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同性愛者とその周囲の人との往復文書。まだまだ理解されず窮屈な思いしてる人がいるんだなぁ。周囲の友達にカミングアウトされたら素のまま受け入れられるようにしていたい。
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涙せずにはいられない一冊でした。
子どもから親へ、子どもから教師へ
様々なカミングアウト。
私達の周りにはマイノリティを抱えている人が多くいることを
知らなければならないと思った。
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この本を読んで初めに思ったのは「その気になってささっとカミングアウトしたら痛い目みるで」だった。 素敵なことがこの本では起きている。とっても。だけれどしかし、現実でそう行くのは本当に稀で大変な事だと思うのです。 また、差別や偏見に対して異議を唱えていく中で「オタクみたいに」という表現に強い違和感を覚えもしました。 ただ、セクシャルマイノリティの問題に興味を持った人(又は本人)が一人で悩んでいる時にこの本は巻末のコミュニティ情報を含め、とても良い一冊になるのではないかなと思います。
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ゲイ/レズビアンの子とその親、生徒と教師の往復書簡
同性愛について、考えてみませんか?
同性愛者の割合をアメリカで調査したところ、男性1.7%、女性1.1%という結果が出ています。
この数字が多いと思うかは、あなた次第です。
資料:(Statistical Abstract of the United States)
【神戸市外国語大学 図書館蔵書検索システム(所蔵詳細)へ】
https://www.lib.city.kobe.jp/opac/opacs/find_detailbook?kobeid=CT%3A7200104688&mode=one_line&pvolid=PV%3A7200023004&type=CtlgBook
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LGBTQの本棚から
第7回「カミングアウト・レターズ」
今回ご紹介するのは
「カミングアウト・レターズ」(太郎次郎社)……。
副題に「子どもと親、生徒と教師の往復書簡」とある通り、手紙での親子や生徒先生間でのカミングアウトを集めた本です。
前書きに
『自分が同性を好きであることに気づいた子どもたちが抱える孤独感は
「異性愛が当たり前」
な家庭の中で、自分のその思いが家族と分かちあえないものだと感じることから始まります。
「これは話してはいけないこと」
「わかってもらえるわけがない」
と思い、自分のありように、ひとり悩むのです。』
とあります。
家庭というのは、自分を偽ることも飾ることもしなくてよい、落ち着ける場所でなくてはならない……。
けれども、自分の性的指向を自覚した瞬間から、本来寛げ、ほっとできるはずの場所が緊張する場になってしまうのです。
これはセクシャルマイノリティの問題だけではなく、離婚や、アルコール依存症、ネグレクト、などなんらかの形で家庭が落ち着ける場所でなくなってしまった時、子どもたちは安心できる場所を失くし、辛い状況に置かれるのですが、そのなかのひとつにセクシャルマイノリティもあるのです。
なので、カミングアウトは大変重要な問題になります。
家庭だけではなく、当然、友人関係や職場でも……。
Ⅲ章の解説
「カミングアウトを考えているあなたへ、カミングアウトを受けたあなたへ」
ではカミングアウトがなぜ必要なのかを教えてくれます。
「カミングアウトなんてされても困る…」
「別に黙ってればいいじゃん?」
そう思う人もいるかもしれませんが、性的指向は今の社会だとプライベートなものとして扱われていないので、カミングアウトしていないと、日々、さまざまな問題に直面するんです。
例えば病気のことだったら簡単に質問はしないし、深く聞いたりもしない……。
相手がそうだと知っていれば、みなさん、気を使いますよね?
