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喫茶店。「人生では、そこに加わる遠心力になかば身をまかせ、所定の軌道から離れていく人もいる」波2014.11。
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京都の4つの被差別地域で暮らす人々を描いた短編集です。
大阪にも子供の頃、親に行ってはいけないと言われていた地区がありました。そこに住んでいた皮革業の家の友達がいましたが、遊びに行くと確かに荒れた地域で怖いのですが、友達の家はすごい豪邸でお嬢様だったのを思い出しました。
この本に出てくる人たちとは違いますが、京都にもこのような地区があったのですね。
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ちと重い話だったなあ・・・
京都の地の人間じゃないんで、今一つピンと来ないが、感じは分かる。今も残ってるのかなあ、差別・・・
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六〇年代後半から七〇年代の京都を知るものにとっては、懐かしく、心に響く連作小説。やはり京都は特殊な街だ。平安時代から営々と続く都、歴史ある日本の心、伝統文化を今なお守り続ける街であると同時に、古い町でありながら新しいもの、若者をも受け入れる懐の深さがあるのだ。
大学生活を京都で過ごし、今もよく行く街である。その時の流れの中で私は京都はそれほどかわっていないと思っていた。しかしこの作品の中に表現される60〜70年代の京都はゆったりとした時の流れを感じさせ、「現代へと続く時」というより、「戦後から続く60〜70年代」と実感出来る。やはり京都も大きく変わっているのだ。古さと若者が関わったときに生じる伝統、因習との軋轢を表現し、大きく変わろうとする当時の京都を作品にしているのかもしれない。
京都の四カ所を舞台にしているが、どこも実在の場所でそのあたりに行ったこともあり、街の雰囲気もわかる。青春時代を振り返りながら、懐かしさと京都の奥深さを感じた小説だ。
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ストレートなタイトルだが、ステレオタイプな京都本ではない(いや、ステレオタイプって何、となるといささかややこしいのだが)。
観光客向けの京都ではないし、古き佳き日本の香りの京都ではないし、かといって暗い露地の奥に魔が潜む京都でもない。
余所行きの仮面を外した京都。住人があまり口にしないけれど知っている、そんな京都の蔭を帯びた「横顔」である。
京都の地名を入れた4編を収める。
「深草稲荷御前町」は伏見稲荷の門前町にある喫茶店を営む男の話。好きになった女性と結婚するが、自らの出自も絡み、結婚生活には波風が立つ。自分でもどうしようもないもどかしさを抱えつつ、素直になりきれない。幼少時の暮らしぶり、幼なじみの過去と今を織り交ぜ、男の心象風景が語られる。
「吉田泉殿町の蓮池」。京都大学近くの鞠小路と呼ばれる通りにあった米屋。主人公はそこに住んでいた。人々が暮らす場所にはいろいろな小規模商店があり、子供もおおぜい走り回っていた。そんな街の賑わいや京都の地理の歴史に加え、街中の被差別地区の話も混じる。人々の暮らし方が劇的に変わる時代、主人公の家族もまた、伝統的な形を保つことは出来なくなる。
「吉祥院、久世橋付近」。ちんぴら生活から抜けきれない男と、夫の浮気で離婚した女。2人の人生がふとしたことで交錯する。底辺の生活でもあるようだが、不思議と悲愴感はない。吉祥院というのは西京極九条付近、京の街の南西部にあたる。低湿地で桂川が溢れることも多かったという。
「旧柳原町ドンツキ前」。バスに乗り、河原町を駅に向かってずっと下ると、最後に塩小路で、かくっと曲がる。このあたりに「ドンツキ」という靴鞄店の大看板があったという。今でもここに履物屋さんが確か複数あるはずで、引っ越してきた当初は何だか印象が強かった。その昔、市電が通っていたこのあたりには靴屋や革製品屋が多かったのだという。革製品といえば、そう、穢多・非人である。その地域に幼少時の思い出を持つ、主人公の物語である。
現代も描かれるが、著者の定点はいささかセピア色の昭和にある。
著者の私小説的な色合いも帯び、庶民の近代史も織り込まれ、ノンフィクション風のところもある。
登場人物たちの話し言葉は生粋の京言葉だ。舞妓さんの言葉でも時代劇風でもない、庶民の言葉である(ああ、これがなかなか喋れるようにならないんだよな・・・)。
この地に住んで10年にしかならないが、「そうそう、これはある」と思える描写がある。長く住む人は余計「わかる」部分があるだろう。一方で、旅行で何度か来たという人だと、「こんな京都もあるのか」とまったく違った印象を受けるかもしれない。
京都はきちんとしているようで、どこかどちらでもよいことには寛容なところがある。例えば地名。音だったり訓だったり、結構適当だったりする。音便のように訛ることもある。合理的と言えば合理的だが、どうしても「緩い」という印象が先立つ。「まぁよろしおすやろ」と言われそうでもある(でもこれも似非京言葉と冷笑されそうでもある)。
別の地域で「不良」とか「乱暴」とか言われそうな行動が「やんちゃ」と言われる。何だか途端にかわ���げのあるもののように思えてしまう。京言葉の柔らかさからくるマジックのようだが、「京」というよりも、どこかお調子者で柔らかさのある「上方」の気風なのかもしれない。
そして被差別地区。転入して、引っ越し先を探す際、子供の保育所を探す際、学校の「人権月間」参観で。折々に耳にした。新参者がよく事情もわからず触れるには難しすぎた。本書を読むと少し見えてくるものがある。住み続けている人には肌身でわかる感覚なのかもしれない。
平成の京都の向こう側に透けて見える、昭和の京都、大正の京都、明治の京都。
さらに深い平安時代の京都。そんなことを思わせるものが本書にはある。
そう、この街は続いている。
千年の都といったいささか陳腐な呼び名で呼ばれる前からあり、おそらくはブームが去ってもあり続ける街。
著者は登場人物の心の揺れを丁寧に綴る。
普遍的にどこでもありそうなこともある。
しかし一方、この街でなければならないこともある。
そんな「核」が、目立たぬように、あちこちにしたたかに眠っているのが京の街というものかもしれない。
ちょっとディープな「京都」である。
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京都を舞台とした現代純文学作品。
京都市内中心部にある被差別部落を舞台としたこの作品は、京都の本当の魅力をふんだんに紹介している作品ともいえる。
こういった部分があるからこそ、京都という場所は世界に誇る歴史都市だと、この作品を読みながらあらためて実感することができた。
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あるネット書店の紹介で心を惹かれて手に取った。
ブクログでのレビューを見る限り、良い本なのだ。
けれど…とても悔しいことに、読み始めてすぐ
旅行者のようにきれいなところや心安らぐ面だけを
見て京都を味わうようには読めないなと感じた。
それは別に悪いことではないし、そういう
口当たりの柔らかい本しか読めないのじゃ
本好きとして根性がないとも思うのだけど。
数ページ読んで、ある表現に行き当たり
今の私はこの本受け付けないのだ…と
泣きべそのようになって読むのを諦めた。
キューポラのある街とか…あとはなんだろう。
昔読んだときの感じ。
書かれた内容が悪いんじゃない。
私がいま、この本の世界がしんどいだけ。
京都という街に持ってる印象とは
たぶん逆で…。
ああ、苦しい。もう、だめ。
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社会学的見地から文学に昇華した京都小説。どんなものも受け入れるボーダーレスで懐の深さを見せつける一方で頑なに拒絶する、これもまた京都らしさか。京都で生まれ育った人に感想を聞いてみたい。
外から見たら最も京都らしい、と思える小説。