投稿元:
レビューを見る
タイトルや「はじめに」からは、タモリを通して戦後日本を説明するもののように見えるが、実際の内容はタモリの活躍の歴史をつづったもの。
タモリのTVへの登場したころの話は赤塚不二夫の居候くらいしか知らなかったが、その前に山下洋輔たちとのかかわりからブレイクしていったというくだりが、読んでいてワクワクした。
ロックでも60年代とかのビートルズやストーンズが生まれてきて色々なバンド、色々なロックの形態ができてくるころ発展途上の文化において化学反応を起こしていく頃の話はワクワクするが、それに似ていると思う。
いわゆるJazzの持っているフリー感がタモリの芸に影響を及ぼしているのだなというのが発見んだった。山下洋輔の初期トリオの中村誠一という方がタモリと同様のインチキ外国語しゃべったり、フリー落語というものをやったり、音楽と同じように、フリージャズの奔放さを笑いにつなげるという、深遠さ。そういえば、現代アートのハプニングとかも、この少し前のころの話なんでしょう。
芸術が格式ばったものではなく、サブカルチャーとして生き生きと表現されていく生命感。そんな気配がする。
言葉がわからないこと、意味がわからないということが重要とか、ネクラネアカのことを根が明るいか暗いか、表面上の明るさ暗さではなく、あくまで根がどうなのかという点が重要とか、本質的な部分、タモリは冷静に、物事の核の部分に焦点を合てているのが、非常にアーティスティックだと思う。
もともと登場したてのタモリは毒いっぱいでインディーズスピリッツ満載だったのが、芸能界の表舞台にぱっと適用して洗練してしまうという器用さがあったことが凄いのでしょうね。
と、タモリのことに詳しくなれる本ですが、戦後のことはあまり関係ないので、タイトル通りではない点が物足りない。
西川きよしがタモリ、たけしとほぼ年齢が同じというのが驚きでした。(きよしは中卒、タモリ、たけしは大卒の違いから、きよしはタモリ、たけしの芸能界入り時点ですでに大御所だった)
投稿元:
レビューを見る
フリーライターにより、タモリの足跡を通して戦後ニッポンの歩みを振り返ったもの。芸能を中心に、日本の文化や生活について分析されており、特にタモリの生い立ちについては、膨大な文献により詳細な研究がなされている。タモリやたけし、さんまなどの芸人についての評価も、多数の評論家のものが記載されている。学術的とは言えないまでも、豊富なデータに基づいた展開は面白く、参考になった。
「(タモリの本名)一義とは祖父の命名で、日露戦争時には満州軍参謀を務め、陸軍大臣や首相を歴任した田中義一にあやかったものだという。小沢開作が、1935年に満州の奉天で生まれた三男に、満州事変の計画実行者である関東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつとって征爾と名付けたケースと似ている」p20
「(祖父をはじめ森田家の人たち)いかに日本がつまらんかということを喋ってるわけですよ。近所付き合いは窮屈だし、土地も狭い、食べ物はまずい、人間がせこい」p21
「父親が満鉄に勤務していた映画監督の山田洋次の場合、一時東京に戻って地元の小学校に通っていたとき、川でフナをとりながら周囲の田んぼを見て、教科書に書いてある田舎とはこういうものかと理解したという。ここで重要なのは、山田が地方ではなく東京に田舎を発見したということだ。「男はつらいよ」シリーズをはじめ、古きよき日本の風景や人情が描かれているとされる山田作品もまた、その底流には日本を相対化する視線があるといえる」p24
「早稲田大学を除籍となり郷里に戻っていたタモリが二度目の上京を果たしたのは、まさに博多まで延びたばかりの新幹線に乗ってであった」p28
「タモリと同じく福岡市出身のコメディアン小松政夫によると「俺は純粋な博多っ子だけど、タモリは福岡なんだよね」という。小松に言わせれば博多とは当地を代表する祭りの一つ、博多どんたくが家から見えるところを指すのであって、タモリの生まれ育った福岡市南区はあくまで福岡なのだ」p35
「80年代前半、タモリがしきりに「カラオケ撲滅」を訴えていたのも、社交の場としてのバーやスナックが、カラオケによってぶち壊されたとの理由からだ」p108
「タモリが30歳になったのは、戦後30年の節目でもあった。1975年8月、戦後生まれは日本の総人口の49.4%に達していた。この時点で日本は、人口の半分が30歳以下という若い国だったのだ」p130
「テレビでタモリの芸を初めて見た黒柳徹子が、すぐさまテレビ局の受付に電話をかけて赤塚を呼び出し「あの人は誰?」と訊ねたという話は、「徹子の部屋」でもたびたび語られている」p132
「近田: 花輪はケッコウですから。前もって言っておかないと。あれ、意外とお返しが大変なんですよ。 タモリ: あの花を贈ったり、贈られたりこそ、芸能界じゃないですか。うるさいんだよナ、あれ。 近田: それにケッコウ高いんですよ。 タモリ: 花をちょっと怠ると、かなり感情がズレ合うんだよネ」p193
「近頃のタモリは何だ! すっかり全国民的芸能人、茶の間のスーパースターになり下がってしまったではないか。間違いのもとは「笑っていいとも!」だ。毎日、昼間、ナマ、出ずっぱり、こんなことしてたら影も毒もうすくなって当然だろう。スタジオは、誰を見てもカワユーイ、何をきいてもギャハハハのアホガキが陣取ってる。目の前にこんなのがいればどうしてもそのレベルに合わせてしまう」p259
