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紙の本
言葉の力
2002/02/26 11:11
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本で、著者の浅井さんは、国家安全保障にかかわる集団的自衛権って言葉が孕む問題を論じた。なぜ今僕らはこの言葉を問題にしなければならないのか。この言葉は、どんな経緯で生まれ、どんな歴史をたどってきたのか。今、世界で、この言葉はどのように理解されてるのか。第二次世界大戦後の日本で、この言葉はどのように取り扱われ、どのように取り扱われようとしてるか。浅井さんがこういった問題を論じる背景には、集団的自衛権は危険な概念であり、日本政府がこの危険な概念を採用しつつあり、そして、日本国民はそのことをよく理解してないことに対する危機感がある。
この本のメリットは次の二点。
第一、集団的自衛権っていう言葉の意味を、その歴史を遡りながら、きちんと検討したこと。集団的自衛権って聞くと、お近づきになりたくないなあって感じるか、あるいはせいぜい、皆で身を守ろうっていう意味だろうって考えるくらいじゃないだろうか(僕はその両方だった)。でも、浅井さんはそんな常識にとらわれず、意表を突くような疑問を次々に繰り出す。集団的自衛っていうのは、本当に自分の身を守ること(自衛)なんだろうか。集団的自衛権は本当に権利なんだろうか。そもそも国家は自衛権を持つんだろうか。こういった、言われてみれば納得するけど、言われなければ(僕なんぞは)存在も気づかないような問題を、浅井さんは次々に突きつける。そして、集団的自衛は他者の身を守る他衛だとか、個人が自衛権を持つからとって国家が自衛権を持つわけじゃないとかっていう、一見常識に反するような結論を導き出す。先入観にとらわれずにものごとを見るのって、やっぱり大切なことなんだろう。
第二、国家安全保障にかかわる第二次世界大戦後の論議を概観し、その時々の政府の言葉がどれほど軽く、むなしいものだったかを示したこと。解釈改憲って概念があることは僕も知ってたけど、それがこんなに場当たり的で、言葉遊び的で、やっつけ仕事的なものだったとは知らなかった。憲法に対する態度の違いをこえて、僕らは「国会の論戦を英語に翻訳して放送したら、国際社会は、失笑するに違いありません」(二〇九頁)っていう浅井さんの言葉を重く受け止めなきゃいけないだろう。言葉は、重いものなのだ。
この本の問題点は次の二つ。
第一、自衛権って名詞にせよ、集団的って形容詞にせよ、そこで問題になるのは、守るべき自分の範囲だ。浅井さんは、それは国家だって前提に立つ。でも、必ずしもそうとは限らないだろう。それは家族かもしれないし、地域かもしれないし、同盟諸国かもしれない。まず、自分の範囲って問題について論じてほしかった。
第二、政府が国家安全保障にかかわる言葉を軽く扱ってきた背景には、国民が無関心だったって事実がある。それじゃ無関心の理由は何だろうか。浅井さんもこの問題に気付いてるけど、十分に検討することなく、国民の中流化現象のせいだって断言してしまう(一八八頁)。でも、僕はそれだけが理由だとは思えない。もう少し論じてほしかった。
ふだん僕は決まりきった日々を送ってて、国家的一大事に遭遇することはほとんどない。国家は僕らの日常生活の平和を守るために存在するわけだから、国家的一大事に遭わないのは、日本って国家がうまくいってることの証拠かもしれない。でも、こんな平和が続くと、国家的一大事に対する関心が薄れてくる。生活保守主義ってやつだ。そして、いつの間にか、国家的一大事は日常生活にも影響を及ぼす可能性があることを忘れてしまう。そうならないためには言葉を大切に扱う必要があるってことを、この本は教えてくれる。
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