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とても優しい魂を持つ人に出会いました。
天才に変貌した青年が知ることとなった愛と憎しみ、喜びや孤独、醜い感情、そして人の心の真実。
チャーリイの検査から手術、術後の経過報告を読者が読むという形で話が進むのが斬新だなと感じました。
チャーリイの持つ純粋な心に、最後まで前向きな気持ちを持ち続けたことに胸を打たれました。
アルジャーノンに起こった事態から、手術の副作用で自分がこれからどうなるのかということにチャ―リィが気付いてからは読むのがとても辛かったです。
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知能レベルが急上昇するにしたがってチャーリイの文章が変化していく様子が興味深く少しずつ読み進めていましたが、アルジャーノンがおかしくなってしまうあたりから先が気になって一気に最後まで読みました。
自分の運命を悟ったチャーリイが苦悩する様子も切ないですが、文章に句読点が少なくなったあたりから退化しているリアルさが迫ってきて、とても哀しくなりました。
一気に読み、最後の見開き2ページで急に涙がこみあげて、読後に号泣してしまいました…タイトルに込められたチャーリイの優しさに、生きて死ぬってどういうことなのか改めて思い知らされました。
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幸せって自分で感じるもの。
生死をかけた手術を行い、その後のチャーリーの努力によって、彼は欲しかったものを手に入れる。でもそれは、彼の人生において本当に大事なものだったのだろうか。
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自分はパン屋の面々に憤ることができるのか、自分がローズやニーマーのような立場になったとして周りの「チャーリー」を尊重することができるだろうか。何らかの事情(事故やら痴呆やら)で私自身がチャーリーになったとき、それでも他人に対してかれのような思いやりがもてるだろうか。
その辺は頭の中に置いておくとしてアリスを抱くのにフェイと思い込もうとしたりフェイをアリスの代替品と言ってのけたりするくだりは素直に最低だな!と思いました。
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存在しているはずなのに考えないようにしてることとか、もやもやしてそれが何ものなのか分からないこととか、そういうものは今の自分の段階より高い所からでなければ見えないものなんだろうな。かしこくなりたい。でも白痴として生きて行く人生もそれはそれで幸せなのかもしれない、なんて無責任なことを思ったりもした。
将来自分のこどもが勉強したくないなんて言い出したり、勉強に行き詰まったりするような時にはこの本を勧めたいと思う。
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知能がどれほど高くなっても、あくまでそれは人間の範疇を超えないのであって、それは感情や意思の面でも同じであろうと思います。それゆえ、自身の結末に気づいたときのチャーリィの気持ちは察するに余りあるし、その後の行動も大変に勇気あるものだと言いたいです。また、それに寄り添う覚悟をしたアリスについても同様です。
再び養護学校にチャーリィが現れた時のこと、アリスは一生忘れることができないのではないでしょうか。
願わくば、チャーリィやアリスには余生を心穏やかに過ごしてもらいたいです。
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いつの間にか自分とチャーリーを重ねてしまって、終盤はとてもつらかった。文章が巧みです。そして素晴らしい作品です。
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個人によって能力の差はあるが、どのレベルであっても、人は悩む。大事なのは他人を羨ましいと思うことではなくて、今のままで幸せなんだと思うこと。
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面白かった。
知恵遅れのチャーリーが手術して天才になる話。
幸せとはなにか。主観でしかわからないんだなと考えさせられる話。
チャーリーは天才になったことによって、高飛車になり友達を失ってしまう。退化して元のチャーリーに戻り、以前働いていたパン屋に戻るとみんな守ってくれる。
それぞれの幸せがあるんだなと。
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ドラマ化されたことをきっかけに再読してみた。
手術によって頭が良くなってから続く苦悩が辛い。
