紙の本
40数年ぶりのジョナサン
2019/11/14 09:03
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投稿者:らずろ青木 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高校生の時に読んだ作品の完成版が、出版されたので購入しました。
当時の時代背景が思い出され、それなりに楽しめた。
第4章は期待感が大きかったせいか、こちらの感性が年老いてしまったのか、あまり感動できなかった。
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名著。飛行士の描く作品はなんて面白いのだろう。
「かもめのジョナサン」を、読んでいてふと、ハイロウズの「十四才」を思い出した。ああ、あれはかもめのジョナサンの事だったのかと。
ジョナサンを、人に、自分に当てはめて考えてみたり。
Part fourは、芸能人のジレンマみたいに感じた。膨らむ、崇高な念、でも「私もあなたと同じ人間だ」「きみもぼくと同じかもめだ」
握手して、舞い上がるより、「いいじゃん教えてよ」という姿勢が良い。
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努力とは、ある種の信仰なのかもしれない。
餌にありつくことを至上命題と考える群れの中で
ただ一人、飛ぶことの喜びを見出し、
飽くなき探究心で高度な飛行訓練を繰り返す
風変わりなカモメ、ジョナサンのお話。
短くて読みやすい。示唆に富んだ寓話。
1970年台にアメリカでヒットした時には
パート3までしかなかったのだけれど、
実は作家本人が、当時はふさわしくないと感じて書くのをやめていた
パート4が半世紀近くも眠っていて、
今回ひょんなことから完結編として掲載されることになった。
ということらしいのだけど、
読んでみるとパート4こそがこのお話の主題なんじゃないかとすら思える完成度。
現代の世相にバシッとマッチするこの完結編を、
今出してきた事、当時は出さなかったことを含めて素晴らしい知性を感じる。
特異な価値観のために群れを追われたジョナサンが、
努力の末に新たな境地を見出し、
それがいつしか群れからの崇拝の対象となり、
ジョナサンがいなくなると、次第にその教えが形骸化していく。
そんな失望感が漂い始めたラストに
再び現れるジョナサンの気軽さが
いろんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれます。
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Part Four を読んで、イエス・キリストとその弟子のことを思い浮かべた。キリスト教に限らず、あらゆる宗教において、この状況は当てはまるのかもしれない。
生きることに前向きな気持ちになれる、静かな希望に満ち溢れた作品。
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とても不思議な物語で、短いのですが、とても内容の濃いものを感じました。読んでいて考えさせられますし、主人公達に共感できるところも多く、引き込まれるように一気に読んでしまいました。後から読み返すと、所々引っかかる点もあり、訳者の方も指摘されているようなところも、あとがきを読んだ後では感じます。
自分が自分の能力をどのように高めていくのか、困難にどのように立ち向かうのか、それを考えるときには、本書の内容は役に立ってくると思います。
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こんな作品だと思わなかった。
多重に積み重ねられた寓話。
しかしそこには絶えず衝動と肯定、そして未来が満ち溢れている。完全版で第4章が追加されたが、これは蛇足ではない。むしろただの啓発本ぽく閉じられるような向きのあった本書を、正しく高みに乗せるものだった。
いつの時代も衝動を、高みを求めて足掻き、自分もそう足らんとして戦い、でも形骸化し、潰え。
しかしいつかまた、全ては巡る。
形骸化し死に絶えたはずの高みへの挑戦を、自らの思考と意志で再び目指す者が、いつかまた現れる。
それは、生きることへの賛歌だ。
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五木寛之さんの創訳で第4章が加わった完成版を読みました。
ジョナサンはかもめなんだけど、いわゆる「普通」のかもめとはちょっと違ったの。
飛ぶことが大好きで、それを追求しようとしたのね。
そんで、仲間から変かもめ扱いされて、群れから追放されちゃうわけ。
そんなジョナサンが同じように飛ぶことを追及して群れを追放された先達と出会って、自分は間違っていないと確信するの。
彼は研究と練習と努力に対して一切の手抜きをしないで、自分の限界をどんどん引き上げ、それを越えていくことに喜びを感じるんだ。
そのうちジョナサンは、この喜びを別のかもめたちにも伝えてあげたいって思うの。
つまり現役選手からコーチになるような感じ?
研究と練習と努力で壁を乗り越える喜びを次世代に伝えたいってね。
そして彼は伝説のかもめになって…。
作者のリチャード・バックさんは、飛行機のパイロットでした。
なんとなくテグジュペリさんの『星の王子さま』に通じるような雰囲気があるけど、テグジュペリさんも飛行機乗りだったよね。
すごく単純なことばで書かれた短いストーリーなんだけど、そのときの自分に必要な気づきが何かしら見つかりそうなお話でした。
定期的に読み返してみたいお話だったよ。
らじの背中には羽がついていないので、かもめのように空を飛ぶことはできません。
でも、翼はなくても、かもめはかもめ、らじはらじ。
今ある地べたから飛び立つ羽を心に生やすことはできるはず。
長く世界中で愛されているお子ちゃまにも読めるベストセラーって、やっぱり何か心に響くものがあるんだね。
読んで良かったです!
