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私は2000年代以降のプロレスはほとんど見ていません。
タイトル通り「ゼロ年代」のプロレス界(上井氏を中心とした)の動きが、著者上井氏の目を通して語られています。
登場するレスラーは、上井氏との関係から好悪が分かれる書かれ方をされています。
この手の本なら当然なのでしょうが、とはいえ、ボロクソにけなされてるわけでもありません。
このへんは一緒に仕事をしていたが故の配慮とか、プロレスへの情熱がそうさせているんでしょうかね。
プロレス暴露本に比べれば刺激は薄いですが、上井氏の目を通してゼロ年代のプロレス界を概観するという意味では、私のようにプロレスを遠ざかったファンが読んでも楽しめると思います。
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まさかレインメーカーに湧き立つ府立に、猪木と共に上井が乗り込もうと妄想してたとは!衝撃の冒頭から、自身がマッチメイクを担当をした2000年代新日本を振り返る本。しかしどういう経緯で草間社長と対立し、柴田とともにビックマウスを立ち上げたのか。もう少しそこを突っ込んで書いてほしかった。
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新日本プロレス・旧UWF・ビッグマウスラウド・UWAI STATION等
の各団体のフロントであり、一時はFEGのWRESTLE-1やHERO'Sの
プロデューサーも勤めた上井文彦氏の著作。ちょっと前に出た本で、
そのタイトルは気にはなっていたのだが・・・。
ここでの「ゼロ年代」とは、上井さんが新日本プロレスのマッチメ
ーカーだった頃とその後の数年を指す。西暦で言うと2000年から
2007年くらいの時期に該当する。僕を含めた新日本ファンが
新日本の暗黒期をゼロ年代と呼んで忌み嫌うのは、間違い無くこの
作品のネーミングが原因だったりする。
しかし、巻末の年表を確認してみると、00-07というのは、
それほど暗黒で無い事に気付く。本当の暗黒期は上井さんが引いた
後の07-10の3年間。全てとは言わないが、その原因のかなりの部分
を作ったのが上井さんであることは間違い無い。
そういう御仁だから、ハッキリ言って僕はあまり好きでは無い(^^;)
タイプの人。新日本を引っかき回すだけ引っかき回し、何の責任も
取らずに出て行ってしまった人なのだから、そう思われても無理は
無い。
ただ、どうしてもこの人を憎めないのは、その態度や発言から
新日本プロレスLOVEを感じてしまうため。数年前の1.4ドーム大会で
ブロック・レズナーの保持するIWGPヘビー級王座に中邑真輔が挑んだ
試合前にコメントを求められた上井さんが、鬼の形相で
「中邑がレズナーに負ける要素はどこにも無い」と言い切った時は、
ちょっとシビれた。
まぁ、その試合で中邑は負けたのだけど(^^;)。
もちろんこの作品からもそういう感情は随所に感じる事が出来る。
最近読んだ他のプロレス本と比較すると、正直表現も文章も稚拙では
あるのだが、得体の知れない熱いモノがあるのも事実。新日本ファン
であれば、苦笑しながらも共感しちゃうんだろうな、きっと。
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オカダ・カズチカ。内藤哲也。棚橋弘至。
プロレス業界再大手の新日本プロレスは、奇跡のV字回復を成し遂げて、業界の盟主として君臨している。
その新日本プロレスにも長い冬の時代があった。
総合格闘技が主流となり、プロレスラーが駆り出されては敗退を繰り返す。
会場にも閑古鳥が鳴く時代が続いた2000年代。
著者は、そのゼロ年代前半期にマッチメーカーだった。
興業全ての最高責任者として苦悩にあえぎながら、次々と戦いを仕掛けていく。
元祖・過激な仕掛け人・新間寿の涙。
破壊王・橋本真也への断腸の思い。
超新星・中邑真輔への期待と叱咤激励。
総合格闘技へ戦いを挑んだ男意気。
夢の対抗戦への仕掛け。
退社前に声をかけてくれた、ミスター・プロレス天龍源一郎。
前田日明が仕掛けようとした、マット界天下三分の計。
新日本プロレス創業者・アントニオ猪木との息を飲むようなやりとりの数々は、プロレスファンならば痺れること間違いない。
戦いの最前線でもがき苦しんだ男の一代記は、一気に読ませる抜群の面白さ。
どんなに這いつくばろうとも褪せることのない、プロレスへの大情熱が溢れた一書。
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「私はその任務を受けることにした。これは素人の挑戦だ。ファンなら誰しも自分が見たい夢のカードをいくつも頭の中に持っている。それがなかなか実現せずにやきもきさせられることもある。しかし、私にはそれが実現できるチャンスが巡ってきたのだ。」
2002年から2004年まで、新日本プロレスのマッチメーカーを務めた著者。当時の新日本プロレスは本当に大変な時期だった。総合格闘技の台頭、橋本と武藤の離脱。最大の問題は次世代エース候補の不在。問題が山積している中、著者はどうマッチメイクをしていったのだろうか?
