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原田マハさんは不思議な人だ。得意分野なのか、本作品や「楽園のカンヴァス」など絵画を題材にしたものは文体も変わる。海外作品を読んでいるような気分になる。
絵画に疎い私でも知っている芸術家の物語。フィクションなのか。作中に出てくる絵画を見ながら読みたかったな。
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4人の画家とその作品にまつわる、史実に基づいた逸話をストーリー仕立てにした4編。
どのお話も、心が温まったり切なくなったり、ほろっとさせられたり。。。
時代に翻弄されながらも描きたい絵を描き続けた執念、画家を支えた家族や周りの人々など、名画の背景にあるものが見事に表現されている。
4編の中で最も好きなのは、表題作であるモネの物語だろうか。大画家の温かい人間性と家族への愛情にジーンとさせられる。
そのほか、ドガの描いた踊り子の絵について、中野京子氏の『怖い絵』でも意外な事実が書かれているが、そのドガと関係のあったエミリー・カサットの語りによる「エトワール」も良い。この本を読んでいるさなかに電車広告で、カサット展が開催されていることを偶然知り、観に行きたくなった。
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印象派好きにはたまらない一冊。
ああ、あの絵にはこんな背景があったんだなあ、とか、美術史だけでは伝わりきらなかった所を補ってもらえました。
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キュレーターだった原田マハ。画家に纏わる小説を一般人にわかりやすく書くこととなるとおそらくこの人の右に出るものはいないだろう。
4人の著名な画家の傍で公私にわたり支援してきた人からみた芸術家たちへの思いが手紙や語りによって書かれている。
「うつくしい墓」はアンリ・マティスの絵をこよなく愛する「マグノリアんのマダム」の家政婦マリアがマグノリアの花束を届けたことからマティスの側仕えとなる。ピカソとの親交も目のあたりにみていたマリア。マティスの目に入るものすべてが絵になるように家具その他の調度品が配置されていることに感動する。
「エトワール」はアメリカ人ながらパリで画家になることを夢にて父の反対を押し切って渡仏したメアリー・カサットは、強烈に印象づけられた一枚の絵「障害競馬ー落馬した騎手」の画家エドガー・ドガに共感し彼の画廊に足を運ぶようになった。印象派と言われたドガが絵を描くために作ったマケットは唯一の彫刻作品「14歳の小さな踊り子」。メアリーはドガの没後、マケッとのモデルとなった人物を探す依頼を受けることになる。
「タンギー爺さん」は画材屋の娘からポール・セザンヌに送られた借金返済の催促を手紙から、セザンヌがいかにこの画材屋のタンギー爺さんの庇護のもとに作品を生み出していたか、また、貧しい画家たちに絵画の引き換えに絵具を売る画材屋に集まる印象派の画家ゴーギャン・ベルナール、ゴッホなど層々たる面々が手紙に綴られている。
「シヴェルニーの食卓」では、のちにクロード・モネの義理の娘となったブランシュがモネの晩年に身の回りのお世話をすることになるまでのことが描かれている。
巨匠たちも、生きていた時には貧しかったり作品を理解してもらえなかったりと苦悩に満ちた時代を過ごしていたことが繊細なタッチで描かれている。
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画家の名前やその作品を知ってはいたものの、この画家は一体どんな人だったのだろうと考えたことは一度もなかった。この本を読んで、それぞれに様々な人生があったことを感じることができた。ゴッホの描いた老人は、タンギーじいさん。全ての画家の親父さん的な存在だったとは。そんなこと思いもしなかった。そして原田さんの綴る風景の様子がそれはそれは美しくて…私の貧困な想像力でもたくさんの景色を見ることができた。ちょっと今回は説明的でいつもよりもストーリーに引き込まれなかったけれど。だけど新しい発見がたくさんあって、やっぱり読んでよかったな。
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なんだか、昔の画家たちの人生の一部を一気に覗き見してしまったようなそんな気持ちになった。
その人の人生を思いながら、絵を見るとまた違った見え方がしてきそうで面白いなー
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4人の画家それぞれを書いた4編の物語。
語り手は全て女性。各画家の代表作が描かれた背景だけでなく、印象派が生まれて浸透までの歴史も分かった(多少フィクションはあるだろうけど)。マティスとピカソ、セザンヌとゴッホなど画家同士の交流も、これまでよく知らなかったことばかりで、西洋絵画を見る目が少し変わったかな。
印象派の時代以外も小説にしてくれないかな~。でも、新しい芸術がどんどん生まれたこの時代が一番面白いんかな。
うつくしい墓
アンリ・マティス
マグノリアのある静物、薔薇窓
パブロ・ピカソ
エトワール
エドガー・ドガ
踊り子
メアリー・カサット
タンギー爺さん
ポール・セザンヌ
リンゴ、タンギー爺さん
エミール・ゾラ、ゴッホ
ジヴェルニーの食卓
クロード・モネ
睡蓮、七面鳥、ダリア、モンジュロンの池、印象日の出
ジョルジュ・クレマンソー
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印象派好きの私にはとても嬉しい一冊。
原田マハさんは楽園のカンヴァスで好きになり、こちらが文庫で出たのでジャケ、タイトル買い。
絵が目の前にありありと浮かんできたし、知らない絵画は調べてみたり…本物を観たくなったり。
何よりも、作者の知識がすごいと感じた。