らじも頑張ります!
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まるで、ブッタやキリストの歩みを描いているようだと思った。自身の精神的な深化は人と共有できず、深化に努力しない人は偶像化されたものを信じ込む。
それでも、なぜ長老やジョナサンは伝えようとしたのか。私にはまだ分からない。
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かもめでありなが、飛行をひたすら極めることを生き甲斐としたジョナサンは、はたして特別なかもめであるのか?それは誰だってなり得ることができると物語は言っています。読んでいる間はジョナサンと一緒にそんな気持ちになる。話に引き込まれて自分が400キロで飛ぶ時、まさにその状態はそれが本を読むことで得られる、貴重なフロー体験をしているのではと思います
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カモメを主人公にした寓話の形をした自己啓発本の一種なのかな。
他のカモメは移動手段としての意味しかない「飛ぶ」ということを探究し、群れから離れ自分を磨いていくお話。
最終章ではそれまでの主人公であるジョナサンは神格化され、ただの偉人と人々から捉えられてしまう。しかし、それではだめだと本書は言いたいようだ。
過去の偉人であっても、結局は一人の人間であって、自分と同じようなものだ。過去の偉人はその人が尊いのではない。過去の偉人が行動にうつしたその思考の仕方が尊いのだ。
だから、その偉人の直弟子や聖地などをありがたがるのではなく、その人の思考の仕方を自分に取り入れて行動すべきだ。そのように伝えたかったのだと感じた。
確かに偉人伝などを読んでも「すごいなぁ」と感じる一方で、自分とは別の種類の人間なんだ、と思ってしまっていることは多い。しかし、そこで止まってはいけないのだろう。すごいと思ったことの後ろにある思考を想像し、その良い部分を取り入れて自身も実践してみるべきなのだろう。
私自身にも直すべきところが多々あることを認識させられた。
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夢と願い。
挑戦と練習。
成長と進化。
生きるということ。
生きようとすること。
そして、
生き続けるということ。
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文学作品を読んでみましょうシリーズその2。群れをなして生活し、群れの規律に従い生活しているかもめの中からジョナサンは現れ、「飛ぶ歓び」を知ってしまい、群れを追放されてまでも極限まで飛ぶことを追求する。恥ずかしながら初めて読んでみたが、宗教のことに思えてならない。自分の追求した先を悟り、弟子たちに伝えていく。そかし、「飛ぶことの歓び」を後世に伝えるのではなく、ジョナサンを神格化し、更には形骸化させていく。いろんなふうな解釈ができそうな本だけど、自分は「物事を形骸化させることなく本質を知ることが大事」と解釈。
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翼は何のためにあるのか――。
一世を風靡した速度を求めるカモメ、ジョナサンの物語の完成版。
カモメのジョナサンは禁欲的かつ挑戦的な性格で、飛行速度の自己記録に挑戦する日々を送っていた。ジョナサンを家族や仲間は快く思っておらず、日々の糧を得るための飛行を飛行術として昇華させても何の意味もない。ただ日々生きることに集中しろとさえ言う。ジョナサンは速度に挑戦し続け自己記録を破り、誰にも遂げられなかった最高速度に達する。だが群れの長老は一人速度を追求するジョナサンに追放を告げる。
群れから追放され一人になったジョナサンは、一人で飛行法を訓練し続け、切磋琢磨した。やがて純白に光り輝く二羽のカモメと出会い、ジョナサンは彼らと共に高みの世界へと向かう。天国と勘違いするような境地の世界で、師であるサリヴァンやチャンたちと共に過ごす。やがて、無限を認識することで有限の枷から解き放たれ、空間を跳躍するまでに至る。チャンの引退を期に、かつて地上にいたカモメたちのこと考えるようになり、彼らへ飛行法と自由の思想を教えるべく行動するようになる。旅路の中、複数の弟子を抱え、弟子たちに飛行法と思想を説き続けた。やがて期は熟したと見て、かつての群れに戻り、飛行法を披露した。初めは長老たちの敵意もあり、誰もよりつかなかったが、少しずつ飛行法や思想に興味を持ち始めたカモメが集まり、ジョナサンはカモメたちを教え導いた。ジョナサンは別の群れもまた啓蒙しようと思うようになった。弟子の一人フレッチャーに群れを任せ、再び旅立つ。
