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1987年、敦煌で私は彼とケンカした ドストエフスキーの、ばか!――大宅壮一賞受賞の作者による、中国の本質を低く、深く、鋭くとらえた旅の記録。
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茶屋町Book1stにて何となく。中国について知識がなかったため楽しく読めた。留学時の特殊な環境・学生たちの態度等は自分の経験とも重なる。いつの間にか切符第一になってしまったという記述に、ヲタ活動における「並び」の「楽しさ」を思い起こす。社会主義と中国の国民性について興味を引かれる。更に何か読みたい。080531
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劣悪な中国の列車の切符をとるためだけに奔走しているさまは、旅行記とは少し違うようなきがするけれど、
その当時の中国の様子を思い浮かべることができて、大変おもしろかった。
読んでいて疑問だったのは、マイケルとの関係だった。恋人だったら恋人とはっきり言えばいいのにな〜、と。
恋人との甘い旅行記を望んでいるわけではないが、その上での葛藤とか、世界観の違いとか、書いてくれればいいのになと。あと、旅行後そして今に至るまでの中国に対する深い分析がほしかった。
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「しかし列車を降りる時間が近づくと、私は決まって感傷的になった。それは車内で出会った人たちとの別れを惜しむ気持ちと、もう一つは現実的な感情だった。それは、列車という密閉空間にいる時だけは少なくとも未来を考えずに済むからだった。」
星野博美は交渉の人だ。そして、交渉というのが、必ずしも自分の主張が自分の本当に求めているものなのかどうか、自分自身でも定かではない、ということも、よく心得た人でもある。交渉とは、相手と戦っているようでいて、本当のところは自分との戦いであることが彼女の旅の記憶から再確認されてくる。ずしりと重たいものが胃の辺りに襲ってくるのが判る。
交渉を止める時、選択肢は二つしかない。決裂するか否か、である。決裂する場合、その結果のインパクトの大きさに比べて、解放感というか、案外と自分の気持ちはさばさばとしている。逆に決裂に至らずに止める場合、つまりは括弧つきの「合意」が形成された場合、主張が通った場合もそうでなかった場合も、ずしりと胃が重たくなる。そんな星野博美の気持ちの動きに、自分はいとも簡単に同調する。最近、交渉が主な仕事になってきているので尚更だ。
そんな我田引水的な同調だけではなく、以前の読書でも感じたように、自分は星野博美の価値観に無意識のうちにいつも頷いている。例えば、星野博美はいつも在ったかも知れない出会いにこだわる。しかし一方で、その偶然が存在しなかったことにこそ自分らしさが表れているとも達観している。その潔いのかよくないのか判然としない彼女の態度に、実はとても惹かれるのだ。現実の自分を持て余しながら、それを同時に俯瞰で捉えてもいる、というアンビバレンツな自我。その彼女自身の描き方に恐らく共鳴するのだと思う。
だから何も交渉していない時の彼女は余りにも無防備だと感じるし、それを可愛らしいとも思えてしまう。じたばたしないと自分自身を俯瞰できないかのような星野博美が可愛いのである。引用した文章は、そんな彼女自身を彼女自身が時間を越えることによってようやく的確に捉え直したものだと思う。自分も、列車を読書に置き換えると、全く同じ気持ちになるのだが、そのことを自分がいつ客観的に認められるのかは、今のところ判らない。
話は違うが、滅多に「ほのめかし」のようなことをしない星野博美が、本書の最後で実に個人的なことをほのめかしている、と思うのは深読みし過ぎだろうか。描かれなかった1987年の台湾での六月。「君にはもうついていけない」の意味するところ。そして最後の一葉の写真に添えられた献辞。それまでのジャーナリスティックな星野博美の魅力とは全く異なる趣きが、そこにはある。それは驚くことに、まるで恋愛小説を読み終えたような味わいなのだった。
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1980年代、著者と男友達マイケルの中国二人旅の旅行記、第6章「ウイグル」の30ページを期待して読む。トルファンが素晴らしかったことが分かった。
旅行記というより、旅先の困難によって心理的な距離が育つ過程を記録した青春ドキュメンタリー。タイトルは、とある小説とかけてある。旅程初期の様子から先行きの困難さが示唆される。光州駅で切符を買うことに苦労している状況での記述、「(著者は列で並んでいるから、マイケルは空いている窓口で)『外人だ。切符を売ってくれ』と頼んでみては、と勧めた。彼はその任務を嫌がった。しかし私と君とどちらが外人っぽいかといったら、間違いなく君だろう、と説得し、彼はしぶしぶ特権の行使を試みに出かけた。」