でも性的指向の場合は、いきなり
「(異性の)好きな子はいないの?」
「(異性の)彼氏/彼女はいないの?」
「結婚はまだなの?」
とか聞かれてしまう……。
それはとてもプライベートなことだから、気を使わなくてはいけない(もちろん、ちゃんとした人ならそんなこと、聞きませんが)とはあまり思われていない……。
自分がゲイ / レズビアンであることを隠している場合
「好きな子はいないの?」と聞かれたら
「いないよ(いえないな)」
「彼女はいないの?」
と聞かれたら
「いないですね(彼氏はいるけど)」
「結婚はまだなの?」
と聞かれたら
「まだ考えたことないです(したい人がいてもできないよ)」
という感じに嘘をついたり、隠さないといけないのです。
そうして、親しい人との会話の中で嘘をついたりごまかしたりしなくてはいけないと、罪悪感を感じます。孤独感も、怒りも、寂しさも感じます。
この人とは本当の意味���は繋がれてはいないのだ……本当の自分をわかってはもらえないのだ、という絶望感に打ちのめされたりします。
人は、秘密を抱えていては親しくなれない……。
僕もそうですが、カミングアウトしていない相手には世間的に問題のないような回答をしなきゃいけないので、いつも緊張していなければなりませんでした。
そういう質問がいつ、どこから飛んでくるかわからないので、自覚したての時などは四六時中身構えていたので、とても疲れました……。
かといって流すのに慣れてしまうのも嫌なんです。
なのでこの本は当事者だけじゃなく、むしろ周りの人やヘテロセクシュアル(異性愛者)の人に読んでもらいたいのです。
Ⅰ・Ⅱ章では当事者がどういう思いでいるのか、その家族や周りの人がどう受け止めてきたのかを実際の往復書簡を通して知ることができます。
Ⅲ章では先ほど触れたように、カミングアウトが必要な理由、カミングアウトをされたときにどうしたらいいかを教えてくれます。
誰だって、いつ、どこで、誰にカミングアウトされるかわからないのですから、
読んで損はないと思うのでぜひ!
実はこの本は、僕がセクシャルマイノリティ関連で初めて買った本でもあります。
表紙がおしゃれで、タイトルからセクシャルマイノリティ関連の本だとわかりにくいので買いやすかったんですよね。
図書館に置いてあった時に手を伸ばしやすいし、借りやすいかなと思います!
僕が小学生の時はPTA図書?なるものがあって、子ども用の本と大人用の本が回ってきていました。
今もあるのか、全国的なものなのかはわかりませんが、もしそういった取り組みがされている学校があるのなら、その図書に
「カミングアウト・レターズ」
を入れてみるのもいいかもしれません。
2017年5月29日
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なぜカミングアウトするのか?
プライベートなことをなぜわざわざオープンにする?
しばしば耳にする、カミングアウトについての上記のような否定的な論調に、この本では明確な答えが用意されていた。
この本では、親や先生にカミングアウトした当人とされた側との手紙が、何組か紹介されている。
いずれも好意的に受け入れられているそのやり取りを通して、人と人との関係性がより深くなっていく様が丁寧に描かれる。
そもそも性的指向はプライベートなことではない。
本の一節を引用しよう。
「もしあなたが、自分の本当の出身地とは全然違う別の地域の出身という前提でつねに話しかけられたら、『いいえ、私は○○の出身です』と言いたくなると思いませんか?ゲイやレズビアンは、自分がそうだと言わない限り、あらゆる場面で常にヘテロとして扱われ、そういう前提で話しかけられるんです。それも、出身地以上に頻繁に、重要な意味をもって。ヘテロの人はあまり気づかないようですが、学校や会社、家庭で、性的指向が関係しない話が出てこない日はないと言っていいくらいです。初めて会った人がある程度の年齢だと『結婚していますか』と聞いたりしませんか?少し親しくなった相手に(相手が男性なら)『彼女いるの?』と聞きませんか?家族や親戚に、それなりの年で独身の人がいると『いつ結婚するの?』と言ったりしませんか?」