「自分の補佐役として、セカンドブッカーという役職も作った。ヘビー級では平田淳二、ヒロ齋藤、後藤達俊というベテラン選手、そしてジュニアヘビー級には外道を指名した。」
オーナー・アントニオ猪木との連携、そしてマッチメイク体制を構築した著者。ところが・・・魔界倶楽部、坂口征二の現役復帰。プロレスのマッチメイクとしての業績はこんなものだろうか。しかし、坂口の復帰は一時的なものだし、魔界倶楽部もドームや両国のメインを張るほどのものではないだろう。
「ハッキリ言ってしまおう。この時、私の最大の目的は、総合格闘技を駆逐することだった。」
「しかし、私は信じていたのだ。“なーに、うちの選手が出て行ったら、ああはならない。中西学が本気になれば、ヒクソンなんか問題じゃない!”」
新日本プロレスのマッチメーカーのビジョンは、プロレスではなく、総合格闘技に向かっていたのである。プロレスラーと総合格闘技。当時のファンは確かに見たかったものだった。高田や安生など旧Uインター勢ではなく、新日勢なら、蹴散らすんじゃないか?そういう期待は持っていた。
「安田に付き合ってみて初めて分かった。総合格闘技の試合に出るということは、それだけ恐怖がつきまとうものだと。」
「ましてや彼らは普段はプロレスの試合もやっている。総合の試合に向けて恐怖と戦い、その一方でお客さんたちをプロレスで喜ばせる。こんなことは誰にもが出来るわけではない。」
そのマッチメーカーは、新日本のプロレスの選手がどういう人たちか、全く把握をしていなかったのである。知った後も同じことを続けていた。
「話を聞いているうちに、私はいつの間にか谷川さんの話術で丸め込まれていた。中西のK-1出場にOKしてしまったのである。」
挙句の果てには、交渉も上手にできないときた。
「私は何をしにモンゴルに向かったのか?実は当時、大相撲の横綱に君臨していた朝青龍をスカウトするためだった。“INOKI-BOMBA-YE 2003”の主催者たちは焦っていた。」
アントニオ猪木つながりとはいえ、他団体のブッキングを、海外までいって行う始末。新日本プロレスの重職にありながら、こんなことをしているヒマがあったのだろうか?
「残念ながら内部で相談相手になってくれたのは永田くらいだった。」
最初に作ったセカンドブッカーは何だったんだ?
本書を読むと、新日本が暗黒期に陥っていたのはよくわか���。そして、その原因の大きな部分に、著者がマッチメーカーだったから、ということもよくわかる。そりゃ大変だっただろうが、自分でわくわくしながら引き受けたんでしょ?言い訳と責任のなすりつけが多すぎる。
おそらく、当時の新日本プロレス、本当にマッチメーカーする人がいなかったのだろう。なので、“後で捨てれる人間”ということで選ばれたんじゃないだろうか?