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王道、古典ですね。アルジャーノン的な人と言えば、読んでる人には通じる。悲劇とは思いません。心温まるファンタジー。
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あたまがよくなったら、せかいはすばらしくなるだろうか。
きちんと読んだことがなかったので、手に取ってみました。大筋は知っていたけど、ああ、こういう結末なのか、と。手術をして、知能を手に入れることは、はたして彼の幸せにつながったのだろうか。周囲の人に“温かく”笑われつつ、自分にできることをしていた頃の方が、幸せだったのでは? また、それを決められるのは、本人だけでは? この物語を読んで、私はどのように答えを出せるだろう。
答えは、著者の序文に書いてある。「わたしはチャーリィ・ゴードンです。」そう、誰もが「わたしはチャーリィ・ゴードン」である。誰もが、自分の知能の低さを恥ずかしく思ったことがあり、周囲より知能の高くなった自分を夢見たことがあり、そして、教養が人々の間に断絶を生むことを知っている。だから、教養を磨くと同時に、自分をあらゆる人に重ね、相手を思いやる心を育てなくてはならない。磨かれた教養は、自分の為ではなくて、誰かの為に使われなくてはならない。そうして初めて「チャーリィ・ゴードン」は幸せになれるだろう。
読んでほしい。周囲との断絶を感じている人に、誰かを育て導こうとしている人に、世界を変えたいと思っている人に。
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攻殻機動隊に出てくるタチコマがよんでたので手にとってみた。
間違いなく傑作の部類に入ると思います。訳も素晴らしいのだと思います。
物語の内容は、捉えようによっては悲劇ともハッピーエンドともとれる。レビューで詳しくネタバレしません。とにかく読んで損することはない。
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大学で心理学を学んだ著者が1959年32歳のときに書いた小説。中篇でヒューゴー賞を受賞した後、長篇化してネピュラ賞を受賞した作品。『五番目のサリー』や多重人格者のノンフィクションである『24人のビリー・ミリガン』の出版も話題となった著者の不朽の名作。
32歳の主人公チャーリイ・ゴードンは、生まれつき知的なハンディキャップがあり、3歳程度の知能ではあるが、どこか憎めない人を笑顔にしたり、暖かい気持ちにしたりするような素質をもっており、パン屋で単純な仕事をしながら生活をしていた。
ある日、大学の教授たちの研究のための被験者として選ばれ、手術により頭を良くしてもらうことになる。当初の競争相手として選ばれたのは、彼の前に実験用のモルモットとされ、天才的な知能をもち迷路の道順を確実に覚えられる、白ネズミのアルジャーノン。
手術後、徐々に頭がよくなっていくチャーリイは、アルジャーノンに対する気持ちの変化にはじまり、パン屋の仕事内容を新しく覚えたり、昇給したりすることにより、チャーリイに対する同僚の僻み妬みを感じたり、態度の変化を感じたりするようになる。
今まで感じていた周りの人への尊敬が、その人たちの本心を知ることで怒りや憎しみを覚えていく。また、女性に対する性的な反応や愛などの感情も発達し、喜びや孤独を通して、普通の人が何年もかけて成長していくような心と体、知能の発達をたった数ヵ月の間に急激に経験していく。
天才と変貌したチャーリイは、周りの人たちの感情や思いを察知するだけでなく、アルジャーノンの様子から自分の将来を予期するようになっていく。
まさに人生の縮図を表したような小説で、大人になれば、子どものころは感じなかったような、他人の気持ちや本音を感じるようになり、大切にしたい人の存在により、愛情や幸福を知り、憎しみや嫉妬、孤独や寂しさも覚えていく。自分の心の変化を成長や成熟として捉え、いろんな感情が沸いてきたとき、自分を第三者的に見つめてみて、観察してみるのも楽しそうだなと思える一冊でした。
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蔵書のハードカバーが見当たらず、文庫版を購入。
最後まで読み通した者だけが得られる感動があります。
本当の幸せとは?