画家本人ではなく、画家のそばにいた人物(フィクションも交えて史実に基づく)が一人称だったり手紙で画家を語り巨匠の人物像、名画を浮き彫りにする書き方が面白かった。
読み終えてしまうのが残念、寂しいと感じたすごく好きな一冊になった。
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14歳の小さな踊り子もタンギー爺さんも、睡蓮も、ぼーっと見ていたような気がする。フィクションとはいえこの本を読んでいたら、印象はだいぶ変わっていただろう。とても、面白いお話でございました。
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マティス、ドガ、セザンヌ、モネ、近代美術の巨匠たちの一面を傍らに佇む女性の目線で見せてくれる。彼女達の想いの中にいる巨匠たちを。彼らの描いた絵を見ながら読むのも面白い。
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この作家の絵画に纏わる物語を読む時は近くにPCかスマホが必須。
絵のことはさっぱり分からないので、語られる絵についてネットで調べて、『なるほどこういう絵かぁ』と確認しながら読み進む。
中には“著作権上、画像を掲載できません”というサイトもあって、そうなると尚更どういう絵か知りたくなってしまう。
今日のお話は、マティス、ドガ、セザンヌ、モネという画家と、彼らを取り巻く芸術家、パトロン、画商などなどの人々とのエピソードの数々。
取り巻く人々にも実在した人物を配し虚実を取り交ぜたお話は、どの話もなかなか良かったけれど、とりわけ薄幸の幼い踊り子を挟んで狂気に近いドガと対峙する女流画家メアリー・カサットの葛藤の物語が良かったな。
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原田マハの本を初めて読んだのは数年前。山本周五郎賞受賞作の「楽園のカンヴァス」。ニューヨーク近代美術館のキュレーターと日本人研究者がルソーの作品の真贋判定をめぐって競うというお話。芸術作品の真贋判定がサスペンス仕立てになっていて面白かった。ニューヨーク近代美術館に勤務後フリーのキュレーターという著者自身のキャリアもあって、アート好きにとって美術界の雰囲気が感じられるのも嬉しかった。
そして今回の「シヴェルニーの食卓」。発売当時からチェックしていたがやっと文庫になったので購入(財布と書斎の狭さを考えるとBookOffの1冊105円がイチバン!)。マティス、ドガ、セザンヌ、モネという近代美術の巨匠4人をその周りにいた人々の目から描いた四つの短編集。もちろんフィクションだが、美術の世界にいた著者だけあって美術史を踏まえて描かれており、4人以外にもピカソやゴッホ、有名な画商、コレクターも登場する。アート好きな人間としては彼らが生きた時代状況や家族、画家仲間、画商との人間関係等リアリティがあって楽しめる。この作品はこんな状況こんな想いで制作されたんだ、今何十億する作品が当時はこんな値段だったっだ!など面白い。今後彼らの作品を観るときは、今までと一味違う感覚で観ると思う。
物語としても4編すべて印象派の絵画のように上質な作品。なかでも面白いのはセザンヌを描いた「タンギー爺さん」とモネを描いた「ジヴェルニーの食卓」。印象派の絵画やアート好きの方にはオススメの一作。
「楽園のカンヴァス」もそうだったが、文中に出てくる作品をネットで見て確認しながら作品を読むといっそう実感がある。「シヴェルニーの食卓」の電子書籍版には作品がカラーで掲載されているらしいので、そのうちに購入しようと思う。
原田マハの作品では「カフーをまちわびて」「キネマの神様」も超オススメ。
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歴史上有名な人物がどんな素顔の人だったのだろうと空想を膨らますのは、歴史小説の楽しみのひとつ。
この作品で、描かれるのは印象派の画家さんたち。
印象派の作品をよく知らなくても楽しめる短編集ですが、知っていたらもっと楽しめるかな。
図録か何かを眺めながら読み進めるのは、なかなかの贅沢。
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印象派の4人の画家をめぐる短篇集。 絵画にあまり詳しくないので出てくる作品をネットで確認しながらの読書となった。
これという大きな事件が巻き起こる話ではない。画家たちを支えた人々の姿を通して、絵を描くことの情熱が表現される。
どれもいい話だが、大きな感動はなかった。
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美術関係者によるあとがきには
マグノリアのマリアやブランシュを
芸術の犠牲であるかのように書いてある。
果たしてそうか。
かつて生贄として捧げられた家畜。
彼らは自ら望んで
神の祭壇にその身を横たえたわけではない。
マリアやブランシュ、タンギー爺さんらは
画家と画家が生み出す新しい芸術の光に
その画家と同じ時代、しかも
画家と言葉を交わせる恵まれた中で
感応し、溺愛し、尊敬した。
自らがその素晴らしい芸術の光の
一部であることを心から望んだに違いない。
犠牲とは他者の意志による強制であり
他者の利益のために行われるもの。
彼らの行いは、自らの切望の果てにある。
キュレーター原田マハにしか書けないのである。
画家に関わる事実への正しく深い知識と
そのことへの理解と敬意を持たぬ者には
美術史と小説の境界線を見定めることなど
できるはずもない。
この小説に描かれたすべてのもの
時代を変えた画家たちを支えたすべての人が
私にはうらやましい。
芸術の光の中に生きることなど
望んでもできることではないのだ。
原田マハが芸術を小説で語るとき
ほかの小説には決して見られない輝きを放つ。
酔わせてもらいました。
モネと共に豊かな食卓を囲んで飲む
カルヴァドスの芳醇な香りに。