見かけの分かりやすさが効果があるのはそうだろうが、恋人(とは書いてないんだけど)からこう言われては辛かろう。
悪意がなくとも相手を傷つけ萎えさせることがあったことを読み手の過去から引き出してひりひりさせるかもしれない。その上で、なんともとぼけた飄々とした感覚が混じっておりさらさら面白く読める。
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ずいぶん前に購入するもパラパラみたらなんだか文体が肌に合わなくてずっと読んでいなかった。
今回読み始めてもあまりしっくりこなかったけれど、最後まで読むことに。
本の帯に「中国の本質を低く、深く、鋭くとらえた旅の記録」
とあるが、中国をよく知る留学生の旅日記のような様相はぬぐえない。
文体がなんだか興奮していてそういう印象を与えるのかも。
それと、「」内の文章を中国語で話したことをわからせるための工夫なのだろうけれど、
「~あるや否や?」などの表現が気になる。
笑うところなのかもしれないけれど。
列車の旅における切符入手の困難から中国を見つめるという視点は
そこそこ面白いし、文化遺跡に感動できなかったという感想も
興味深い。
でも欲を言えば車窓から見た景色や、車中での人々とのコミュニケーションについて、もっと書かれていたら良かった。
第八章「それから」に書かれていた言葉、
「(現代の中国人には)一人の人間の中にも、二つの時代が共存している」
には納得。
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よくあるアジア旅行記であるが、どちらかというと著者の青春の1ページ
という感じの作品。
貧乏海外旅行や留学経験がある人ならば、
「こういう感情分かる!」と共感できる部分も多いかもしれない。
共感できる分、なんだか心がヒリヒリして後味よく読めないので、
気軽に読めるどたばたアジア旅行記が好きな方にはあまりおススメできない
気がした。
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★2010年39冊目読了『愚か者 中国をゆく』星野博美著 評価B+
1980年代後半、改革開放直後の中国に入り、香港からシルクロードまでの汽車の旅での凄まじいまでのエピソードを語る本である。この2010年からすれば、当時の中国の不合理性は信じられないほどであるが、わずか30年弱でここまで、発展したこの国の根幹にある人々のマナーのなさ、せっかちな行動、人を押しのけても前に進むエネルギーの源泉をこの本の記述からかいまみることができる。これまでの私の大きな疑問に答えてくれる部分が多々ある面白い読み物である。それにしても、著者の中国に対する入れ込み方には頭が下がる。
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香港を抜けて広州、鄭州、西安、敦煌、ウルムチの旅程を、著者が21歳の時にアメリカ人の相棒と共に汽車で巡った回想日記。
時代は80年代。当時の中国では切符販売がオンライン化していないので各駅が適当にばら売りしているという状況で、待てど並べど硬臥の切符が手に入らないが、その駅の窓口に切符が無くても満席とは限らない。そこで硬座の切符を買って乗車してから空いている硬臥を押さえるという裏技に成功したり、失敗したり。
中国人の多さ。駅ではこれが圧倒的に感じられると書かれている。それは今も昔も変わらないんだなあとしみじみする。
敦煌に至って期待したほど感動出来ない戸惑いが、そこが非日常に長く身を置いた旅の終盤にあることが原因じゃないかというところに共感を覚えた。
蛇足の章でも常々自分が考えていたことを指摘していて楽しく読めた。
平素な目線で愛情むき出しの中国のルポを書く作家はこの人以外にいないのではないか。もっと書いて欲しい。
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中国旅行がしたいので、参考に読んでみた。
20年前は列車の切符を買うのも大変な時代な苦労がよくわかったし、タイトルの愚か者の意味もわかった。愚か者じゃなきゃ、あの時代に列車旅行できなかったんだろうなっていうくらい、我慢と闘いの多い旅行模様。
今はネットのおかげでもっと旅行しやすくなってるし、
西安・敦煌とかウルムチとかシルクロード、行ってみたい。
一路平安に一人旅してみたいーーー
謝謝・チャイニーズも読んでみたい。
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1987年に中国を電車で旅行した筆者の旅行記!
