紙の本
「愛国」を巡る多面的なアプローチから浮かび上がる現代日本の現状
2006/10/22 17:34
12人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
この10月に朝日新聞社から朝日新書が創刊された。ラインナップを見ると、朝日新聞社らしく現代的なテーマについて等身大の情報を提供することを主眼に置くという。いかにもこの新聞社らしい編集方針で、個人的に今後応援していきたいと思う。
さて、本書はこの新書のトップバッターに相応しく力の込った論考である。著者は、気鋭の政治学者・姜尚中氏で、国を愛することとはいかなることかということを様々な角度からシャープに論じている。
著者は、まず最初に、愛国心の担い手となる国民について、民族(エトノス)と市民(デーモス)という相反する観点から論じている。ここで言う民族は、従来、自明なものとされ、日本は単一民族であり悠久の歴史をほこり美しい自然と伝統文化を有しており、この美しい国を愛することは国民として当然ということになる。このような血縁・人種・美的感性を前面に打ち出した情緒的な考え方は、最近とにみ勢いを得ており、若い人にも徐々に浸透している。
他方、デーモスと呼ばれる国民は、著者の言葉を借りれば、「高度な自発性と主体性の契機を通じて絶えず作為的に形成される」共同体の担い手であり、従って国民国家とは、民族から構成される共同体ではなく、また代々受け継がれてきた価値観や伝統の延長上にあるのではなく、むしろそれを解消することで国として成り立つものであるという。このような自立的な個人に重きを置く社会契約的な国家観は、近代的な国家原理そのものであるとしている。
このように国を愛する担い手である国民に二つの相反する見方があることを著者は指摘し、上述のデーモス(市民)的な面を否定する情緒的なエトノス的「愛国」の声が声高に語られている現状に強い危機感を表明している。
さらに、著者は、愛郷心がそのまま愛国心につながるわけではないという重要な指摘をしている。安倍首相の著書『美しい国へ』の中でも、愛郷心がそのまま愛国心になることを当然視している。しかし、よく考えてみると、私たちの故郷は具体的なものであり、遠くにあっても生き生きと思い浮かべることができるものであるのに対して、国というイメージは非常に漠然としており、何か強いシンボルがないと想起できないものである。ということは、両者は同じものではなく別なものと言ってよく、例えば、アジア・太平洋戦争中で軍上層部が恐れたことは、従軍兵士たちが里心がついて、故郷のことを思うばかりに厭戦感を抱くことであったという。ここには、国という抽象的なものよりも故郷に心を寄せる兵士たちの偽らざる姿が垣間見られる。
以上、著者の愛国心を巡る多面的なアプローチの一端を示したが、それでは、著者のいう愛国の作法とは一体どのようなものなのであろうか。
それは、故郷をいとおしむ自然な感性を尊重し、疲弊している地域(故郷)の再生に向けて取り組み、対外的にはアジアとりわけ東アジア諸国との連携を図ることこそ、「愛国」が今後取り組む課題としている。私自身としては、姜氏のこの意見に賛意を表しておきたい。
なお、本書は、多くの有益な書物からの的確な引用があり、多くの知見を齎せてくれると同時に、所々に「在日コリアン」としての身を裂くような著者の個人的な体験も語られており、読後感を深いものにしていることも申し添えておきたい。
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情に訴える「美しい国」や「国家の品格」と違い、姜先生の鋭い視点で「愛国心」というパラドックスに挑む意欲作。
なぜ、負け組ほど「愛国」に癒しを求めるかがよく解りました。
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当世流行の「愛国心」には主語がない。述語だけが異様に肥大化したような感情の暴走である。それは醜悪で身勝手なナルシシズムであり、そこには決定的に知性が欠けている。とまあ、そういう警鐘から始まり、民族共同体と国民共同体、愛国心と愛郷心、パトリアとナショナリティなど、まさに"知性"をフル動員して「愛国」の本質を明らかにしてゆく。この点、ついに情緒表現の域を脱せなかった現宰相の著書とは格段の違いである。「ただ日本の美しい伝統や国土、その情趣をナルシシズム的に吹聴する『愛国』」ではなく、「時には生身を引き裂くような激しい相克と葛藤を自我の内面の中に抱え込んでしまう」ことすら辞さない「努力」が、「愛国」には必要なのだと著者は言う。素直にその通りだと思った。
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舜臣を読んだあとだとどうしても霞むなぁ。なんでこうも批判的なものの見方ばかりするのだろう。結局明確なビジョンを自分から提示することはなく。故郷≠母国は非常によくわかる図式で、今やってることの参考にもなるんだが。
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近代国家とは理性的・意識的に作り上げるものであって、「愛国心」と自然な感情としての「郷土愛」とは決して同心円状にあるものではないという分析にそういえばそうだとうなずく。
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「したがって、「愛国心」を、与えられた環境への情緒的(感性的)な依存とみなすことは国民の原理そのものを蔑ろにすることですし、ましてや「愛国心」を強制することなど自家撞着と言わざるをえません」
ちょっと前までにあーだこーだ言われてた、「愛国心」を分析している。
その歴史の流れのところでは、過去の資料などをたくさん用いて、著者の引き出しの多さを物凄く納得。
そして、講義ならうとうとしてしまうような分かり難い箇所も多々・・・。
ですが、後半以降、この著者の考えが明確に論じてあるところに関しては明快!非常に分かり易かった。
そして、巷で溢れる愛国心論に対して自分自身が持ってた違和感を言葉にしてもらえたなぁ、という気がした。
面白いというか、ふふって思ってしまったのは「『美しい国へ』の著書」という表現がしばしば出てくるんだけど、多分その名前がしっかり出てきたのは1回ぐらいかな?こだわりがあるのかしら!?