まさに、ここに書かれているように、性的指向(異性愛も性的指向の一つである)は現代の日本社会において決してプライベートな事柄ではない。
出身地の例えも秀逸だ。
個人的に、出身地に自らのアイデンティティを強く感じているので、それが事あるごとに間違って言われたら耐えられないだろうと思った。
それは、異なる地域を差別的に見ているという訳ではなく(例えば、私は仙台出身なのだが、常に山形出身だよね?と言われたらどうか。すぐ隣の県であり山形には日頃から親しみをもっているが、かといってその誤解は耐えがたいものだろう)、ただ自分のオリジナリティを形作る土台を誤解されたら自身の事も決して正確には理解してもらえないだろうという、切実な危機感をもって、否定するだろう。
また、なぜカミングアウトをするのか?という問いに対しては、その相手を大切に思い、自身の根源を成す指向を共有することで更に絆を深めたいからだ、という明確な答えが用意されていた。
嘘をつきたくない、誤魔化したくないからこそ、そう思う相手だからこそ、カミングアウトするのだと。
私は現在、異性と恋愛結婚し二人の子供がいるが、だからといってヘテロセクシュアルだと自認したことは一度もない(ついでにいうと、バイセクシュアルだとも思っていない)。
物心ついたときから、自身はセクマイだと思っている。
そのことを姉と、近しい友人の何人かに10代の頃明かしたが、それはいずれも、相手を信頼した上で、更に親密な関係を築きたいと念じてのことだったと思い出した。
緊張と、信頼と、わずかな希望をもってカミングアウトしたあの日の事が、この本を読むうちに思い返された。
「わざわざ」言わなくてもいい社会に向けて、あえていい、語るために作られたというこの本を、いつかまた大切な人に、自らの指向を明かす日にそっと渡したいと思う。
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親書「カミングアウト」と類似した内容であるが、より当事者の心情が分かる内容となっている。題名の通り、カミングアウトをした時の様子を手紙形式で書いている。
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同性愛について分かったような気でいながら、実は全然分かっていなかったことに気付いた。少しは理解が深まったと思うけど、分かったなんて簡単に言えない。自分に関係ないこととして見て見ぬ振りをするのと、理解するのは違う。
同性愛について書かれた本でありながら、マイノリティや、誰にも言えない悩みを持つ人全員に通じるような内容だった。それを受け止める側の態度も優しさに溢れている。自分ももっと他者への想像力を持ちたいし、優しくあろうと思う。
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カミングアウトを受けた方の当事者として読んだ。
20年以上前のことだけれど、鮮明に覚えている。
そして、たぶん、私は受け止め損ねた。
それからも友情は続いたし、互いに互いを尊敬しあって、かけがえのない友人として過ごしてきたけれど、私の結婚を機に、8年近く、連絡が途絶えている。
どう言葉を返せばよかったのか、どう振る舞えばよかったのか。
それからも幾度かカミングアウトを受ける側として話を聞いてきた。
模範解答は無いので、現在も模索中。
生きづらさをちょっとでも減らせるように、一緒に動いてみたりもする。
黙ってみてられないから、というだけの理由だけれど。
正直、これを読んで、大きく自分の何かが揺さぶれらることはなかった。でも、これからの自分に何かがあるかもしれない。もしかしから娘からのカムアウトがあるかもしれないし。わからない。
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当事者で、親にカミングアウトしていない。友人にもほとんどしていない。
これを読んで、する気になるかと言うと、そうではない。
あとがきにもあったが、
カミングアウトした後に読んでもらいたい本。
という言葉に感動を覚えた。感動なのか、語彙がないので違うかもしれないけど。
がんばれ!大丈夫だよ!わかってくれるよ!
