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この本を読んだきっかけは、
「情報を扱う者は、一読すべき」
というレビューを読んだからでした。
情報の破片同士をどうつないで全体像を想像するのか、
情報は都合の良い順番にはやってこない、など、
学ぶことの多い本でした。
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米軍の行動を正確に予測することから、日本軍だけじゃなく戦後米軍からも〃マッカーサーの参謀〃と呼ばれ、山下奉文(マレーの虎)の部下だった著者。
自分のことを「堀は」と客観的に書いているのが印象的でした。
読んでいて、山岡荘八の〃小説 太平洋戦争〃を読んだときと同様の怒りが込み上げてきました。
現地からの報告は第一線のリアルな現状、血を流して得た情報。それを軽視するだけではなく、ときには無視した大本営って・・・。
戦争は長年に渡っての周到な敵の情報が不可欠で、それをもとに作戦を入念に立てても実際は、イレギュラーなことが起きる。なのに大本営は、囲碁や将棋に例えて、ふんぞり返って「なんとかしろ」と言うだけ。
・・・どれだけ流さなくてもいい血が流れたのだろう。
この本読むまで知らなかった。
大本営の中に、別格参謀と一般参謀があったこと。
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陸軍と海軍も仲悪かったとは。完全な縦割り。
そして、アメリカとの対戦戦略が開戦後2年たってようやくできるとは、情けない。今も変わってないのかな。
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■副題が「情報なき国家の悲劇」とある通り、敵情を知らないまま戦争に突入した軍部について、元大本営参謀の観点で客観的に述べている。
■戦時中の山下奉文大将との話や戦後のキューバ危機の時の話など、生々しい話は興味深い。特に山下将軍の様子は、リーダーのあり方を示している。
■広島に向かったB29の話も生々しい。
■一番最後には「兎の耳」の話があり、筆者はこれが一番言いたいことなのだろう。それでも、今の日本政府も日本企業もこの教訓を活かしているとは言い難いと感じる。
■情報に関して土地勘のある人にとって、この本は示唆に富んだものである。
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2/7
戦略の失敗を戦術や戦闘で覆すことはできない。
制限された中でアメリカの戦略を予想できたのはすごい。
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元陸軍参謀が自ら経験した二次大戦の情報戦を振り返ったもの。読み進める程にあまりに幼稚な戦略、対処に慚愧の念が絶えない。補給、という戦地における最重要事項の捉え方が「ローテーション」だったアメリカと、「消耗補給」だった日本。今の企業戦略もこれと変わらないところが多い。
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大本営陸軍部第二部(情報担当)やフィリピンの第十四方面軍(山下奉文大将)で情報参謀として勤務し、米軍戦法の研究結果を「敵軍戦法早わかり」に纏め、米軍の上陸地点・上陸日を次々と言い当てたことから「マッカーサーの参謀」の異名を取った堀栄三氏の回想録。
以前から「読んでみたい」と思っていて、昨年11月に購入していたのだけれども、今年の3月末に漸く読み始めて、本日読了。題名や内容の堅さに反して、平易で論理的な文章のため、引き込まれて読みました。
本書は現代日本にも通じる示唆に富んでいますが、私の印象に残ったポイントは以下の通りです。
(1) 米国と日本における「情報」に対するスタンスの違いと、その違いがもたらした悲劇。日露戦争当時の日本と同じ国なのか、と思ってしまうほどの違いがあります。
(2) 「情報なき国家」の新米参謀であった堀氏が、米軍の上陸地点・上陸日を次々に言い当てられた理由。情報入手の手段は、機密情報の盗読や暗号解読だけではないということ。
