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太田光さんがおすすめしてた本ということで読んでみました。
この本はロボットSFの元祖だそうです。
浦沢直樹さんの「PLUTO(プルートウ)」のような、ロボットに対する優しさと悲しさが漂ってくるストーリーでした。
このストーリーのロボットたちが現実に登場するならば、誰だって愛さずにはいられないんじゃないでしょうか。
SFというジャンルの話は世界の歴史や科学を持ち寄って、未来を細かく想像している。
思考が何千年単位。
ふと我に返って思うことは人生でできることの少なさ。
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「ロボットは人間に危害を加えてはならない」を始めとするロボット三原則が有名。
連作短編のような形式になっているけれど、どれもこの三原則に深く関わる物語となっており、話数が重なりロボットが進化複雑化していく中で、不変的三原則に基づくはずの彼らの行動規定が少しずつ変わっていくところが面白い。
「危害」という大雑把な括りに、肉体的な損傷のみならず精神的な苦痛も含まれていることで、ロボットの行動に不可解な影響を及ぼしたりするのもまたサスペンス的な味わいを出していた。
特に5番目の「うそつき」の展開には惹きつけられた。冷徹なキャルビン女史が唯一うろたえ、そしてロボットに対する友好的な態度を崩した話だけに、そのインパクトは大きい。
ロボットは人間に危害を加えられない。しかし、当の人間がロボットをどれだけ信用できるのか。ロボットを何のために使おうとするのか。結局それが問題なのだと考えさせられる。
正しき善きしもべ…我々はその主人たりうるだろうか。
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やはりフィンクションに興味が持てない!なんで状況描写が苦手なんだろうというぐらい言葉が進まない。。。。科学はリアルにかぎる!
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ロボット3原則…深いなぁ
読みやすい文章でよかったです。
人間より賢いロボットが人間に従うのは第一条があるからっていう表現は、目からウロコでした。
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黎明期からロボットの発展を見つめ続けてきた一人の女性科学者によって語られる9短編によるオムニバスストーリー。
ロボット工学の三原則で有名なSF作品。時代を追ってロボットに関するエピソードを追っていく構成で、特にロボットのソフトウェアである人工頭脳の発達に重きを置いている。一見不可解に見えるロボットの言動を三原則に基づいて論理的に探っていくミステリ然とした話が多い。
個人的にそれぞれの短編だけでは強い魅力を感じなかったが、それらを読み進めていくからこそ最後の一編「災厄のとき」で提示される未来世界の姿に作品中の時間経過が感じられ、また世界観に深みが増しているように感じた。
独立した短編としてみると読心力をもったロボットがジレンマに陥る「うそつき」と、同型ロボットの中に紛れ込んだ行方不明の個体を探す「迷子のロボット」のエピソードがお気に入り。ロジカルな思考回路を持ちながら言動の節々にどこか人間臭さを感じさせるロボットたちの姿は魅力的だった。
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特に子守ロボットの話が好き。純粋な気持ちの子供にはロボットも人間もヌイグルミも犬猫も関係ないはず。
大人はロボットを支配し利用しようとする。だがバグが生じる。しかしそれはバグなのかロボットに芽生えた自我、意識なのか。
登場するロボットそれぞれの運命、意識、試練は、著者アシモフの自身への探求であり、私たちが常々、無意識の内に、答えを求めているのではなかろうか。
そしてそれは巡り巡って「屍者の帝国」の命題ともなる。
「屍者の帝国」にロボット三原則の改変がでてきたので、再読したくなった。
子供の時ワクワクしながらよんだアシモフ。
もういちどアシモフを一通り読み直したい衝動にかられる。
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アシモフを随分昔の作家だと思っていた。手塚治虫や石ノ森章太郎の漫画で再三、ロボットの命名者と紹介され、また三原則への言及に触れ、つまり元祖なのだと思った訳。
当然、心優しいロボット達の物語を予想していたが、大外れ。思っていた通りなのは第1話のロビィぐらいかな。
三原則は所詮ロジックの命題であって、ロボット達は人間の命令と三原則のジレンマの中で予測不能の行動を度々起こし、人間達を悩ませる。人間側は数学者やロボット心理学者が登場するが、御茶ノ水博士のようにロボットと人間のような交流があるわけではない。ロボット達も人間よりも優秀と自覚するのもいて、人間コンプレックスの強い鉄腕アトムとは大違い。
