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以前に読んだ「岬」などには見られないエキセントリックさが各短編の主人公達、とりわけ表題作からは感じた。中上健次の作品はこれが2作目だけれど「かさぶたのマリア様」など、言語感覚に何か神話めいたものを感じるのだけれど、それには何か理由があるのかなぁ。何か文章のリズムが自分と合わない気がするけど、それでもいろいろ読んでみたくなる感じ。
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「ない、ない、なんにもない。金もないし、立派な精神もない、あるのはたったひとつぬめぬめした精液を放出するこの精器だけだ」孤独な予備校生は自我を喪失しかけていた。匿名の強がり。電話回線の中での本音。表面的な凶暴性の根底に青年期の純粋さ、繊細さを描いた小説だ。
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自分とは何者なのか。器用に生きる人たちに心底嫉妬して、僕もひねくれていたことがあった。でも主人公のそれはぼくとは比べられないほどで、きつすぎて胸に刺さる。僕が自分に対して何者かと問わなくなったのは、厳密に自分自身であることをあきらめたからかもしれない。
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短編集。基本的に若々しく自分の年に近く、鬱屈した気分が僕の気に入った。「一番はじめの出来事」・・・少年時代の思い出・子供としての情景描写が素晴らしい、小さい頃のことを思い出させる。「十九歳の地図」・・・年齢も近いことあって、僕に共鳴した。「蝸牛」・・・最も気に入った・35の女のヒモになってる20代の男の話・ラストも最高だ。「補蛇落」・・・兄やんが自殺した昔の話し、朝鮮、堕落する自分。22-24.
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青春ってしんどいねー。時代が違うとはいえ、もはや自分はこの小説に描かれている地点に立ち戻れなさそうだ。というか、これほど人を後ろめたくさせる小説を20代後半で書けるのがすごい気がする。
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中上文学に魅了されるともう他の日本文学が読めなくなってしまう中毒性、著者風に言うと文学の“棘”ですかね。
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久しぶりに文学に触れたなって感じがした。
暴力的で重たくて、暗い中の闘技場でひたすら誰かが打たれてるの(または打っているのを)見ているのに近い読後感とでも言えばいいのか。
表題作は解説と全然違う感想を僕は持って、
何にでもなれると思っている予備校生が、電話を使って、その何かを演じているように思えた。
しかし、その嘘は結局嘘でしかなかった。
だれにでもなれる可能性だけあり、今の瞬間はなににもなれないのだ。
だから淫売のマリアの嘘が露呈した際、主人公の嘘もまた自身の手で壊してしまったのだ。
う〜ん、この辺の論拠はもうちょっと深読みが必要な気がして来た。
ちょっと山に籠って修行してきます。
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2009.07 冬の読書案内。近藤先生もお薦めの中上健次は、私も読んでみたいんだけれど図書館の書架では見当たらず…書庫か、全集なのか。
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閉ざされた現代の文学に、巨大な可能性を切り拓いた第一創作集。
森の奥に秘密の塔を建てようとする少年たちを描く処女作「一番はじめての出来事」、映画化の衝撃的表題作など四篇を収める。新文学世代の誕生を告知した出発の書!
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表題作のほか、「一番はじめの出来事」 「蝸牛」 「補蛇落」
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初版は1981年発行である。当時は表題作の主人公からさほど遠くない年齢だったので、そのときに読んでいたらしばらくは自分の内側ばかり見つめるようになり、ずどんと落ちていただろうと思われる。それほど生々しい十九歳を生きる少年の姿がページの隅々まで満ちていた。現代の若者とは何かが違うような気がするのは、自分の年齢ゆえだろうか。それとも時代のせいだろうか。久々に鬱々とした一冊である。
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20代後半に突入し、今更、中上健二など。。。という勝手な言い訳から、これまで一度も触れたことのない作家だった。
旅行中の新幹線の中、ということで暇さえ潰せればとの思いから手に取る。
非常にきつい作風だ。
読んでいて生々しく、痛々しく、じっとしていられない。
こういう文体は初めてだ。
読後、万世橋の連続殺傷事件を思い出した。
かの容疑者もネットの掲示板とにらめっこしながら、作中の主人公のような思いにふけっていたのだろうか。
当時と2000年代は時代の雰囲気が少々似ているとの話もあるようだし。
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なぜかこれまで避けてきて、長らく手元にありながらも読まないままでいた作家、中上健次。
久しぶりに読む小説として中上健次を、しかもこのタイミングで選んだことを運命的に感じる。
いい小説って、文学って、こういうものなんじゃないかな。とにかく切なくて、言葉の本当に正しい意味で、切ない。
私は坂口安吾が好きだけど、安吾はあまり小説が上手くない。エッセイの方が上手いなと思う。でも、安吾の文章は小説でもエッセイでも、いつもどこか切ない。
そういう切なさが滲み出てきて、放っておいても読者がそれを感受せずにはいられないような作家って、そんなに多くない。
中上健次の小説は安吾よりも面白くて、でもやっぱり同じように、切ない。毒をもっている。
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大学、(教)経済学のテスト前に、陽の当たる窓際にて。好きだけども、これが好きというのはまずい気がする。倦怠、侮蔑、憎悪。関西弁が心地よい。関西弁の小説といえば、町田康、川上未映子、中上健次だ。
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読まず嫌いか?
思ったより共感してしまったし好きな文章だった。
もしかして嗜好が変わったのかな。
暴力や性、汚物についての描写が多いような小説は苦手だったはずなのに、さいきんわりと平気になってきている。というかむしろ、そういうべっとりしていたり、どろどろしている世界観のほうが読んでいて満たされる気がする。なぜだろう。きっと、小説の言葉と読者の身体との関係にかかわってくるのだろうけれども。
まあそれはいいとして。
短編の「十九歳の地図」は、
思っていたより難解でなく、
それでいて密度の濃い作品でした。
主人公にも感情移入できるし幻想性も特にない。
ただ彼も、境界に足を踏み込んでいったのは確か。
逸脱から現実へ、現実から逸脱へ。
ポイントは、「犬の精神」。
濃いな、、、
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4作品、収録されていましたが、それぞれに書き方が異なっています。実験なのか、確信的な変遷なのか、苦しみの末の変化なのかわかりませんが、形容の仕方、比喩の使い方や頻度に大きな差が見られました。でも、それぞれに面白く読みやすいのです。そういうところは他の作家の人たちも参考したり盗んだりしているんじゃないかなぁ。
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暗い!ネジ曲がってる。何年か前、池袋で起きた通り魔殺人の犯人も確実に影響受けたんだろーな。中高生には読ませたく無いな。これは心が大人になってから読む本。