(3) ニューギニア島やレイテ島で大損害を出した陸軍が、ルソン島・硫黄島・沖縄本島では善戦(米軍の本土上陸を遅らせることができた)できた理由。米軍の不得手を如何に見抜いたか。
いずれまた再読したいと思います。
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大東亜戦争当時、陸軍参謀として情報を扱うポジションにいた筆者の戦記。
それまでの中国大陸での勝利や「大和魂」などの精神論に傾向しすぎて「情報」を大本営が軽視して諜報・防諜へのリソースを割かなかったことが大日本帝国の敗因のひとつであることは周知の事実だが、それを当時現場で体感した方の記であるので、とてもリアル。
本中では戦時の話であるが、現在においても企業のありかたや知的労働をするものにとって必須である「本質の見分け方」、企業内セクショナリズムなどが身の回りにある人にとってはとてもうなずける内容。だからどのようにすれば良いのかや、どのようにすれば日本は戦勝国になっていたかなど大上段なことは書かれていないが、得られる気づきは多い。
あと文章が平易な訳ではないのになぜか読みやすい。
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情報に対する意識が第2次世界対戦における日本の運命を大きく左右したことを痛感できる一冊。
堀が大本営参謀としてフィリピンに向かった後、山下方面軍の情報参謀に命じられて、苦しみながらも米軍の動向を的中させていく部分は、物語として大変面白い部分であり、一気に読みきることができた。
また、山下大将の人間の大きさには、惹かれるものがある。
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「敵機撃墜」の確認を日本はなんとなく行い、米軍は専用機で行っていたという制度の差。個人的な株投資でも損失が膨らみすぎると恐ろしくて直視できなくなりますが、当時の日本もそうだったのか?客観的にものごとを見ることの重要さを学びました。
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戦前の軍部の雰囲気がどういうものかがあらためて良く分かる。面白い、それ以上に悔しく、読んでるだけで歯がゆい思いが湧いてくる。
そんな中、著者が参謀としてついた山下奉文など、当時の計り知れない苦悩の中でどう行動したのか…、こうした人物がいたことに誇りに思えた。
情報なき国家の悲劇はしかし現在も続いているような気がしてならない。
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☆4(付箋26枚/P348→割合7.47%)
・将軍(土肥原中将)は和服にくつろいで、物静かな柔らかい口調で、「親父さんから聞いたよ、再審を受けるんだそうだね、そこで戦術はどう勉強するかということだな…?」と開口一番、ずばり堀の心中を見抜いて言った。そして、
「戦術は難しいものではない。野球の監督だって、碁打ちだって、八百屋の商売だってみんな戦術をやっているのだ。ただ兵隊の戦術は軍隊という駒を使って、戦場という盤の上でやる将棋だ。だから、いまこの場面で相手に勝つには、何をするのが一番大事かを考えるのが戦術だ。要するに駒と盤が違うだけで世の中の誰もがやっていることだ」
堀はまったく毒気を抜かれてしまった。もっと高邁な戦理が聞けると思っていたのに、実に平凡な話であった。
「そのためには枝葉末節にとらわれないで、本質を見ることだ。文字や形の奥の方には本当の哲理のようなものがある、表層の文字や形で覚えないで、その奥にある深層の本質を見ることだ。世の中には似たようなものがあるが、みんなどこかが違うのだ。形だけを見ていると、これがみんな同じに見えてしまう。それだけ覚えていたら大丈夫、ものを考える力ができる」
・とかく自分に有利に進展しているときには、自分のレンズで相手を見て我田引水の結論を導き出すことが多い。そのために作戦と情報とは厳に仕事が区別されているのだが、作戦は往々将棋指しのように、一人で考えて一人で駒を動かそうとする(これが大きな失敗だと気づいたときには、何百万の兵隊を戦死させ、日本を亡ぼしてしまっていた)。