しかし、終盤は人格高潔な人間とロボットの見分けがつかない言う言及や、地球規模で政治経済をマシンが人間に気付かれずうまく制御するに至り、三原則の倫理が改めて読者に付きつけられる。
瀬名英明さんの後書きが良かった。ロボット社会の到来は人間が人間らしくあることを問うてくると云う。もう少しアシモフを読んでみようと思う。
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ロボット工学の3原則の縛りから発生する様々な問題はそのまま、人間社会における倫理・哲学などに投影される。月並みな言い方になるが、SFの域を超えている作品。今では哲学的で小難しいSFアニメが沢山あるが、結局はアシモフの二番煎じだ。
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ロボット三原則を基軸にしたライトノベル短編集。SFのご多分に漏れず翻訳の日本語の語彙量が少なめなのでさくさく読める。近未来においてロボットに対してどのように対処してくかがメイン。ロボット自体が抱える機構的限界等は出てこない。短編としては、アイデアですっきり完結させる問題解決型。どれもハッピーエンドに近い形を取っている。いい話だな―。あと表紙がださい。
以下、読了後まとめ。
ロビイ
地球上でのアンドロイド使用を禁止するロボット法施行以前の話。ロボット黎明期におけるロボットと人の関わりを示す。三原則の第一条の有効性について。
堂々巡り
水星での鉱山開発でのロボット使用について。三原則は互いに拮抗し合い、ロボットが判断を下すことが出来なくなるというエピソード。毒性ガスが満ちている鉱山に鉱石を発掘しにいけという命令を下された場合、第二条で近づき、第三条で離れるので、陽電子頭脳での揺らぎの均衡点で「酔っ払う」。その問題を第一条で解決する。パウエル&ドノヴァンという二人の馬鹿型主人公が登場。
我思う、ゆえに……Reason
時系列としては堂々巡りの直後。主人公も変わらず。人間に従わない哲学パカのロボットが登場。彼は一見第二条に反しているが、それは第一条を遵守するためだったという話。
野ウサギを追ってCatch That Rabbit
この章では、三原則が記載されている『ロボット工学ハンドブック』がパンツよりも貴いことが判明する。緊急時にパニクるロボットを二人の馬鹿が直す活劇短編。三原則は関係ない。
うそつきLiar!
キャルビン博士が主人公。そして、心が読めるロボットが焦点になる。心が読めてしまうことで、第一条のために人間を傷つけないような発言しかできなくなってしまったロボット・ハービイ。つまり彼女は優しい嘘をつくロボットなのだ。博士が真実を知りたいとハービイに迫ることで、言っても言わなくても人間を傷つけてしまうジレンマに陥り崩壊した。
迷子のロボット
人の危険を看過しないという第一条補足が刻まれていないロボットとの心理戦。ロボ心理学者キャルビン博士の名推理が光る!
逃避
USロボット社の大黒柱、メインコンピュータである『ブレーン』の話。柔軟なロボットであれば、人間に危害を加える演算に耐えられる。星間ワープ時の一時的な死とリンクしていたというのがオチ。パウエル&ドノヴァン再登場。
証拠
市長選に出馬した品性高潔なバイアリイ氏はロボットか? プライバシーの保護が行き届いた市民社会において、一人の人間にロボットの嫌疑が掛けられる。三原則を遵守するロボットと聖人君子では判別のしようがない。
厄災のとき
国家主義を越え、地球が地区で分けられ、善性を持った『マシン』が人間に指示を与えるようになった時代。完全無欠の『マシン』の経済社会政策が所々で綻びているのはなぜなのか? 地球総監となったバイアリイ氏がその真相を究明していく。『マシン』を推察することしかできない人間たちは、そのミスも彼の手のうちにあるのではないかと解釈する。『幼年期のおわり』に見られるような世界俯瞰的な短編。
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「ロボット工学の三原則」というプログラムを元に、倫理・政治・経済・哲学などのさまざまな状況に照らし合わせて答えを探す、問題集のような形式の短編集。まるで自分がロボットのメンテナンスに携わっているような気持ちになっていくのが楽しい。またロボットの心理や行動を組み立てるように考えているつもりが、同時に人間自身の倫理・社会・哲学を解体して考えさせられている。現状に対する批評と未来に対する前向きな提案の両方を兼ね備えた、まさにSFのクラシックとよべる作品。
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日本の「えらい人」は日経新聞を捨ててSF小説を読んでください - デマこいてんじゃねえ! http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120905/1346856312?utm_source=API&utm_medium=twitter