20年以上前に読んだきりなのに、今でも思い出せる一冊。
名作です。
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終始、主人公チャーリィの一人称で展開される物語に心打たれる名作。とにかくこの演出が素晴らしい。
冒頭から片言の文章で非常に読みづらく、「なんでわざわざ?」と首を傾げたくなったが、読み進めていく内になるほど納得の演出だと気づかされる。そして気づいた頃には、どのようなエンディングになるのか?自分はそのエンディングをどのような形で目撃するのか…、これらの輪郭がはっきりしてからは、胸が詰まる思いでページをめくることとなった。
手術を受けたことにより天才と化したチャーリィは、格段に世界観が広がり、自らを客観視できるようになった。しかし、果たしてこれは彼にとって幸福だったのだろうか。全てを知ることが必ずしも幸せにつながるとは言えないと感じる。身近なことで言えばインターネットの情報やSNS。一昔前までは得ることのできなかった情報を、今では家にいながら簡単に入手できる。簡単に世界観を広げる手段を得た一方で、他人との比較から抜け出せなくなる危険性も孕んでいるように感じる。
どこそこの国ではこんな生活をしている…、友人は結婚して子供がいて…、友人はどこそこに勤めていて…、あの人は海外で活躍していて……、そして自分は…?
こんな比較の思考に囚われて、自らを不幸に貶めている人は多いのではないだろうか。
チャーリィを見ていて思うことは、誰しも人生は不公平だが、幸せになる権利は公平だということ。チャーリィは世間一般と比して、神仏から授かったものは少なかったかもしれないが、その人生に幸福を感じていたのは確かだろう。その与えられた人生を人工的に歪ませることは、人間の傲慢以外の何者でもないように感じる。科学が発達した今日でも、人間ごときが踏み込んではいけない領域があるのではないだろうか。
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32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリィ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。やがて手術によりチャーリィの知能は向上していく…天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは?
世界的名作として映像化もされた作品です。私もこういう作品があるということは知っていたけど、当時は興味が湧かず、手に取ることはありませんでした。
名作というのは何年経っても人の心に残り、語られるものだと思います。
最近、本作の紹介記事を見かけ、改めて読んでみた次第です。
本作は、主人公チャーリィの日記という体で語られていきます。ただ、知能が幼児なみなので、序盤の文章は本当に読みにくい。句読点がなかったり、漢字の使い方が中途半端だったり。ただ、それでもチャーリィのひたむきさと言いますか、皆と仲良く過ごしたいという気持ちは伝わってくるのです。
暫く読み進めると物語が動き出します。
アルジャーノンと名付けられたネズミの知能を向上させた手術をチャーリィにも施すことになるのです。しかし、その時から天才となるわけではない。彼の記す日記の内容が少しずつ変化していき、そこから読者は彼の心境を伺うことができるのです。
想像できますか?
数ヶ月で幼児だった人間が数カ国語を扱い、学術論文の問題を指摘できてしまうような者となってしまう様子を。
人が成長していく過程において、大切なものや失ってしまうもの、気づかない内に忘れてしまうもの。
そういったものについて改めて考えさせられます。
「あなたが想像しているより、世界や人は優しくないことに落胆しないで」
術後に知能が向上していくチャーリィへ先生が言い聞かせた言葉ですが、私はこの言葉がとても辛かったです。
そしてラスト。
ネタが分かっていても作品の面白さが損なわれることはないと思いますが、ここでは触れません。是非ご覧いただきたいと思います。
ただ、ラストに涙するという紹介には申し訳ないけど、私は涙しませんでした。ですが、とても切なく言いようのない気持ちにはなります。
私の目頭が熱くなったのは、”あとがき”でした。
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チャーリィは他人の中の自分に納得できず他人の考えを変えさせたい。結果、見下して境界を引き、昔の自分も硝子の向こうに放置。高みに幸せを感じない彼が重なって切ない 最後の一行は心地よい解放感。彼は消えなかった。自我を確立して幸せを得た彼が眩しい。。。 この話は暫く前の自分の出来事に重なって胸が苦しい。ライフスタイルを戻すにあたり後戻りするようで変わることが怖かった。今は戻ったり消えたりするわけでないと体感できている。 この歳、この時にようやく読んだ巡り合わせに感謝。
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読もう読もうと思って中々読めずにいた本。