・在ソ連の駐在武官や大使が、容易にクレムリンに出入りして、スターリンやモロトフや軍の首脳と和気藹々と話をすることは、ドイツと違って至難中の至難であったから、止むを得ず権力の中枢の考えている意中がソ連国内のどこかに、何かの形で兆候として出ていないかを、虎視眈々克明に探して分析していくことになる。
・「百二十年昔のクラウゼヴィッツの時代でさえも、戦場で制高点を占領することが、戦勝の要諦だと戦争論で述べている。戦争は昔から高いところの取り合いであった。高所から見下ろす優越感と安心感、低地にいて見下ろされる者の無力感と不安感、飛行機もないあの時代にクラウゼヴィッツはそう書いた。その時代の高所は山であった。
…制空権を維持して相手に奪われないようにするためには、後から後から新しい飛行機を作って、新しい操縦手を作って送り出してこなくてはならない。日本が高度7千メートルの飛行機を持っていたら、米国は高度8千メートルまで行ける飛行機を作る。9千メートルになったら1万メートル、1万メートルになったら1万2千メートルと、日本軍の上昇能力の上へ、上へと作ってくる。日本軍の零戦、一式戦ともに最初は米軍より優秀であったが、そのあとが続かない。
要するに制空権を維持させるには、後方の国力が物をいう。軍の主兵は航空なり、というのは国力の裏付けが必要になってくる。それなくして戦争は勝てないのだ」
・わが第四航空軍も随分米軍の船団攻撃に出たが、その護衛船の発射する防空弾幕は筆舌に尽く��難い。空が真っ黒になる面の幕だ。一機といえどもこの幕の中へ突入することは出来ない。しかもレーダーで見ているらしく、こちらが接近すると、一機一機なんか目標にしないで、その前に弾の幕を立てるんだ。一体何万、何十万発の弾丸を使うのか、戦場で見たもの以外にはわからない。それを海軍航空隊が潜っていって、ブーゲンビル島沖航空戦で戦艦四、航空母艦八隻を轟撃沈している。よくもこんな戦果が挙げられたものだ。
・第一線の軍としては訓練以外に方法がないのだ。中央から送ってくるものは、激励と訓示と戦陣訓と勅諭だが、第一線の欲しいものは、弾丸だ、飛行機だ、操縦手だ、燃料だ、食料だ。中央には中央としてやることがある。第一線の参謀と中央の参謀とは、やることも考えることも違わなくてはならない。
・大本営作戦課は、その後も一貫してそうであったが、任務は与えるが、対米戦闘に必要な陣地用の資材や糧食や弾丸を十分に与えることはなかった。それにもう一つ、一番大事なものを与えることを失念していた。“時”である。絶対国防圏が決定されてから、第四十三師団を守備につかせるまでに、八ヶ月かかっている。防禦が攻撃に優るのは、地形の利用、資材の準備と時間である。そのどれもが、「ゼロ」であった。
・しかしここで、戦法の研究を通して見てきた太平洋やニューギニヤの戦闘で、最後に述べなくてはならないことは、中川連隊やその他の諸々の戦場での勇戦奮闘と殉国の精神とを称える一方、しょせん戦略の失敗を戦術や戦闘でひっくり返すことは出来なかったということである。
・堀は、ピストでの報告を終って出てきた海軍パイロットたちを、片っ端から呼び止めて聞いた。
「どうして撃沈だとわかったか?」
「どうしてアリゾナだとわかったか?」
「アリゾナはどんな艦形をしているか?」
「暗い夜の海の上だ、どうして自分の爆弾でやったと確信して言えるか?」
「雲量は?」
「友軍機や僚機はどうした?」
矢継ぎ早やに繰り出す堀の質問に、パイロットたちの答えは徐々に怪しくなってくる。
・あちらこちらで米軍がばら撒く紙幣は、単なるゲリラの軍資金ではなく、かなりの偽札が故意に混入されているらしく、ルソンは急速に極端なインフレになっていった。そのために、日本守備隊の現地調達が、朝2ドルといったものが昼には4ドルに、次の日は5ドルと跳ね上がる始末で、明らかな米軍の市場攪乱を狙う計画的謀略であった。
・米軍の飛行機は飛び立つと必ず電信を打つ、その電信には発信者の呼び出し符号と宛先があるから、それを丹念に集めていると、どこからどこへ、どんな機種が、何機、ということまで判明する。
・それまでの堀は、頭の中で目の前の現象を追い回して、思索の堂々めぐりをしていた。―特殊性と普遍性を区別すること。哲理とはただそれだけ、枝葉と根幹とを見極めることであった。
