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ユダヤ人が迫害されていた頃、金ケ崎駅(敦賀港駅)に多くのユダヤ人が降り立つことができた。そのビザを発行したのは杉原千畝。彼とユダヤ難民の足跡を追った一冊。
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オススメの理由
理由の説明をする前に、私が所属しているサークル「毎日新聞キャンパる」の説明をさせていただきます。この団体は、毎週金曜日の毎日新聞夕刊に一面枠をいただき、そこにネタ探しから執筆まで学生によって記事を書かせもらっている団体です。
ここでの活動の一貫として、この夏に「戦争取材班」ということをしました。これは、「学生が考える戦争」をテーマに、戦争を経験された方に直接会って話を聞いたりして記事を書きます。
私は今回、ある海軍軍医の方を取材させていただきました。軍医として戦争体験は知らなかったので、驚きの連続でした。同時に、このような話はどんな歴史の教科書にも載っていないと思いました。そこから、「あまり知られていない戦争」というジャンルに興味を持ちました。そんな時に出会ったのがこの本です。
『6000人の命のビザ』で有名な杉原千畝さんは、多くの人が知っている話です。しかし、その背後にいた人、そしてビザを受け取ったユダヤ人がどのような経路を渡って助かったのかはあまり知られていないと思います。
このように教科書に載らない、あまり知られていない出来事に触れることで、67年前の戦争を新たな視点で見ることができるのではないかと思いました。なので私は、「歴史の中に埋もれないように」と書かれたこの本を紹介しようと考えました。
推薦者のページ
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1940年代、本国の意向に背いて多くのユダヤ人に対し、独断で「命のビザ」を発給した日本人外交官。この話しをもっと詳しく知りたいと思い書籍を探していた。
本当の事を言うと、この件に関する別の作品を探していたのだが、そのとき唯一書店に在庫があったのが本書だったのだ。本書には命のビザを受け取ったユダヤ人たちが、シベリア鉄道やフェリーで福井県の敦賀へ渡り、安住の地を求め世界中に散ってゆく様子が描かれている。
恥ずかしながら、杉原千畝氏の事もあまり詳しく存じ上げていなかったが、その救出活動にあの旅行代理店や海運会社が、大きく関わっていた事を始めて知った。たくさんのユダヤの人々を輸送した天草丸というフェリーが、ドイツで造船されていたというエピソードもなかなか興味深い。
多くのユダヤ人を受け入れた敦賀や神戸での取材、そして実際にアメリカへ渡ったユダヤの方々への訪問など、貴重な証言の数々に思わず引き込まれてしまった。アメリカへ渡った方の中には、米国先物取引界の超大物であるレオ・メラメド氏も含まれており、改めて杉原氏と関係機関の功績の大きさに驚いた。
杉原氏は約6000名のユダヤ難民にビザを発給したそうだが、その子孫と家族も含めると結果として相当な数の人々を救ったのだと思う。本書では杉原サバイバー(生存者)という表現をしているが、世界中に「杉原チルドレン」が大勢いるのだと思うと、日本人の一人として非常に誇らしい気持ちである。
先般の東日本大震災の際、多くの外国人が日本人の秩序立った行動に驚いたようだが、前出のメラメド氏が残した「私には驚きは微塵もない、世界で最も礼儀正しい人々だから」 というコメントが印象的だった。
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一人の命を救うものは世界を救うとタルムードには書かれているそうだが、まさに杉原はその1人で、それを支えていた当時のJTBやらアメリカも相当にすごい。
杉原に救われたユダヤ人、杉原サバイバーに訪問してインタビューが出ている貴重な書籍である。
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別の本で、「敦賀で書類が完全ではなかったけど、通してあげた」というような記述を読んだような気がしていて、それ以来、杉原さんのビザを持った人がどういった経路で無事にアメリカなどへ行けたのかが気になっていた。
たくさんの力によって難民の命が助けられたことが、難民を日本まで運んだ船、敦賀、神戸・横浜、アメリカまでの船を中心に、それぞれ尽力した方々の仕事内容、アメリカに行くことが出来た方の話や当時の新聞記事を通して知ることができた。「あと10年早かったら…」という言葉がとても重い。