だけでは不安のままなんです。
この本のように正しい知識や情報、当事者の言葉、親の言葉、全てが一冊になっていて、自分の負担もカミングアウトされる相手への負担も軽くしてくれるような一冊。
色々な場所においてほしい。
これは素晴らしい本です。
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初めての恋が実らず、家族にも理解してもらうことなど想像もできず、生涯もう二度と誰にも言えない秘密をひとり抱えていると思っていた。家族を持つこともできず仲間とも出逢えず孤独に死んでいくのだと枕を濡らす日もあった。そんな時、この本を読んで涙が止まらなかった。そこには、様々な当事者とその家族、カミングアウトをした者とされた者の想いが綴られていた。あの日の僕を救ってくれてありがとう。独りじゃないと知った今、読み返したら僕は何を思うだろうか。
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古い(15年前)の本ということもあり、読んでて辛いポイントが結構あって読みきれなかった。
つらい。。。
あれから15年。あの頃よりは、マシな世の中になっていると、信じてる。
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カミングアウトをした人とされた人との往復書簡。
親子間と教師と生徒の2パターンがあって、親子間のものはお互いが苦しそうだった。教師と生徒のものはそれよりも少し冷静さがあった。けれど学校は多感な時期に家以外で一番長くいる場所だから自分を上手く出せない苦しさが伝わってきた。座談会の様子も掲載されていて認めたいけれど苦しい、頭では分かっているけど気持ちが付いていかない苦しさがあった。
出版されたのは15年くらい前。その頃と今を比べて状況は好転しているのかわからない。良くなっていること、そして自分が似たような状況になったときに苦しいと思う相手の気持ちを慮ることができるようにしたい。
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基本的には、誰が誰をすきでもいいし、他者の人間関係に口出しできないとおもっています。けれど自分の中に植え付けられてしまった固定概念があることは、自覚しています。
わからないなら、知ればいい。そうおもって、この本を手に取りました。
そうしたら、「問題を抱えている人」として共感できるところが多々ありました。問題の中身は違うのですけれどね。
個人的には、
“貴方は、親の所有物ではないし、子どもというより、一人の人間として考えなければいけない。(p.43)”
この文章を読めただけでも、この本を読んでよかったと強く感じました。
2022/08/24 p.3-132
p.3
“「異性愛が当たりまえ」な家庭”
実の子であるなら、両親は異性愛者であることが前提ですね……。確かにそれは苦しいスタートです。同性愛なんて考えたことがない方もいらっしゃるでしょうから……。
p.12
“「恥じてる気持ちがある限り、お前は自分を否定してるんや」”
自分のプラスもマイナスも、そのまま受け入れることは、むつかしいですよね。「他者と関わるときの自分」は、なおさら。
自分にも他者にも愛されたいとおもうのは、当たり前のことです。
p.18
“俺は小学校の頃から抱えてきたものを、ちゃんと処理できてるつもりでいる。”
凄いですね……。
わたしが抱えている問題は同性愛に関するものではないのですけれど、いま、ようやく、向き合えるようになりました。子どもの頃は目を逸らしていました。
p.26
“「なぜ」子孫を残す役割のために生まれない人達がいるのか”
異性を愛する者でも、子を生みたくないと心からおもっている人間もいます……。
生物の多くは子孫を残し、種を繁栄していく本能があるのでしょうけれど。ヒトが生きる目的は、それだけじゃないのかもしれませんね。
p.30
“感情表現が下手でも、心配してないわけじゃないんだから分かってあげなさい。”
……嗚呼、ごめんなさい。この一言で心を閉ざしてしまいます。
どうしてこちらが歩み寄らなければならないのですか。こちらは苦しんでいるのに……。
p.36
“このころ、シェリー(うちの犬)にはカミングアウトしてたんだよ。なんかね、首かしげてた(笑)。”
想像できます。かわいい。
p.42
“たとえあの時に私が泣いて怒って止めたところで貴方の気持ちが変わるとは思えなかったし、絶縁したところでおたがい何もいい方向に行くとは思えない!”
いいお母さん……。すきです。
p.43
“貴方は、親の所有物ではないし、子どもというより、一人の人間として考えなければいけない。”
嗚呼、だいすきです……! 素晴らしい考えです。
世の親御さんたちに読んでいただきたい文章。これを読めただけでも、この本を手に取ってよかったです……。
p.55
“面白がって小説まで書いてくれる感性豊かな母”
小説が書けるお母さま、凄いです。それを息子さんに見せてしまう勇気も、凄い。
p.58
“関係者がそうなってからあわてて努力して知識を得て、理解しよう、認めようと努めているのが現実ではないだろうか。”
性的指向に関わらず、さまざまな問題がそうだとおもいます。自分はあまりにも無知です。
p.65
“同性だろうと異性だろうと、人間が対象であることは同じだ。結局は、相手は人間なんでしょ?”