終盤からの展開は胸を動かすものがあります。
ページを進めるのが辛くなる程切ない小説でした。
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小説のすごさをひしひしと感じる作品。
訳者あとがき「二十代の終わりに出会った中篇を読んだ私が流した涙は、激しい感動の涙だった。四十代にさしかかるころ、本書の翻訳にあたった私が流しつづけた涙は、苛酷な運命に翻弄されるチャーリィへの同情の涙だった」
まさにわたしも今そんな気持ち。
「そしていまこの本を前にして私が流している涙は、とても安らかな涙である。チャーリィは救われたと、八十代に達した私はそう感じました」
こうなるまで、またとっておこう。
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一瀬さんに薦められて読みました。どんどん引き込まれてあっという間に完読しました。
手術してデキる人間になった自分の周りからどんどん人が離れていってしまい、当の本人はその理由に気づいていない感じが読んでいて寂しかったです。
チャーリィの母親がもう典型的な自己愛人間でこの変も読んでいて切なかったです。
そんなチャーリィが最期の最後で自分のこれまでの人生とこれからの運命全てを知って言ったセリフが重たかったです。
「人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんて何の値打ちもない」
「愛情を与えたり受けたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないし精神病すらひきおこすものである」
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ジャニーズ系ドラマの印象が強く、また、ドラマに関してネガティブな話題が多かったため、手に取る機会を逸していたが、原作はめちゃよいです。
知的障がいを持つチャーリー(人)、アルジャーノン(ネズミ)は、研究者から為された外的治療により、通常を超える知能を短期的に得るが、同時に素直さや共感する能力が未発達で、様々な諍いを起こしていく。そしてその知能を失う中で、チャーリーが感じることとは、、、。
知能と共感性の2択に収まらない、様々な感情とエピソードが盛り込まれた小説。人としての幸せとは?教育とは?生活とは?色々と考えさせられる。
本書はフィクションであり、古い作品である。現代において養護教育の専門から見ると、どのように見えるだろうか。聞いてみたい気がする。
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長編、僕も今努力して勉強してるけど、ううっていう気持ちになった。後半の知能が落ちる兆候として怠けだしたみたいな描写は、心に響いた。
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知的障がいのある者と自分との差について考えさせられた。泣くというより、恐ろしくなった。
特に、チャーリィが得た知識、能力を失っていく描写。「おねがいです、神様、なにもかもお取りあげにならないでください。」
必死に知識を繋ぎとめようとしても虚しくこぼれていく様は、読んでる方が神に祈りたくなる。
チャーリィの未来を常に暗示してきたネズミのアルジャーノン。そのアルジャーノンの墓に花を添えてほしい(アルジャーノンに花束を)と言う場面は、消えた天才チャーリィに対するものだった。
読みにくさはあるが、意図されたものなので気にならない。
障害のある子に対する障害の受容というのは、必要なこととはいえ、残酷なものなのではと感じてしまった。
「知能だけでは何の意味もないことを僕は学んだ〜人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんて何の値打ちもない。」
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15年ほど前、中学生か高校生の頃に読んで非常に感動したのを覚えています。この本を未だに覚えているのは、ひらがなや漢字を使わない、句読点の位置など…凄く挑戦的で考えられて作られていたこともあったと思います。
それ以来の再読でしたが、とても良い本で、これまで読んだ本の中でも最高の一冊です。
知的障害のあるチャーリーだけどみんなから愛されていた。その反面イジメにあっていた事も多かった。イジメのところを読むと凄く悲しくなります。優しさのあるチャーリーをなんで悲しませるのか…
後半の部分はチャーリーの知能が落ちていく時の悲しさが伝わってくるのがわかり、とても悲しい気分になります。
みんなハッピーにならない悲しい話なんですが、愛情も感じるという複雑な感情。
パン屋の仲間がチャーリーをかばったところなんかは凄く好きです。
そして最後までアルジャーノンを心配しているチャーリーの優しさがグッときます。