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西尾維新『鬼物語』の新聞全面広告小説から。西尾維新は『めだかボックス』でもロボット三原則を引用していたから実際に読んでるのかなと想像。
ロボットという言葉を普及させた人としてアイザック・アシモフの名前は知っていたが作品を読むのは今回が初めて。第二次世界大戦前後の作品なので古い未来観みたいなものが現代からみると違和感があるのではないかと思っていた。読んでみると確かに現代から見ると未来としておかしいと思う所はある(エーテル、ブラウン管テレビ、管理体制、原子力エンジンなど)。しかし1950年代にこれだけの未来を想像していたという驚きのほうが大きかった。特に最後の「災厄の時」は今だからこそ考えさせられる。
作中にはロボットとマシーンが出てくるがその大きな違いはパーソナリティーがあるかどうか。作中のロボットは三原則に縛られているが自我があって性格と呼べるものもある。作中のロボットはとにかく人間的だ。そこが現代のロボット産業との一番の隔たりだろう。高性能なロボットは次々開発されているが性格を持たせることは当分できそうにない。技術的に可能になったとしても持たせて大丈夫なのか、という論争も起こりそうだ。そうなったときにアシモフの「ロボット三原則」が再び注目されるときが来るかもしれない。
物語の特徴としてSF的な要素の他に三原則の論理的なパズルという側面もある。
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「ロボットは人間に危害を加えてはならない」から始まる有名なロボット三原則の出典元として有名だが、読み進めてみるとそうした三原則を前提としてミステリ連作風味、といった感じ。ロボットの造詣や振る舞いがアナログで人間臭く、作品全体として未来に対する楽天的な姿勢に溢れているのが印象的。もはや半世紀以上も前に書かれた作品だが、現実の21世紀はアシモフが思い描いていたのより少しばかり非理性的で、半倫理的であるのかもしれない。個人的には『火の鳥』に出てくる家政婦ロボット、ロビタの原型が本作にあったのだと知れて感動。
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○ロボット工学三原則――(1) 人間に危害を与えず、人間を守ること、(2) 人間の命令に従うこと、(3) 以上2点を踏まえて自分を守ること――という印象的な三つの原則を軸としたさまざまな物語からなる一連の物語。
○ロボットが一大産業となる始終を見守り続けてきたロボ心理学者、スーザン・キャルヴィンの口から語られる物語の数々は、どれをとっても人間とロボットの関係を考えさせられます。つまり、より優れたロボットの登場によって便利な社会になると安易に考えているのではなく、その存在がかえって人間自身の存在を問うことになるのです。この視点がぼくには非常に面白いものでした(ぼくが談話室に投稿したテーマをまさしく貫くものです:http://booklog.jp/q/5581)。
○はるか未来の出来事のはずなのに紙のノートに計算していたり、真空管やブラウン管が登場するというところは時代を思わせるものがありますが、優れた技術が人間に問いかけるものというのは、広い時代(普遍的とまでは言いませんが)に共通するもので、そこにこの本の面白さがあるように思います。
……以下、自分用メモ……
○たとえば最初の「ロビイ」では、少女の育児であり遊び相手でもあったロボット「ロビイ」を母親が取り上げてしまいます。喋らない金属製のロボットには心がないし、そんなものには子育てを任せられないというのです。喋れないから心がないというのはかなりの暴論のような気もしますが、人間の仕事がロボットによって代替されるということは、人間にとって強い抵抗を生むものだという問題をはっきり示しているように思います。
○そのあとの話ではロボットがより高度になり、人間そっくりなのに人間よりも高度な能力を備えたロボットが登場します。そんなロボットを束ねる唯一の原則は、最初に書いた三原則だけです。そこで、人間のために働くために人間の命令に逆らうなどといった、人間の思惑をはるかに超えた(高度な)行動をとるという状況が生まれます。スーザン・キャルヴィンをはじめ、本書で登場する人物は、謎解きという形をとりながら人間の思惑を超えたロボットの行動を見抜いてゆきます。
○個人的には、ロボットが人間から人間性を奪うという人間原理主義者とでもいうべき人々の主張、今まさに、こういう人間とロボットの関係に対する危機感を人々が持ち始める時代が来るのではないかと感じて、著者の先見の明に恐れ入るばかりでした。
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映画のアイ、ロボットがとても好きなのでついに読んでみた。
非常におもしろかったなー。もういちど映画の方もみたい。