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クラシック、ジャズ、ポップスと様々なジャンルにわたる音楽評論。
村上作品にも様々な楽曲が登場するが、この作家の音楽に対する思いの深さに感心する。
彼の小説と音楽が密接に関わっていることを証明してくれるような本だ。
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村上春樹の意味がなければスイングはないを読みました。ジャズやクラシックの音楽家をピックアップして、その人をテーマにしたエッセイ集でした。私はほとんどジャズやクラシックは聴かず、おもにJポップという「リズムのある歌謡曲」しか聞いたことがないので、村上春樹の言いたいことはほとんどわかりません。しかしながら、村上春樹の音楽に対するエッセイや、ラジオ番組の山下達郎の語り、そして友人のblogの文章は結構気に入って読んでいます。内容は理解できなくてもその話の進め方が面白く感じられるというのは、音楽を趣味にしている人からは邪道ということになるのでしょうが。この本ではスガシカオが取り上げられていたので、そのうちレンタルショップで借りて聞いてみましょうか。
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春樹だけどジャズの本みたいだし…と躊躇している人もぜひ一読を。ジャズだけではない!様々なミュージシャンの伝記的エッセイ。音楽を聴かない人でも楽しめる、上質な音楽鑑賞的読書が出来る本。
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「若い読者のための短編小説案内」もそうだけれど、この人の書く評論というか、何かを深く掘り下げていく書物は好きだなぁ。
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初めて読んだ村上春樹本。
ピアニストの逸話やスガシカオまでさまざま書かれているけど、この人は評論が得意なんではないかと思う。それぞれの音楽家達がまるで短編小説の主人公のように見える。音楽好きには中々良い本です。
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そんなに村上春樹らしさがあるという感じの類の本ではない。から、そんなに、面白いってことはない。特に、これを読んで、あー、ジャズとか聴きたいなぁ、てなる感じも、特にはない。(12/1/30)
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大好きなスガシカオ氏が取り上げられてたから。。
それに尽きる(笑
村上春樹氏の小説はなんだか苦手なんです。。
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お世話になった人が一時期コーヒーマスターをしていたカフェ。そこのカウンターでこれを薦められた記憶がある。人に勧められた思い出は、その本の内容といっしょになって、残っていくことになる。そういうことを、大事にしたいと思う。
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スガシカオ論は卓越した日本文化批判になっている。Jポップの歌詞とマスメディアの使う文体を同一に並べ、それらは内輪だけで通用する制度言語であり、互いに馴れ合い、もたれあっている、という洞察は、日頃からメディアの紋切り型論調にイライラさせられてきた者にとって、まさに我が意を得たりである。その一方で、こんな優しい眼差しで音楽と向かい合う姿も見せる。「思うのだけれど、クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。」小澤征爾との対談も素晴らしかったが、これも音楽評論として秀逸である。偏見と感情論、ただの印象に終始する大家と呼ばれるクラシック評論家たちと、なんという違いだろう。
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全部で10篇からなる、音楽論(演奏論、演奏家論というべきか)。シューベルトのピアノソナタニ長調を例外として、他の項目の共通項は"アメリカ"。クラシック、ジャズ、ロック、フォークまで(スガシカオもあったけど)幅広く取り上げられているが、音楽論としても読ませる力によって抜群の説得力を持って読者に迫る。中でも白眉はブルース・スプリングスティーンとウディー・ガスリーだろう。音楽が置かれた状況や、社会構造との関連にまで論究し、音楽から望見する現代アメリカ論に成りえている。一方、抱腹絶倒なのは「2人のピアニスト」。
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音楽や美術、映画とかの好みは人それぞれだから、ある意味では本を書くには難しいテーマだと思います。しかしそこは村上氏。いつもの感じで飄々と、愛を込めてときに辛辣に音楽を語ります。この本の面白いところは、村上氏がスガシカオについて語ってるとこ。そこがハイライトだと思います。
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クラシックからジャズ,ロック,邦ロックまでの各人にフォーカスを当てた作品.著者の好みによる人選なので名前を知ってるのはシューベルト,ブルース・スプリングスティーン,スガシカオぐらい.
