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案外、京都人は京都のことを知らないのでないか。
本書は、京都人による京都人のための京都案内である(勿論、京都人以外も楽しめる)。
JR京都駅から京都市バス206番に乗ってぐるり市内を一巡する趣向で、京都生まれ育った筆者が京都の町を案内してくれる。
しかしそれは単なる旅行ガイドではない。京都という町が持つ歴史・風俗から京都人の気質など、さまざまなの話題を硬軟取り混ぜて、いろいろな角度から論じている。そして、再び京都駅に帰ってきたとき、筆者が主張する京都論が見えてくるのだ。しかもそれは京都を論じながら日本のこれからをも論じているのである。
というようなことを書くと、かなり硬い本のように思えるが、そのようなことはない。大文字を「犬」文字にした学生のいたずら話からストリップやラーメン屋の話もある。「河原町のジュリー」を懐かしく思うのは、私だけではあるまい。
イラストや写真を多用し、タイアップした店の紹介に終始するスカスカで凡百なガイドブックなんぞは、もういらない。本書があれば充分だ。そうだ、本当の京都へ行こう。
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京都を一巡りする市バス206番の東廻りの路線に沿った京都案内。京都生まれの哲学者による案内なので当たり前の京都案内になる訳がなく、普通の神社仏閣名所古跡はパスする非常に個性的で、ユニークな京都案内かつ都市論になっている。「あっち」の世界に通じている孔が京都にはいっぱいあるなどの話も楽しいが、ところどころで顔を出す著者の幼少時の思い出などの自伝的な部分が面白い。
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じっくり読みました。
僧侶と舞妓さん、そして祇園。。
細い路地を、目的もなくぶらぶらするのは気持ちいい。
雨が止んだあと、町屋が濡れている景色にはいつも心惹かれる。
本多さんの「ALONE TOGETHER」の意味を、「うどん」の考察に見つけました。
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幾重にも折り重なった京都の町には、幾つもの孔がある。
聖と俗、新しいものと古いもの、ととのったものとけったいなもの。
それらが遍在するこの町には、両極端なものと、その間を行き来するものとに対する、寛容さがある。
都市とは、そうした意味での多様性を持つ町のことであり、それによってこそ、場としての京都は、他の町には容易に代え難い、自由という魅力がある。
その程度の差こそあれ、人が住み、時間を積み重ねてきた場所には、そうした意味での多様性が、否が応でも存在している。
町を、一人で作り上げることはできないとしても、町の中から、そうした多様性のかけらを見つけ出し、少なくない自由をそれぞれの町から享受することは、一人でもできるに違いない。
町に、社会に、人々の間に、時間を過ごす中で、孤独とそれ以上の見返りを手に入れていることに、今更ながら気付かされる。
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市バス循環206番の沿線の景観・風俗を題材にした京都論、都市論、コミュニティ論、哲学、そして一風変わった京都案内の本であり学者さんの本。本書自体が万華鏡のような切り口によって様々な表情を見せ、至る所にあやかしの異界が顔をのぞかせる京都を体現しているように思える。
などと難しいことを考えなくても、素直に206番に乗って京都をぐるりと回る前に予習しておく本として読めば良いのではなかろうか。ただし実際に206番に乗るときには本書を持っていくような無粋なことをせずに、読後の記憶をたどりながら回るのが京都や本書の楽しみ方だと思う。
「おもろい」本としてオススメです。
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鷲田清一の本を読み通すのは初めて。206沿線の普通な京都を案内するという。生まれ育ち京都でその後もずっと関西圏なうえに、エッセイの書き手としても腕が確かという最強な組合せで非常に良いし、知ってるところが次々出てくるし素晴らしい。この手の本にありがちな粗も、5年程度住んでた人間に見つけられるものは数点しかなかった。
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「京都」というコトバには独特の響きがありますね。
本書は、京都生まれの哲学者鷲田清一氏による「京都の町」「京都の人」をテーマにしたエッセイ風の読み物です。