関口知宏の中国鉄道大紀行がイメージででてくる感じ!
自分が生まれた前年の中国の話なんですが、
戦後?と思うぐらい
混沌としてて整備されてなくてむき出しです!
この文体もすごく好きだし、なによりも筆者のサバサバしてつかみ所のない性格が好き。エッセイなのでとても読みやすいです。中国を内側から捉える良書です!
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[ 内容 ]
交換留学生として香港に渡った著者は、一九八七年、アメリカの友人、マイケルと中国旅行に出る。
中国社会が大きな転換期を迎えたこの時期に、何を感じ、何を見たのか。
「大国」の本質を鋭くとらえた貴重な記録。
[ 目次 ]
第1章 香港
第2章 広州
第3章 西安から蘭州へ
第4章 嘉峪関まで
第5章 シルクロード
第6章 ウイグル
第7章 旅の終わり
第8章 それから
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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中国の不便さはこんなもんだろうと私が予想している模様がかいてあったけれど、どうやらそれはずいぶんと昔のこと(天安門事件前)でいまのことではないらしい。しかし、10年ぐらい前に中国旅行をした友達からも、切符売り場での割り込みはすさまじいと聞いたので、切符が普通に買えるようになったのはいったいいつからなのだろう。ものすごい勢いで成長する中国。抑圧されていた権力への志向が爆発するのもわからなくはないかもと思った。ちょうど年末の新幹線の切符を入手するために行列に並びながら読んでいたので、並ぶことにいらだつ自分と作者が重ねあわされた。というか、私が並んだのは自分が自動販売機で切符を買い間違えて変更するためという間抜けな理由でもあったので、人民の気持ちなど永久にわからないに違いない。いまの中国と比較するにはもってこいの一冊なのかもしれない。
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一路平安 −どうぞよい旅を−
1986〜87年の中国を旅したはなし。
その旅は、著者星野さんが交換留学生で香港の大学にいたとき、
同じく留学生のアメリカ人のボーイフレンドと出掛けた時のもの。
ほんの20年前の話なのに、驚かされる。
いや、今の中国という国の急激な変化を思えば、20年前とは、
優に半世紀以上前の感覚なのかもしれない。
列車の切符を手に入れるために、とれるかどうかもわからないまま
無為に長蛇の列に並び、やっと辿り着いた窓口の「鉄の女」に切符の有無をきくと、
「没有(ない)」の一言で終わる。
脱力。
2005年での旅では、「電話予約してオフィスに切符を届けてもらった」
という女子大生と列車に同乗する。
当時の話をしたら「信じられない、一体いつの話?」と驚かれる。
あははは。私もそう思います。
オビにあった「ドストエフスキー、ばか!」なんだろうと思ったら、
旅の友マイケルが、思うにままならぬ旅よりも「白痴」へと逃げ込んでしまい、
ふたりの旅の意味が見えなくなってしまったことに対する星野さんの叫び。
この時代、同世代の自分は何をしていたんだろう。
中国、絶対に行きたくないのに、なんでこんなに惹かれるのか、
不思議でたまらない。
一路平安。。。なんとも、いい言葉だなぁ
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1980年代の中国の雰囲気や、中国に対する外国人の捉え方などを、著者の留学生生活や烏魯木斉までの列車旅を交えて記した一冊。
香港返還前後の中国を記した本なども出しているようなので、ぜひ著者の別の本も読みたい。
※米原万里の「うちのめされるようなすごい本」で紹介されていたので購入。