・太平洋の島では、米艦隊が島を取り巻いて四方八方から日本軍を袋叩きにしたが、レイテでは島の中央にある山脈に阻まれ、全島を艦砲で袋叩きにはできなかった。今度のルソン島は、艦隊で取り巻いても島が大きいので、島の内部まで艦砲で制圧することが出来ない。
・大将は「もう車は走り出した」という態度でゆったりとしていた。車とは三大拠点による戦略持久のことである。山から転がした大石の方向は変えられない。戦略とはそのようなもので、転がすときに斜面と方向を決めなければならない。
・米軍に関する話の中で、堀が大将に特に強調したのは、まず彼我の戦力の比較であった。日本の一個師団と米軍の一個師団では、火力(鉄量=弾丸の量)の差で、日本の師団が完全であっても、当時われわれが計算していたところでは一対三ぐらいの違いがある。
…「それでは米軍には弱点がないではないか?」
「いや、あります。米軍は山がきらいです」
・「日本は漢字をやめて、ローマ字か片仮名を採用しない限り、将来戦争はできない」と言ったのである。考えてみたら、あんなことを喋っていまさらどうなることでもなかったのに…と思うが。しかし日本軍の暗号の非効率さは、どんな角度から見ても第一線戦力の減殺であって増強にはなっていなかった。
…方面軍で100名、軍が50名、師団が30名、連隊が10名と仮定しても、満州から中国大陸を経て太平洋に展開した日本軍の中で、暗号に従事した人員は、恐らく5、6万名、ざっと4、5個師団分に相当したのではなかろうか。
・予備知識の程度でも、また原爆の「ゲ」の字のかけらでも、われわれの知識の片隅にあったら、また米国国内の諜報網が健在していたら、通信諜報のコールサインだけでなく、一部でもよいからB-29、なかんずくV600番部隊の暗号の解読が出来ていたら、あるいはスウェーデンを経て入手したM-209暗号機での解読が、もう一ヶ月早く完成していたら、あの不明機の正体は必ず判明していたであろうに。V400番、V500番、V700番とあって、V600番が最初からテニアンで欠番であったことは、米軍ではB-29戦略爆撃部隊がマリアナに進出した昭和19年8月頃から、すでに原爆投下部隊を使用する計画があったと推量されたからである。
・よほどのことがない限り、今までの世界戦史では、上陸しようとする攻者が、守備する側の防者に勝っているのは、防者に、「どこへ攻者が来るか分からない」という迷いと弱みがあるからである。
・情報に表れた徴候の中から、残った数個のダイヤモンドの真偽の区別に迷いに迷った末、最後は原則の哲理に戻って考えたことは前に記述したが、米軍の将校たちには、こうした思考過程が遂に理解されなかった。挙句の果てには、上旬末は6、7、8、9、10の5日である。お前の記憶を呼び起こして、それぞれの日をパーセントで示せ、ということになった。堀は米軍の上陸した9日を70%にして、あとの30パーセントを残った日に適当に、実にインチキに割り当てて示すと、「わかった、OK!」と言われて釈放された。
米軍将校の考え方は、戦術的な思考よりも、数字的な実証に傾いていると感じたのはこのときである。また反面から言うと、この数字的思考が、記述の鉄量計算のように日本軍には欠けていた。それが日本軍の思考を常に精神主義の方へ走らせた原因でもあった。
・在京外国武官は全部首をひねるだけで返事がない。こんなとき必ずといっていいほど、連中は貝になる。たった一国の武官だけが、「(戦争は)やれないんじゃないか」と、堀に囁いた。この情勢で一番、���の目鷹の目になって耳を澄ましているのは、米ソの谷間にあって、大国の動向に敏感な小国であった。彼の言葉の裏に、本国の参謀本部の匂いのようなものを、堀は嗅ぎとった。
・「情報の究極は権力の中枢から出てくる。ソ連のような国では権力の中枢に近づけないから、中枢の外周で兆候を見て廻ることになる」
・「堀大佐、軍人や警察官がこう敬礼するのはなぜか、知っていますか?…騎士がブルグに帰ってくる。王様の前に進み出る。あの冑のままでは顔を覆っているから誰だかわからないでしょう。そこで騎士は顔の前の鎧戸のような部分を、こうやってずり上げるんです。それが起源よ」