音楽の雑文というより,丹念に調査されたやらかい論文に近いかな.音楽を聴いて楽しむのもいいけど,こんな音楽との関わり方もあるんだなって感じ.
よかったよ.
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前回はスプリングスティーンとその他的読み方をしていましたが、今回はjazz、classicも目を凝らして読みました。
最近読んだ村上春樹の音楽本と比較し、再読のせいもあるのかイマイチだったので★評価は少し辛めかも。
世界の色んな街での音楽の置かれた環境が垣間見えてなかなかに興味深いですが、当たり前ながら欧米中心。その他の場所ではどんな感じで音楽が暮らしの中にあるんだろう?特に中東辺りが気になる、何故かしら。
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最近は聴き放題サイトが便利なので、AppleMusicで紹介されている音楽を聴きながら読んだ。これがとてもおもしろい遊びでした。ポートレートインジャズではひとつひとつの紹介が短すぎてあまりその音楽を味わえなかったけど、これは読み応え&聴き応えありです。
まあ、昔からアメリカンポップス・ロック好きということもあり、ブライアン・ウィルソンとブルース・スプリングスティーンの章はなかなか感慨深いものがありました。これを読まなければビーチボーイズのサンフラワーなんて一生聴かなかったかもしれなし、ボーンインザUSAなんてこんな歌詞だなんて気にもしなかっただろう。改めてまだまだ知らない音楽とその歴史があると思い知った。
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この本は音楽について書かれたエッセイを集めた一冊だ。
その冒頭の一遍はビーチ・ボーイズ、特にバンドのリーダーであった
ブライアン・ウィルソンについて書いてある文章だ。
ブライアン・ウィルソンという人は矛盾とミスマッチを抱えている。
彼自身が作り上げたビーチ・ボーイズは
アメリカのイノセンスを象徴するようなバンドだった。
「太陽の光、海、元気な男の子と可愛い女の子の笑顔、サーフィン、オープンカー」
彼ら自身がアルバムジャケットでサーフィンを抱えてニコニコしている。
ところがブライアンは海に行くことはなかった。
泳げなかったそうだ。
だけれどもファンに求められるまま
太陽の光に照らされる海を唄いつづけなくてはならなかった。
ビーチ・ボーイズという「お金」を生むバンドのマネージャー
はブライアンの父親が務めた。
父親は常にブライアンの仕事を監視しコントロールした。
父親はかって成功できなかった作曲家であった。
ブライアンは素晴らしい楽曲を作り続けた。
しかし父親が作曲家としてのブライアンを
認めることはずっとなかったという。
時は流れアメリカはヴェトナム戦争の泥沼にはまる。
アメリカのイノセンスを象徴していたビーチ・ボーイズは
次第に世間から忘れ去られていった。
ジミ・ヘンドリックスは言った。
「今時、誰がビーチ・ボーイズなんて聴くんだ?」
ブライアンの父親はビーチ・ボーイズの
「金銭的な価値」はもう失くなったと判断した。
だから1969年にブライアンの作った楽曲の権利の一切を売り払ってしまった。
そのことに深く傷ついたブライアンはドラッグに溺れることになる。
それからブライアンはビーチ・ボーイズの中で
次第に後ろに引き下がるようになった。
他のメンバーたちが主導権をめぐって争った。
彼らは実の兄弟であり、従兄弟たちでもある。
ビーチ・ボーイズはいつの間にか懐メロバンドになった。
そこにさらにドラッグの深みにはまったブライアンの
いる場所はもうなくなっていた。
春樹さんはこのエッセイの中でスコット・フィッツジェラルドの
言葉を引用している。
「アメリカに第2章はない」
ドラッグに溺れ才能を無駄にしたブライアンに第2章はないかと
誰もが思っていた。
しかし華々しくはないがブライアンは静かに第2章を始めていた。
時は流れかってのビーチ・ボーイズたちの何人かは
もう亡くなっていた。
だけど生き残ったブライアンは静かに第2章を唄い始めていた。
そのブライアンの様子をワイキキで観た春樹さんの文章がとても良い。
まさに透明感ある水のようでありながら人肌くらいの暖かみのある文章だ。