そして、まぁ、「怪しい外人」とこの人のことを表現した人がいるそうですが、その人よりも何倍もきっと人間的に出来ている、知識もある賢い人なんだろうなぁ、と思いました。
「悩む人」読まなくっちゃ!
【自分メモ】
石橋湛山『東洋経済新報』1945年10月13日
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彼だから、書けるのだと思う。
あえて難しい内容を、自分に問いかけ、苦しみ、あえて答えを無理にでも出したいかのようだ。
確かな理由が存在してほしいのだろう。
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「愛国」のあり方についての本。
典型的な知的エリート左翼の主張かな。引き出しはすごいなと思う。
「愛郷」と「愛国」の違いなど、ためになることも多いが、外交、国防についてほとんど触れられてない。これなくして「愛国」は語れないと思うのだが。
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姜さんのファンになるきっかけの本。彼自身がそのアイデンティティに悩み苦しんで結論を出している様子がうかがえる。とても読みやすい。
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「」で括られた引用がやたらと多くて筆者の主張が分かりづらいと言う印象だった。
在日韓国人の目線からの愛国心という観念が知りたかったのだが。
当然、日本人が持つ排他的な愛国心批判であることは予想できるが、
韓国、中国が現在抱いている、あるいは政治的に利用されている
彼らの愛国心についての言及がもっとあってもよいのではないかと思った。
どこの国もパトリオット・ゲームを競っているのは間違いなく、
特に東アジア地域におけるその解決を
北朝鮮を巡る六カ国協議に期待しているという筆者の認識は
どうにも理想主義的すぎてリアリティに欠けるのではないか。
ただ、第四章での「愛郷心」と「愛国心」の違いについては同意できる。
「愛郷心」を国家が利用して「愛国心」という概念にすり替えた事は事実としてあったであろう。
現在も多くの国で同じ事は行われていて、
そもそもそれは変えられることなのか、という事を
もっと深掘りする必要があるだろう。
そういう意味で物足りなさを感じた。
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(「BOOK」データベースより)
ほんとうに国を愛するとはどういうことか。その先にあるのは希望か絶望か。「改革」で政府によって打ち捨てられた「負け組」の人々ほど、「愛国」に癒やしを求めるのはなぜか。日本と韓国、ふたつの「祖国」のはざまから鋭い問題提起を続けている注目の政治学者が、「愛国心」という怪物と真正面から格闘する。
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愛することは技術が必要なのだ。
愛国心はネーションという形で想像される兄弟愛の発露とみなされている。
お国自慢や自分自慢のナルシズムから抜け出すには謙虚さと客観性と理性を育てなければならない。
小泉さんの靖国参拝をきっかけとする靖国問題は、戦後の日本の形の中に封印されてきたねじれを解き放ち、それを改めて白日の下にさらけ出した。
日本で生まれ日本語で生活する在日コリアンの筆者だからこそ、この本に書かれている愛国については考えさせられる。
日本人にとって、愛国とは何か?
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何が言いたいのかさっぱりわからなかった。哲学としては軽い気がするし、政治学としては抽象的に過ぎる気がする。
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[ 内容 ]
ほんとうに国を愛するとはどういうことか。
その先にあるのは希望か絶望か。
「改革」で政府によって打ち捨てられた「負け組」の人々ほど、「愛国」に癒やしを求めるのはなぜか。
日本と韓国、ふたつの「祖国」のはざまから鋭い問題提起を続けている注目の政治学者が、「愛国心」という怪物と真正面から格闘する。
[ 目次 ]
第1章 なぜいま「愛国」なのか(なぜいま「愛国」なのか 「愛する」とはどんなことか)
第2章 国家とは何か(国家と権力 国家と国民 国家と憲法 国家と国家)
第3章 日本という「国格」(「自然」と「作為」 「国体」の近代 戦後の「この国のかたち」 「不満足の愛国心」)
第4章 愛国の作法(何が問題か 「愛郷」と「愛国」 「国民の〈善性〉」と「愛国」 「愛国」の努力)
むすびにかえて―「愛国」の彼方に
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ショーヴィニズム(排外主義)、ジンゴイズム(好戦的愛国主義)ではない愛国心の在り方について模索した本。著者は東アジア論で著名な在日コリアンの教授。
今まで日本を支えてきた政治・経済の体制が揺らぎ、社会が断片化・液状化する中で再ナショナル(保守)化が進む。その中で、自己責任論に見られるような社会の矛盾やリスクを個人に押し付ける傾向が見られる。
そうして見捨てられた人々は十五年戦争時の日本や『国家の品格』や『美しい国へ』といった著書に見られるような祖国の盲信、反知性主義に走る。ここでは「愛国心」がそうした人々の接着剤になっている、と。
著者の言うことはごもっともである。ただ、「愛国心」を一部の右翼的な人々の専売特許にしてはならない、という単純な結論を導き出すために、わざわざ難解で迂遠な言葉を使う点が不親切さだと思った。