鷲田氏流の京都案内の中に、これまた鷲田氏流の哲学的エスプリがトッピングされていて、京都に馴染みのない私にとっては、「なるほど」と首肯できるくだりが満載で、とても興味深く読むことができました。
鷲田氏が本書で語っている多層的・多義的な「京都」の姿について、是非とも、ほかの京都の方々の受け止め方も伺いたいですね。
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あまり面白くなかった。ここに書かれている京都に関する洞察は、あくまでも著者のフィルタを通したものであるので、ほんとうのことろはどうなんだろう?という気持ちがぬぐえないまま読み終えた。
そういう見方で眺める京都ということで面白いと思う人多いのでしょうが。
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京都案内
京都人論
都市論
そんなふうに僕はこの本を読んだ
まず京都案内
京都人が慣れ親しんだ店を案内するだけあって
とても気になる
店の来歴や著者とのかかわりから記述されるせいか
食べログのレビューの表面的な店の批評とは異なり
もう気になって仕方が無くなるのだ
それから都市論
どこに書いてあったかわからなくなったけど
都市には住む人と訪れる人
それぞれのための顔というか面が必要とか
新しい町には
宗教施設と大木とあとなんか・・・がない
とか
都市の本としてものすごく面白かった
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古い都市であることの条件として、異界への口があいていること。
京都で生まれ育ち、学び今だにそこに住む著者による観光ガイドではない「平熱」の京都は市バス206番に乗って、という設定だが、そこここで寄り道もあり、またガイドではない、と断りながらもお勧めの店なども紹介してくれる。しかして本書は京都人へ向けて書かれているのではないか?最後の方、京都人がついに自信を失いかけている、とある。何をどうしろ、ということはない。少し元気を出して、嫌味なくらいの自信をとりもどしましょう、ということか。鈴木理策の写真が利いている。
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京都らしさ、とは何か。
「◯◯のある街」などとひと言で言い表せないところだろう。
『都市としての襞やチャネルが多く、奥行きと重層性をもっていて、どこからめくっても都市としてのそれなりの顔が見えてくる。そのことで京都は、都市としての圧倒的な存在感をもってきた…』
「隙間」や表のきわで別の世界へとつづく「孔」がそこかしこにあり、聖と俗が隣り合わせる街。きわものを受け入れる街。
『必死で勉強して、きつい恋愛して、はんなりと遊んで、ときおり「まんまちゃんあん」。人生行路みたい』
世界への口がぽっかりと空いている、そこにたまらない魅力があるのかも知れない。
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かなり長い時間をかけてようやく読了。
奇遇にも日帰り京都旅の帰りの電車の中である。
この本の趣旨を一言で言うなら、
京都出身者はやっぱり京都大好きなんだねということ。
長ーい京都自慢に付き合わされた感覚。
でも、普段観光地としてしか京都を見ていない私達には、
新鮮に映ります。
最後のほうで、
現代の修学旅行に触れている部分が出てきます。
全くの同意見です。
タクシー貸切で観光地を回る?
よくそんなもんで修学と唄えますぁ。
金で解決するつまらん旅行なんてやめてしまえばいい。
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私にとっては京都は“ハレ”の場所だけど、この本に描かれているのは旅行では知りえない京都の裏側。あこがれの芸能人の暴露本みたいに読みました。でも、素を知ってますます好きになっちゃった。ここまで奥深い土地って京都しか思い当たりません。いつか住んでみたい、との思いを強くしました。
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以前京都に住んでいたことを思い出しながら、当時のことやそれ以前の京都の風景を懐かしみ想像しながら読んだ。
一度、この本を片手に京都市バスに乗って、京都の町を実際に巡ってみたい。
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京都市バス206番に沿って、京都の都市案内。とはいえ、京都の案内にとどまらず現代社会にアラートを示しているようでもあり、そんな小難しいこと考えてないようでもあり。ちょっとひねくれた京都好き、京都で学生時代を過ごしたひとにおすすめ。