に日本に帰りたいのか?「フィリピンで若い女性と遊んで暮らす」という叶わない夢以外何も考えていない感じがする。一番気の毒に思ったのは長年連れ添った夫が、退職金を持って全部フィリピンに逃げてしまったという奥さん。
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「困窮邦人」という存在を知ったのは一昨年(2012年)とある経済雑誌の海外移住特集記事を読んだのがきっかけだった。その記事の内容としては日本と比較して圧倒的な生活費の安さや年中温暖な気候などの理由から海外(フィリピン)に老後移住したものの、資金不足や海外ならではの予期せぬ事態で生活が暗転した人たち、いわゆる「困窮邦人」がいるということだった。本書は会社や家族を捨てフィリピンに飛んだ男たちのその後の生活実態を描いたノンフィクションである。描かれた男たちは資産があって海外リタイヤ生活を楽しむ人たちでなく、日本社会で人的つながりに乏しく社会的に無縁状態に置かれた人たちが多い。日本社会にない人々の温かさという魔物が住むフィリピンという国、そこに魅せられすべてを投げ出して、しかもどちらかというとそれまで海外に縁がなかった人たち、大人の男が、無計画にも移住してしまうフィリピン困窮邦人の現実が生々しく描かれています。偶然にも今自分が住んでいるタイの北部チェンマイにも「困窮邦人」が多いとのこと本書で知りました。
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海外で無一文になる。そんなこと、想像したこともなかったけれど…
フィリピンで「困窮邦人」として生きる人の多さ、その人たちが高齢であること、そして、その生活の実態に驚かされた。
海外で暮らす身としては、理解できないながらも、まったく無関心でいられるわけもなく・・・
著者同様、「自己責任」という言葉が頭にありつつも、切ない気持ちになってしまう。
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東南アジアの国へ女性を追いかけて渡航し、その後ホームレス化して現地で社会問題になっている、ということは数年前に新聞で読んだ記憶があります。税金で彼らを帰国させることには抵抗を感じる一方、困窮邦人の世話を他国の方々に押し付けている現実に申し訳なさも感じる。「同じ日本人または彼らの近い関係者」であるのになぜ助けないのか、と責められても、「だからこそ助けたくない、助けられない、関わりたくない、関われない」と思う気持ちは当然では。周囲の人間との関係を破壊したのは困窮邦人本人。
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著者の新作を読んで興味を持ったのでこちらも読破。
似たような内容だったので、話も被っているのだろうと思っていたがそれでも面白かった。深夜特急を始めて読んだ時の感触だろうか、脳内で妄想や理想、ユートピアへの憧れといったものがエンドルフィンに変わり、幸せな気分を味わうようなアレである。
ただその憧れを現実化させようと行動に移した中年男性たちがフィリピンで破滅していく過程をマジマジと見せつけられるのが本書である。
結局のところ、全てにおいてユートピアなんていうものは存在しなくて、人間という愚かな生物は他人、他の生物の命を犠牲にして生き延びているだけの存在であることを見失うからこそこういう転落人生があるのだろうなと考えさせられた。
結局どこにいっても極楽浄土なんてもんは存在しないってことだが、それでも地に足をつけて異国の地で上手に生き抜いている人もいる。結局、「どこかにいけば何かがある」という考えが間違っているのでしょうね。
年金などで月々の収入が安定していて、寒冷地での老後が辛いなど特段の事情があり、現地で死を迎える覚悟があるのであれば行っても良いかもしれませんね。
そしてここのレビュワーも著者の指摘するように、一様に「自己責任」論に終止しているのには笑った。どこまでいっても日本人の固定観念は捨てられないのでしょう。
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「日本を捨てた男たち」、まさにその通り。自ら日本を離れた男たちの話である。
この題名だけ見たらカッコイイ男たちの物語かのように思われるが中身はダメダメ男だらけ。
ほんと「なんだろうなぁ~」って思う人ばかり。
女を追っかけて移住したり、借金に追われて逃亡してきたりと。でもみんな共通してることは「日本に帰りたくない」ってこと。経済的に無理な部分も多々ありますがほとんどが「日本に帰っても・・・」感じ。
それほど日本がダメなのか?それとも異国が良いのか?
