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いくつかの翻訳を一行ずつ読み比べる、っていうのは、本来は個々人が自分のために個人的にやることじゃないかな、と思うので、最初のうちは、村上春樹さんや清水俊二さんへ罪悪感を感じつつ読んでいました。
翻訳した一文一文を細切れに比較されて、それが大々的に本にされるなんて本意じゃないだろうなぁと思うし、読んでいる自分に対しても、教科書を一度も読まずに人のまとめたノートだけ読んでいるような、ズルをしているような後ろめたさ。
でも、途中から、山本氏の「キモチワルイ」訳し方に、次第にイライラし始めて、そんな罪悪感は吹っ飛びました。
一番最後に、「これでどうだ」とばかりに書いてある訳が本当に嫌いで嫌いで(もちろん個人的な好みなので、好きな人もいるかもしれませんが)、チャンドラーの素敵な表現がヘンタイ的にリライトされたような、蹂躙されたような不快さでいっぱいになりました。
『後段の意味が少しとりにくい。こういう場合の私なりの鉄則は、正しい訳かどうかはともかく、日本語できちんと意味を通すことだ』とか、『ここは特に難しい文章ではないし、言っていることもごくありきたりだ。であれば、訳文で少し冒険してみようではないか』とか、ときどき見え隠れする彼の「翻訳哲学」が、私には許しがたいです。
正しい訳かどうかはともかく?
原文がごくありきたりだから訳で冒険?
翻訳という作業を何かカンチガイしているとしか思えない。意味が分からない。
「このitの意味がとれれば簡単だろう」などと書いている文法や用語の説明も、いくつか首をかしげるものがあった。200冊も訳している人が書くような内容じゃないと思うことも。
途中から、コイツのたわ言はうのみにしちゃダメだ、と思いながら山本氏の訳だけ流し読み。
英語解説本でこんな風に著者に不信感を持ったのは初めてです。
ただ、著者に比して、清水訳&村上訳はいいなぁ、すごいなぁ、と逆にお二人の良さが明確に分かって、そこは良かったとも言えます。
清水訳は、噂には聞いていたけど、予想をはるかに超えたラフさで、誤訳もあって時々ぎょっとするんだけど、でも、複雑で日本語にしにくい文章ほどとても素敵にシンプルに訳していて、天才?って思った。キレがあって、でも山本氏のように原文から逸脱したりしてない。いい時は本当にいいの。
対して村上氏の訳は、丁寧に訳してあって、おもしろい表現のところはそのままチャンドラーの表現を生かすように訳してあって、でも、日本語として違和感なくて、さすが小説家!と思った。
たとえば、「The sun had set in Dr.Varley's manner. It was getting to be a chilly evening.」の訳「ドクター・ヴァ―リーの物腰は一変していた。温かみはすでにその地平線に没し、ひややかな宵闇が姿を現していた」とか、英文がそのまま美しい日本語になっていて、私には絶対にマネできないです。