知能のレベルが低かった頃に自分が周りからどんな風に見られていたのか、どんな事をされていたのかも知ってしまう。
頭の中から消し去ることのできない、もう一人のチャーリーにも苦しめられる。
家族や周りがありのままのチャーリーを認め、愛していてくれさえすればこのような悲劇は起こらなかったのに。
退行しても優しさを忘れないチャーリー。
アルジャーノンを気遣う最後の言葉には涙してしまった。
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アルジャーノンに花束を ダニエルキイス
「ひとはばかな人間がみんなと同じようにできないとおかしいとおもうのだろう」
チャーリィは努力して、字を覚え、賢くなろうとした。頭脳が賢くなっていくスピードと精神が成熟スピードが追いつかないことで苦しむチャーリィ。
先生であるアリス・キニアンに恋をしていく場面で、チャーリィが苦しんでいる時、自分をチャーリィに描写してしまっていた。知能が発達するにつれて、女性に興味を持ち始めるチャーリィ。はじめは知能を高めるだけでいいと思っていたが段々、自我が芽生え始めてきた。
「僕は人間だ。男だ。ホンダのテープだの電気迷路なんかとばかり暮らしているわけにはいかないんだ」と
そしてある日チャーリィは働いているパン屋で友達がお金をくすねていることを発見してしまう。そこでチャーリィははっきりその友達にその事実をいい、悪いことをやめろと言った。しかし、ある日チャーリィはパン屋をクビになってしまう。昔チャーリィをバカにしながらも愛をもって接してくれていた友達が、チャーリィのことを疎んじ始めた。チャーリィが急におかしくなっていると思ったからだ。
そこでこんな描写がでてくる。
「人間ってもんは、主がはじめにおしえてくださったこと以上のことをしりたがっちゃいけないんだってことがわかるのよ。あの木の実は人間が撮っちゃいけなかった。チャーリィ、あんた、やるつもりじゃなかったことをうっかりやっちゃったのかもしれないど」
「以前、彼らは私を嘲笑し、私の無知や愚鈍を軽蔑した。そしていま私に知能や知性がそなわったゆえに私を憎んでいる。なぜだ?」と
チャーリィはストラウス博士の研究の成果としてある日ニューヨークへ渡る。そこでチャーリィはいままで一人の人間としてではなくネズミのアルジャーノンと同じように彼は実験の動物として扱われていたことに気づいてしまった。
→いずれこのような思いをするひとがでてくるのではないかと思う。
あるレストランで過去の自分と同じように働いている障害者の男の子に出会う。チャーリィはその子の行動をみて、他の客と同じように笑ってしまっていた。そこでチャーリィははっと気づくのである。
「まともな感情や分別をもっている人々が、生まれつき手足や目の不自由な連中をからかったりしない人々が、生まれつき知能の低い人間を平気で虐待するのはまことしやかに奇妙である」と
そして最後にチャーリィの知能がまた元に戻ってしまう。私が思うに彼は後悔はしていないと思う。彼は自分の運命を受け入れていた。でも、あくる日こんな未来が来るのではないかと思う。人間が自由に知能を発達させられる未来。そこで必ず問題になってくるのが感情の問題だ。チャーリィが苦しんでいたように急な知能の発達に感情の熟成が追いつかないことが多々起こる。遺伝子を解析することで人間の知のメカニズムを発見しようという試みは現在ある。この試みの先にどんな未来が待っているのか、少しずつ考えていこうと思った。
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山ピーのTVを見て借りてみた。
息子が中学の時によんで
「よかった」といってたしで・・・・・
知的しょうがいってことで
笑われていることがどういう意味なのか
いろいろだということ。
彼らとどのように付き合うのか,です。
優しい彼らを馬鹿にして利用するのは許せない,けど
うまく書けません。近すぎて
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話の筋はわかったけれど、難しくて、作者の真意が読み取れた気がしない。
きっともう一度、二度、三度読めば、わかってくるのだろうか。
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文章の変化とチャーリーの性格の変化の描き方が見事。
ラストが非常に悲しく重苦しい。
名作だと昔から聞いていたのに何故今まで読まなかったのだろう。もっと早く読めば良かった。
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私これ、いいと思うんですけどね。ラストはハッピーエンドとしか思えない。そうなる直前に、人としての幸せも知れたわけだし、今の彼も幸せなんだし。
私たちみんな、広い世界で他人と共に生きている側面もあれば、自分だけの世界に閉じこもって生きている部分もある。大事なことは人から見てどうかじゃなくて、自分がどう感じるかだ。