「(長寿番組)僕はいつもこう答えてるんですよ。秘訣はやる気を出さないことですって。いや、スタッフにはやる気が必要ですよ。でも、タレントはなくて大丈夫。いや、やる気はない方がいい。流されなきゃできないですよ。毎日今日の反省とかして、あそこが悪かってから明日はこうしよう、なんてやってたらこんなに何年も続かないでしょう」p285
投稿元:
レビューを見る
2018/11/9読了
武田鉄矢さんのラジオから興味を持って読むことに。
終戦の一週間後に生を受けたタモリさんの軌跡をたどる。
日本のサブカル、テレビ、お笑い文化といった芸能面の推移をみていく。
30歳で芸能界入りという遅咲きながら、スターダムに上り唯一無二の存在となるタモリさん
個人を軸にしてみると、業界の移り変わり、世間の考え方や流れもよくわかるのでそういう視点を得たという点でも面白い。
「タモリ」という存在の大きさがよくわかる
面白い評論でありました。
投稿元:
レビューを見る
タモリの生い立ちから、山下洋輔や赤塚不二夫との交流を経て「お笑いビッグスリー」と呼ばれるまでにいたる経歴を紹介しつつ、戦後日本の社会状況とのかかわりについて論じている本です。
「タモリと戦後ニッポン」というタイトルからは、文化史・社会史的な観点からメディアにおけるタモリという存在の象徴している意義を考察するような内容を想像しますが、じっさいにはタモリの比較的くわしい評伝としての性格が強い本であるように感じました。その意味では、やや期待はずれの印象がなくもないのですが、いずれにしてもタモリの半生をていねいにたどっている手堅い仕事だといってよいのではないでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
戦後のテレビ史という印象。
それもタモリを中心に添えて描くので、どこか客観的で醒めていて面白かった。
国民のおもちゃ、いいじゃない。
投稿元:
レビューを見る
新書としてはページ数が多いが読み終わってみると飽きない内容。特にタモリの学生時代からのエピソードは興味深い。タモリのようなタレントは今後は出てこないのか。
投稿元:
レビューを見る
1945年敗戦の年に生まれたタモリさん。早稲田大学でダンモのマネージャーをして後、福岡に帰りサラリーマンになったタモリさんが、いかにしてテレビに出るようになったのか。いいともが終わってタモリさんはどう変わって行くのか。昭和の歴史、時代背景とともに描かれている。
投稿元:
レビューを見る
2016/8/20タモリは終戦の一週間後に生まれている。期待した歴史部分は、少なかったがタモリの生涯を描いた力作だった。★4
投稿元:
レビューを見る
2019年10月17日読了。cakesでの連載を書籍化したというタモリ論。「戦後ニッポン」という切り口は面白い、密室芸人として周りに押し出されるように世に出たタモリはテレビの露出が増えるに従い毒のない人物に変節していった、というイメージがあるが、戦後日本の文化(特にテレビ)レベルの向上、人々の関心の変化が彼を見る目を変えてきただけでタモリ自身の趣味嗜好・観察眼など本質はずっと変わっていない、とする観点は面白い。「他の才能を立てる」という点でタモリはたけし、さんまとは異なり、むしろ森繁久彌にその立ち位置は近い、という指摘も、自分は森繁翁のすごさは知らないのだが興味深い。いいともの最終回、見ておけばよかったな。
投稿元:
レビューを見る
タモリ論、タモリ学に続き本作を読了。
後発で情報が豊富かつテーマが社会背景にも触れている事もありもっとも読み応えは高い。タモリがサブカルからメインにすわりやがて枯淡の隠居然となりゆく様子が、時代背景も含めてしっかりと。
まぁ3作目なのでエピソードがかぶるのは当たり前。」はり幼年時代のフールオンザヒルのエピソードにぐっとくる。
投稿元:
レビューを見る
ほぼずっとタモリの話で「戦後ニッポン(社会学的分析)」の話は少ない。タモリに興味ない人は読んでいて辛い
●感想
タイトルに惹かれてaudiobook.jpで購入。タモリという芸能人と「戦後日本」のダイナミクスが語れることを期待してしまったが、内容は「タモリ」一色である。タモリの大学時代から今に至るまでを終始ミクロに語る。「あの時代のとき、~なタモリの芸がウケた」「タモリのこういとろが革新的だった」と語られるが、芸能界・タモリそのものに興味がない私にとっては読み通すのが辛かった。タイトルのように、タモリや芸能界の事象をもっと抽象化して、日本社会と結びつけて語ってくれれば良いのだが...。そういった理論化・抽象的コンセプトはとくに見当たらない。当時の芸能事情が多く書かれているばかり。タモリ好きは読めばよいと思うが...
投稿元:
レビューを見る
おもしろかった。実に想定外だった。歴史的ドキュメンタリーである。そしてこの本が終わったあと、SMAPが解散し、令和になり、コロナの時代になった。
投稿元:
レビューを見る
序 章 偽郷としての満洲
第1章 坂とラジオ、そしてジャズ―祖父母に育てられて
第2章 大学紛争とダンモ研狂騒曲―森田一義から「タモリ」へ
第3章 空白の7年間―ボウリングブームのなかで
第4章 ニッポン最後の居候―タモリ出現
第5章 テレビ「お笑い」革命―芸能人と文化人のあいだで
第6章 “変節”と“不変”―フジテレビの絶頂と『笑っていいとも!』
第7章 「リスペクト・フォー・タモリ」ブーム―テレビは終わらない
終 章 タモリとニッポンの“老後”
投稿元:
レビューを見る
タモリの人生を振り返りながら日本の戦後史を語る。終戦の年に生まれたタモリさんの半生を見ていくことで日本の時代、風俗が立体的に浮かび上がる感がある。
タモリさん自身への直接のインタビューはないので、まるで死後に出版された本みたいな印象も。
ブラタモリは末永く元気に続けてほしい。