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斜視でイジメにあっている主人公。
同じく汚いといわれてイジメにあっているコジマ。
イジメのシーンは本当に読んでて辛かった。ページをとばしてしまいたくなるほど。その分ラストは爽快。
わたしは最初コジマの気持ちに共感できたけど、最後は共感できず。意志が強すぎる。
主人公のお母さんは一番好感のもてる人だった!こわいとき笑っちゃうって、わかるわかる(笑)
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こうゆう視点もあるのだなと思った。
文章の作り方が好きでした。
百瀬の言葉を飲みたくないのだけれども、納得してしまう説得力があった。
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苛めがテーマだから、それなりに内容は重い。
弱さ、強さ、罪悪、偶然…登場人物それぞれが抱く生と暴力を描いている。
主人公の僕と同じように自分も、苛めっこの百瀬の意見に納得しながらも違う!と反撥し、コジマの考えに賛同しつつも、わからなくなることもあり。
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同級生のいじめに遭う〈僕〉の机に入っていた一通の手紙から始まる不思議な関係と、いじめを通して様々な価値観を問いかける文学小説。
純文学と聞くとまずはじめに浮かぶのは「読みにくい」というイメージなので、それを覚悟しながら読んでいったのですがそんなこともなく、特に僕と手紙の差出人のコジマが徐々に分かり合っていく様子はとても美しく感じました。
後半の僕と百瀬という同級生との会話で善悪や強弱の話が出るのですが、そこは理解はできるけど同意はできないなあ、という感じでした。それが思想の違いだけならいいのですが、説明的すぎるように感じてしまったのも残念。価値観を登場人物に語らせるだけでなく、それを物語の中にももっと盛り込んでいってほしいなあ、と思いました。
でもやはり文章の美しさには引き込まれます。また時間がたってから読み返してみたいなあ、と思います。
芸術選奨文部科学大臣新人賞
第20回紫式部文学賞
2010年本屋大賞6位
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いじめの描写は読むのをやめたくなるぐらい辛いものだった。もし同じ境遇の人がいるなら、百瀬か母さんの言葉に救われるかもしれない。
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善悪についての正論などまったく役立たずなのだなぁ。本書のキーパーソンである百瀬曰く「自分で、ものを考えることも切りひらくこともできない、能力もちからもない程度の低いやつらの言い訳にすぎないんだよ」。いやはやまったく!そして、彼よりも、主人公よりも、わが道でいじめを乗り切ろうとするコジマよりも、オレ的には離婚したコジマの母親が、結婚の理由を「わたしはあの人が可哀想で結婚したのよ」とゆー台詞ががっつり刺さった。あるよね、そんな関わり方が。でもそんなふうに関わられた方の気持ちってのはね。じっさいコジマもそこに固執しているし。うむ。
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分かるのだけど、それでも、正直、ぴんと来なかった部分も、ある。
この人は、個人的にエッセイのほうが好きかもしれん。
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意味のあること、意味のないこと。
それは個々の感じ方であり、それに対して深く追求することこそ無意味。
この本を読んで書けるまともな感想はこのくらいで、新品(笑)で買ったことを悔やむくらい なにこれ ってなりました。
誰もが自分の道理を正として語るからめんどくさい。
主人公の一人称だからさっとよめるけど、最後のページをめくったあと、ええっ?ここでおわり?ってなった。
百瀬のキャラ設定wがぬるい。妹の存在特にいらない。
子供の頃いじれめられてたほうとしては、次は重松清さんの本が読みたいなってなっちゃうくらい出てくる人間に人間味がない。リアリティというか、いじめられっこには読んで欲しくない。
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身体的、外見的なしるしを大切にし、困難な状況を乗り越えることに意味を見いだすコジマ。人にはできることとできないことがあり、すべての物事はたまたまの巡り合わせ起こっているにすぎないという百瀬。この2人の主張は物語の根幹を成している。主人公は百瀬の言葉の意味を悟る。天国も地獄もこの世にあり、ここでしか生きることができないという事実に涙するが、彼が勇気をもって、「しるし」である斜視の手術をし、この世で新しい世界を見た最後の描写は言い知れぬ感動を覚えた。これが「ヘヴン」だったのかな。
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独特な言い回しや自然体の書きっぷりから一転。
とても「普通?」な書き方で予想外でした。
酷いイジメ話が、中盤過ぎまでず ~っと続きます。覚悟しましょう。
その先は、急展開し、緊迫感もあって、一気に読み進めました。
主題が苛めなので、読むのが辛くなった り、なんだか憂鬱になったり、イライラし たりして、結末もちょっとすっきりしませ んでしたが、
苛めに限らず、世の中に渦巻く事象や事 件、暴力や阻害は、決してきれいごとで片 付くはずも無く、どう対峙して行くべきか みたいな、強い自論が見え隠れして、とても考えさせられました。
社会のモラルとか、博愛、自己抑制とかは、親とか教育現場での指導の質によって個人差ありますよね。
最後に自分を守れるのは、結局自分の強い意志しかないのかな?
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読み進めるのが辛かった。おもしろくないからとかでは決してないのです。
ずしんと重たいものが残ります。
川上未映子好きです。
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読了後自分の中にたくさんのしこりが残って、考えなければならないことがもやもやしている。善悪論とか価値観とか、大事な要素ではあろうが最重要ではない気がする。このもやもやの残り方、なんだかずんとくる読了感の方が“最重要”かなあ。自分でもよくわかっていないけれど。
百瀬の言葉、コジマの方向性、そして僕の迷い。強いとか弱いとか。文章は読みやすくどんどん話が進んでいくが、とても印象に残る小説。
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苛めを扱っているのだが、社会問題としてでなく、個人の心の問題として扱っている。様々な事件が起こるのだが、結局外的に何かが大きく変わったというのではなく、あくまで内的に心の中で何かが変わったのだろう。起きたこと、変わったこと、作者は詳しく解説してくれるではなく、考えることを読者に委ねているのだろう。
この作品を読んで、漱石の「こころ」を想起した。内容は詳しく覚えていないのだが。
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一気に読んでしまった。決して楽しい内容ではないけれど、ものすごく心に響く。いじめってこういうこと。
終わりの美しさも感動的でした。
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【走り書き】
怖い。
とても力のある作品だけれど、怖い。
どうして"僕"は救われ、どうしてコジマは救われなかったのか。
一見すると、"僕"はいじめっ子達に呑まれ負けかけていて、コジマは力強く反抗しているように見える。それなのに、どうしてコジマは最終的に壊れてしまったのだろうか。それとも、コジマは壊れたのではなく、誰のルールも適用されない、コジマだけのルールが適用される別の世界へ行ってしまったのだろうか。
いじめっ子で名前が与えられているのは、二ノ宮と百瀬だけだ。
殴る蹴るなどを主導的にする二ノ宮と、それを無関心なように見ているだけの百瀬。だけれど、私にとっては、直接的に暴力を振るう二ノ宮よりも、百瀬が一番怖い人間に見える。
百瀬は想像力がない人間ではない。けれど、想像の上であえていじめをする。"僕"にいじめっ子を殺さないのはどうしてかと焚き付けさえする。
最後に"僕"は斜視を手術し、美しい世界を手に入れる。
それは、どういうことを意味しているのだろうか。