やっぱり一度リトアニアに行ってみたいな。
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杉原千畝氏の名声は、経年するほどに高まつてきてゐるやうな気がします。先達ても、杉原ビザで助かつた人やその子孫が多く住むイスラエルのネタニアに、「杉原千畝通り」が誕生したとのニュウスも聞きました。出身地の岐阜県八百津町でも、「おらが町の偉い人」としてその功績を讃へてゐます。
リトアニアで杉原ビザを手にしたユダヤ難民たちは、シベリア鉄道にて浦塩まで行き、そこから航路で福井県敦賀に一旦上陸、その後は国際港横浜や神戸に陸路移動し、目的地(主に米国)まで向かふといふルートが一般的だつたさうです。
しかしたとへビザがあつても、目的地までは遠い。その間に如何なる困難が待ち受けてゐるか、当の難民たちは道中、生きた心地はしなかつたのではないでせうか。
そんな彼らの逃避行を陰で支へた個人・集団にスポットを当てたのが本書『命のビザ、遥かなる旅路』であります。著者によると、千畝の人道的行為は称賛されてしかるべきであるが、「ただ、私が訴えたいのは、杉原の行為を人知れず陰で支えた人々の存在も忘れてはならないということであり、特に、杉原に恩義を感じているユダヤ人社会の人々にもそのことを知ってもらいたいと強く願うのである」(第1章より)といふ意図で本書を書いたとか。
JTBや日本郵船が果たした知られざる貢献、難民が一時滞在した敦賀や神戸の人人の対応などが、関係者への取材や当時の新聞記事で明らかになります。
特に長旅からやうやく上陸した敦賀は「天国のやうに感じた」と、述懐する難民が多かつたやうです。難民たちは見るからに疲弊しきつて、着衣も襤褸襤褸の状態。敦賀市民は歓迎こそしなかつたでせうが、偏見から排斥することもなく受け入れた民度の高さには感服であります。ある銭湯では、一日休業し、難民のために無料開放したとか。またある子どもは、「ユダヤ人は本来優秀な民族である。みすぼらしい服装をしてゐるからといつて、見かけで判断してはいけない」と大人に教へられたさうです。
本書の白眉は、第4章の「スギハラ・チルドレンを訪ねて」でせうか。著者は米国ヒューストン・ボストン・ニューヨーク・ワシントン・シカゴを訪問し、杉原ビザによつて救はれた人やその関係者を精力的に取材しました。
杉原ビザは約6000人分発給されたといはれますが、その子孫の広がりを考えへると、30万人の命を救つたとも伝へられます。
ユダヤ教の聖典「タルムード」には、「一つの命を救う者は世界を救う」とあるさうですが、杉原千畝の行動は、まさにそれを地で行くものだつたのですね。
著者は本職のノンフィクションライターではない為、ところどころで限界を感じさせる記述もございますが、新たな視点から書かれた杉原本として、労作であることには間違ひないでせう。
デハ今夜はこんなところで、ご無礼します。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-645.html
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世の中に全く知られていない人物とストーリーに衝撃を覚えた。まさか「命のビザ」に、こんな後日談があったとは。敦賀にこんな歴史があったとは。
とはいえ、後半以降は事実とも言いづらい推測の積み重ねで、そこへの興味も湧かずだった。
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「命のビザ」、その先の旅路と、旅路を支えた人々の存在に光を当てている一冊。
旅行会社や海運会社の働きについて、今までまったく知りませんでした。
写真に添えられた「私を思い出してください」という言葉が、読後、やわらかく、深く、しっかりと、心に残りました。
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ユダヤ人救済と言えば日本では杉原千畝が有名です。
しかし、彼が行ったのはあくまでビザの発給までであり、彼から発給されたビザを持った人々がその後どうなったかはあまり知られたていません。この本では、そうしたユダヤ人たちがその後多くの日本人によって支援を受けていたことがわかります。
【こんな人におすすめ】
命のビザの後日談が知りたい人