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本の雑誌の編集長として、又作家の北上次郎として、個人的に尊敬する読書の「達人」のおひとり。
父親を知るために、残されたメモや記憶、親戚の証言のひとつひとつを、社史や郷土史、同時代のことを書いたエッセイなどの記録から読み解き検証していく。作業をコツコツ続けて見えてきたものは?巻末に記された膨大な参考資料の一覧、所々挟み込まれる余談も含め、驚きと静かな感動に満ちた一冊でした。
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書評家として活躍する著者が、ふとしたことで知った父の意外な過去…。活字や俳句を愛し、自分の信念を貫き、運動家として活動した亀治郎。その足跡を辿りながら、激動の時代と家族の姿を描きあげる、傑作評伝。
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著者は、目黒孝二というよりも私にとっては何よりも北方謙三「水滸伝シリーズ」を紹介してくれた書評家の北上次郎としての顔の方が親しい。その他「本の雑誌」編集者としての顔とかもある。
しかし、ここでは「息子」の顔になっている。その意味で普遍性のある評伝だった。
父親の目黒亀治郎は、山岸一章「聳ゆるマスト」の中で紹介され、日本海軍の中の反戦活動という一種特別な活動をしたということで親戚の中一時期有名になったらしい。しかし、そのことを息子は知らなかった。既に雑誌編集者として活躍していた大人の息子が知らなかったのである。著者の驚きは幾ばくであったか。
それで父親の伝記を書くことを思いつく。その辺りは物書きとしての業だろう。しかし一向に進まないままに父親が死んでしまう。そして初めて息子は父親と向き合うのである。これは息子としての業だろう。
戦前の共産党員としての父親に対する著者の関心は予想したよりもなかった。それは何よりも、戦後の共産党との関わりをバッサリと削っていることからも伺われる。
それよりも、ここで描かれるのは、
「親の人生をたどることの困難さ」と、
「息子とほとんど胸襟を開いて接しなかった父親」という、実に普遍的な父子関係である。
つまり、亀治郎にはどこか冷たいところがある。生涯人付き合いを嫌った形跡があるのは、孤高というよりも狷介といったほうがいい、その性格のためではないのか。穏やかな表情の下に、そういう素顔があると思う。友人が少ないのは、この道筋で理解される。実はその父の血は、私にも流れている。私も友人が少ない。人付き合いも積極的にはしたくない。親戚付き合いを満足にしていないし、亀治郎同様に、本さえ読んでいることが出来ればそれで満足なのである。まるで亀治郎そっくりだ。(103P)
多かれ少なかれ、男にはそういう面があると思う。まるで私そっくりだ。私の父親は人付き合いは良かったが、狷介な部分も持っていた。
父親をたどる旅は、いつしか自分を知る旅になるのかもしれない。わずかな記録から、住んでいた場所を出来るだけ再現する。古書を漁り、現地を歩く。そして当時の風景を自分のものにしたうえで、未知で既知で最も近い他人の「父」の実像に迫る。私は目黒孝二を知らないが、それはそのまま目黒孝二の姿そのままなのかもしれない。
私も、父親の伝記を書けばそうなるのだろうか。尤も私は父親に似ているので、全ては中途半端に終わるだろうけれども。
2015年10月3日読了
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目黒氏の講演を聞いたが、この評伝もあちこちに興味深い話が飛んでいき、後戻りしながらどんどん読めてしまう。
そして、最後は家族の絆。