登場人物の言動などに呆れる部分もありますが、それでも何か考えさせられる内容でした。
個人的には巻末の「解説」から読まれる方が良いかなっと解説を読んで思いました
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2013年(底本2011年)刊。東南アジアの貧困(主に経済的意味と治安)と日本の貧困(主に精神的な意味、また居場所や関係性の不在)とを結びつける道を暴く書である。本書の刊行経緯は推量できないが、著者のバンコクでのクラブの体験と、フリーという将来の見えない立場が生み出したものというのは想像に難くない。著者の困窮在外邦人に対する「自業自得」という目線と、明日は我が身という目線とが混在一体化し、逡巡しているところから理解しえよう。日比間の社会的異同、つまり、隣人への愛を可及的に実践しようとするフィリピン。
家族の共同生活すらオーロラのごとくなってしまった日本。単純な割り切りは危険と承知しつつも、高度成長前後、あるいはバブル前後で失った日本の地域社会の有りようを鋭く突かれた読後感である。また、在外生活での自己責任論も同様か。ちなみに、①日比間の混血で比在住の子(国籍法上、日本人となりうる)が10万人とも推計され、法律上とは離れて日本人を如何に定義づけるか、②困窮した在外邦人の帰国を援助する「国の援助等を必要とする帰国者に関する…法律」が殆ど機能・活用されていない現実も意義ある情報提供かと。
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根気の要る取材だったと思うが、想像の範囲内の内容だった。もちろん、それを確かめることにも意味があるのだが。
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著者の水谷竹秀(1975年~)は、上智大学外国語学部卒の、フィリピンを拠点に活動するノンフィクション・ライター。本書は、2011年開高健ノンフィクション賞受賞作で、2013年に文庫化。発表直後には、本書を基にしたドキュメンタリー番組も複数制作され、かなりの反響を巻き起こした。
本書は、現地在住の著者が、現在フィリピンに数百人いると云われる、所持金を現地で使い果たし、日本への帰国費用どころか日々の食費もなく、路上生活やホームレス状態の「困窮邦人」を取材したルポルタージュである。登場する困窮邦人は、日本のフィリピンクラブで出会った女性を追い掛けて渡航した人々のほか、偽装結婚に利用された人、暴力団関係者から借金をして国外逃亡した人など。
それにしても非常に奇妙な読後感の作品である。通常のルポルタージュ作品は、あるテーマを、作り手が取材し、表現し、受け手が見、読んだ場合、そのテーマについて何らかの(社会)問題が感じ取られるものであるが、私は本書を読んで、ただ、こうした「困窮邦人」が少なからず存在して、そうした邦人を助けるフィリピンの人々がいる(もちろん、金を搾り取ることだけが目的のフィリピン人もいるが)という“事実”に少しばかり驚いたものの、問題意識を持つには至らなかった。(端的に言えば、本人の自己責任でしかあり得ない)
なお、著者は、取材当初は、「彼らが逃げ出した日本社会を見つめ直すことで、その澱のような何かが見えてくると思い込んでいた。「日本は生きづらい」と語ってもらい、その理由を具体化させることで現代日本を告発したかった」と考えていたものの、取材の最後には、「いつの間にか、社会問題として追求する自分との間で葛藤が始まっていた。彼らの親や知人に話を聞き、その人生や暮らしを追っていくと、「(困窮は)自己責任ではない」という仮説はあらかた崩れ去った」と語っているが、一方で、読者の大きく二分された感想(自己責任であり同情できないor明日は我が身かも知れず他人事は思えない)について、「未だにいずれかに割り切れない優柔不断な自分がいる」とも吐露している。
世の中にはこうした“事実”が存在するということを知る上で、面白い一冊といえようか。
(2018年1月了)
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読む前から何となくこの本の存在は知っていたが、女性を追って常夏のフィリピンで自堕落奔放に過ごす中高年男たちのルポだと思っていた。(副題は知らずに)本書で取り上げている困窮例もなかには混じるだろうけど、おおむねが「日本を捨てて」フィリピンで第二の人生を謳歌している人たちの話だと思っていた。
ところが取り上げているのは、なけなしで後先見ずに渡航したり現地で金を失い帰国もままならない男たちの話。本当に、フィリピンパブの女の子を追ってだったり、借金を抱えて突発的に逃げてきたり、妻子を捨てて退職金を全部持ってきたりと本当にしょうもない男たちばかり。大使館もその過程から帰国費用を貸すのを渋るし、日本の身内も匙を投げるような輩で、「日本を捨てた」のでなく日本に捨てられたような男たちに思えてくる。
だがしかし、彼らはその日暮らしの乞食のような生活をしていながらも、あまり日本にい帰りたがらない。情と信仰に厚いフィリピン人の好意によって生きていけるし、そうしたフィリピン人と生きていくほうが、窮屈な日本よりもいいという。
そうなんだ、と思ったし、そうかも、と思った。日本に捨てられたかもと思い直した彼らはやはり日本を捨てた男たちなのかもしれない。
ただ一方、彼らの勝手さ、向こう見ずさに男として生きる大変さも感じたりする。男って、誰かのためや組織のためとかでないとしっかり生きないんだよね。自分のために生きることができない生きものなんだという思いを強くした。
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いままで全く知らなかった世界で衝撃だった。
テレビでもフィリピンパブがよく出てくるが、なぜ日本にフィリピン人が多くきているのか少し理解できた。
フィリピン人女性に魅了されてフィリピンに旅立ち、そこで全財産が尽きてもなお困窮邦人として生活する男たちへの詳細なインタビューがリアルだった。
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海外で所持金を使い果たし、帰国もできず、路上生活を強いられる困窮状態の日本人を「困窮邦人」と呼ぶ。本書はフィリピンの男性困窮邦人5人を中心とするルポ。
5人はいずれもフィリピンパブにハマり、日本で稼いだ金をフィリピン女性に貢ぎ、フィリピンまで追いかけ、持ち金がなくなり放り出される。いくらひいき目に見たところで「自己責任」という言葉しか思いつかない。これだけ同情されない貧困者を取り上げて、評価されるノンフィクションを作り上げた著者の取材力、姿勢がすばらしい。
本書で登場する困窮邦人がフィリピンを選んだ理由はフィリピン人の優しい国民性と温暖な気候。これからもフィリピンで困窮邦人は増え続けるだろう。作者には次作でフィリピン在住の「裕福邦人」を取材してほしい。