・北部方面隊の考えは理解出来ます。だからといってわれわれ中央部までが遊撃戦を研究するのはどうでしょうか?遊撃戦は戦力がないから仕方なしにやる戦法です。第一線部隊は、きめられた兵員ときめられた兵器で戦うのですから、北部軍としては遊撃戦以外に方法がないというのであれば、中央部の幕僚は、第一線部隊が遊撃戦などでなく、正々堂々の戦いの出来るように様々な工夫をしてやるべきではないか、中央と第一線との違いはここにあります。
・太平洋戦争では、米国は英、仏、ソ、支を支えた5ヶ国分の国力を維持して戦ったのだ。こんな簡単なことが、日本の大本営にどうして判らなかったのだろうか?およそ戦争に限らず、どんな闘争でも相手の力を無視して勝てるはずがない。
・情報部は毎年一回、年度情勢判断というかなり分厚いものを作って、参謀総長や各部に配布していたが、堀の在任中、作戦課と作戦室で同席して、個々の作戦について敵情判断を述べ、作戦に関して所用の議論を戦わしたことはただの一回もなかった。
そう告白したら、大本営の作戦と情報の本当の関係を知らない一般の人々は、さぞかしびっくりするであろうが、残念ながら事実である。作戦課の作戦室に出入りを許される者は、大本営参謀の中でも一握りに限られていた。
・日本は敗戦の教訓から、情報には手をつけないで、ようやく一つだけ自衛隊に陸海の航空を統合して空軍を創った。これで世界列強並みの新軍体制が出来たと思っている間に、時代は追いつきようもないほど変わっていってしまった。
もし第三次世界大戦が勃発したら、米ソはその第一撃をどの目標に向けるであろうか?もはや、日本が実施した真珠湾攻撃のような第一撃とは、誰も考えないであろう。昭和32年10月のスプートニックの打上げ以来32年、米ソの情報部はとうに宇宙へ引っ越してしまったのである。
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・太平洋戦争で陸軍参謀であった著者が、実体験をもとに情報について綴った本。
・webのない時代に、かつ、戦争という状況下での「情報」に関する考察は、より本質的な内容に思えました。
・米軍の数字的思考と日本の精神主義という構図は、良い意味でも悪い意味でも、現代に引き継がれている気がする。
・情報重視の志向があれば、数字的国力差から、そもそも戦争にならなかったのかも。
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元大本営陸軍部情報参謀という立場から太平洋戦争を見つめた類を見ない本。
太平洋戦争について何冊か読んだが、この本がダントツにリアルで分かりやすかった。
また、情報というものがいかに重要かということも併せて認識することができた。
予想を超える収穫をいただいたので、星5。
以上
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先の大戦で日本の敗戦が決定的になったのは軍の暗号がダダ漏れだったのが一つの理由だとよく目にするが、本書はその情報が当時軍の中でどのような扱いを受けていたかを著者の「体験記」調に記されたものである。
戦記といえば「アーロン収容所」を思い出すが、本書も実際はノンフィクション小説のような体系をとっているため正直途中までは長々と体験が綴られているので飛ばし読みした。
実際知りたかった情報については本書最後半部分にある。
本書後半での著者が故郷へ帰ってからの農作業の日々や、父親との会話内容が印象的。職業軍人であった父の言葉には威厳というものが文字からも溢れている。
簡単に言うととにかく日本は非合理的で、アメリカの合理主義に完全に敗北したといっていい。
これは現在の日本の社会にも蔓延していることといえるし、本書で得た教訓を現代社会を生きる上で十分に参考にしていきたいと思う。
P327からの米軍による日本の敗戦原因の分析はぜひ一読する必要がある。ここまで詳細に、核心を得た敗戦原因の分析を敵方にされている、これが意味することは開戦前から日本の敗戦は確定していたと言っていいと思う。
情報というものがまず戦いの基本となり、これをどう扱うかで勝敗が決するといってもいい。そしてその情報戦は日々変化している、ということ。
327頁からの内容がほとんど全てなので、この戦争内容をそのまま企業や、学習などの戦いに置き換えるとためになると思った。