ヒトではなく物に愛情を抱く人もいると以前テレビで見たことがあります。その方々はまた、別の苦労があるのだろうな……と感じました。
このことば自体は、とても良いものだとおもうのですけれどね。
p.65
“近年、”
(中略)
“性的指向が使われ、意志・選択的ニュアンスのある「志向」や個人的好みをあらわす「嗜好」は使わないようになっている”
そうなのですね。覚えておきます。
p.104
“「この二人が出会わなければ俺は生まれてなかった」、両親と話すたびごとに、感謝の思いがわいた。”
こう考えて、それが、感謝の気持ちにつながるのは凄いです……。自分は、生まれなければよかったのに……とおもってしまいます。
p.107
“文中、「犠牲」「許す」などの表現があるが、故・和治氏が敬虔なクリスチャンであったことからもこの表現になっている”
クリスチャンにとって、やはり、ゆるすことは大きなことなのですね……。キリスト教に関しても、まだ、学んでいる途中です。
p.121
“ムーミン谷に住むたくさんの住人たちは自由であり、マジョリティ、マイノリティという区別もない。”
途中まででも、ムーミン全集を読んでいてよかった、と感じました。小説のあの空気を知っていてよかったです。
p.123
“「ムーミン谷とマイノリティって……何を調べたの?」”
ムーミンのせかいを一切知らないのですね。読んでみてほしいです。
p.127
“全く同じ言葉でも、受け取り方によって正反対になってしまう”
(中略)
“人は、自分の受け取り方によって、自分を幸せにしたり不幸にしたりしている”
ことばが届かないと失望することが多々ありました。心から、しあわせを祈っているのに、その祈りのことばすら封じ込められました。
お相手が、それを受け止める余裕がなかったようです。ただ、こちらも余裕がなく、自分のことばに力がないのだ……と落ち込んでしまいました。
他者はコントロールできない、と自分で何度も言っていたくせに。
お相手が受け止められなくても、それは、仕方のないことです。別にいい。
わたしは、伝えたいから、ことばにしただけです。そして、想っていたことは事実です。
あとはお相手の問題。こちらのことばに関係なく、過ごしたらいいとおもいます。
p.130
“セクシュアル・マイノリティは約四%とのこと。日本のキリスト教信者はカトリックとプロテスタントを合わせても一%の壁を超えることはない”
実際、どのくらいの人がそうなのか、って普段意識していないことです。それは悪い意味で、意識せずとも過ごせてしまうということ。
本当は、身近なところにいるはずなのに、気づくことができません。また、知識が足りません。
p.131
“どうして「鬼コーチの忘れられない一言」に��みんな共感して頷(うなず)くのに、「神の愛との出会い」は聞こえないフリをするのか、”
これに似たことばを聞きました。
みんな、自分で確かめたことではないのに科学的根拠ばかりを信じ、神さまのことを信じない……と。どうしてでしょうね。自分はそのことに、引っかかったことすらありませんでした……。
どちらも、詳しく知らないことなのに。みんな信じているから、そういうものだ、と流されてしまっていました。だから、自分で知りたいです。
2022/08/25 p.132-途中
p.138
“すべての深い告白は多くの場合、相手との相互理解を求めるための切実な声です。”
個人的には、自分の問題について話すことは抵抗がありません。他者の秘密に関わるところは、簡単に言えないですけれど。
世の中には、わたしが抱えているような問題について、あまり聞きたくない人もいることは知っています。自分にとっては当たり前のことなので、聞いてくれる人なら、何でも話します。
そんな人間ならば、じゃあ、受け入れてもらえなくてもダメージが一切ないのかというと……残念ながらそうではないです。
受け止めてもらえないことは、ありました。それは少し、悲しかったです。言わなければよかったのかなぁ……とおもってしまいました。
当たり前のことを当たり前に話しているつもりでも、どこか、理解してもらいたい気持ちはあるのでしょうね。受け入れてほしいのかも。
この文章を読み、自分の心の動きを言語化できた気がします。
2022-08-27 途中-最後(ページ数メモし忘れ)
解説
“受け入れられるなら、その人との関係はより深まるであろうし、本人が受けている心理的負担は楽になることは間違いない。”
これは絶対にそうだとおもいます。自分も経験したことがあります。
受け入れてもらえるかどうかわからないうちはとても不安なのですけれど、受け入れてもらえたときにはほっとします。受け入れることが難しい方もいらっしゃるのは、わかっているので……。
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やっぱり読んでいて、泣けてくる内容でした。
いつも、素人の手紙や文書は、読みずらいことが
あるのですが、今回はそうでもなく
それぞれの手紙に深い内容を感じました。
よかったです。