だがフレッチャーが直面したのは、ジョナサンの飛行法の形骸化と思想の教義化だった。誰もが「飛ぶ」という原義を見失い、ジョナサン本人や言動のみを注視し始めた。やがてジョナサンたちが亡くなった後、大袈裟な墓が建てられ聖地となり、中身のない常識のみが群れを支配するようになった。だが群れの中にも、かつてのジョナサンと同じ様に己の考えを信じて行動するカモメがいた。カモメが限界を突破した時、傍らにはジョナサンと名乗る光り輝くカモメがいた。
かつて読んだ時には、「少年漫画のような物語だ」と感じたが、今読んでもその感想は変わらない。だが新たに追加されたPart4は非常に宗教的な意味を持つ内容だ。宗教的と呼ぶよりは、カルト的と呼ぶべきかも知れない。原点の神格化は宗教に限らず様々な物事で起こり得ることだからだ。例えば音楽、芸術、文学、その他既存のエンターテイメントなどにも起こり得ることで、古典や原作、シリーズ第一作への過剰な固執など枚挙に暇がない。作中では主人公、ジョナサン亡き後、存在の神格化が行われ、ジョナサンのメッセージの教義化、形骸化が進む。これはキリスト教などの宗教のオマージュであり、教祖の言動を祭り上げ、本質を見失う様を寓意的に描いている。意味のある価値を置くべき物事のズレが、このような悲劇を生むことになると作中では表現されている。重要なのはジョナサン本人やその言葉ではなく、ジョナサンの実行した飛行法と思想そのものなのだ。言葉はそれらを伝達する手段の一つに過ぎない。サン・テグジュペリは『星の王子さま』の中で「大切なものは、目��見えない」と書いているが、作中にも「目に見えるものには、みんな限りがある。心の目で見るのだ」という似た台詞が出てくる。本質を見抜くことの大切さをこれらの言葉は説いている。
自由の象徴としての翼を持つが、決して素早いとは言えない鳥類であるカモメを題材にし、様々なキャラクターを描いている。物語自体はヒーローズ・ジャーニーをなぞった行きて帰りし物語だが、後半からは一般的な王道ストーリーからは逸れて物語が進行する。志しを持つも否定され、静止も聞かぬまま行動したため、旅立ちを余儀なくされたジョナサンは、飛行法を洗練させるためのメンターと出会い、やがてメンターの引退を期に自らがメンターとなって弟子たちを教える立場となる。弟子を引き連れ、かつての群れに戻り更に思想を広めていく。ここから物語は弟子のフィッチャーにクローズアップし始め、ジョナサンもまた一人のメンターとして引退し、ストーリーから姿を消す。だが世代を超えて思想が正しく受け継がれることはなく、教義化と形骸化により、ジョナサンが自由を縛るものだと嘆いた常識や掟と化し、再び群れを拘束することとなる。歴史の繰り返しや伝承の難しさ、また一種の悟りの困難さを表現するストーリー展開で、最後は主人公と同じ高い志しを持った「新たな希望」の誕生で幕を閉じる。非常に短い物語だが、ここには確かに「サーガ」があり、受け継がれる意思や世代を超えた志しなどをテーマとして描いている。前半は自由の空間的な意味を描き、掟に縛られず挑戦し続けることを自由と定義した。だが後半は自由の時間的な意味を描き、世代や場所が違えども、自由への願望や理想は失われないと言う、恒久性を描いている。自由とはどこにでもあり、永遠であるもの。それこそがこの作品を通して見出せるテーマだと言える。
文章に関しては創約であり、原典に忠実ではないという。だが創約版もかなり平易な印象を受ける文章が続く。非常に読み易いが、逆に癖や魅力に欠ける文章となっている。
台詞は年長者と年少者の対話となっているものが多い。ジョナサンが教わる者から教える者になり、また教わる者だったフィッチャーが教える者になる移り変わりの物語であるためだ。
総合的に見て非常に面白い小説だった。短く読み易い。また主人公たちの自由への志しに胸が打たれる。時代を超え、挑戦する意思を失わないことに、荒野を切り開くような冒険心を感じる。
キャラクター:☆☆☆☆☆
ストーリー :☆☆☆☆☆
世界観 :☆☆☆☆☆
テーマ :☆☆☆☆☆
文章 :☆☆☆
台詞 :☆☆☆☆
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前半部分、ジョナサンが飛ぶことについて追求する場面では、
目標に向かう者が、向き合わなければならない
心の葛藤や周囲からの態度があることが分かった。
後半では、
時間と空間に縛られない、自由な、自分の思考そのものが、本当の自分、
という考え方が深いと思った。
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Part4が分かりやすくまとめてくれている。ひとつひとつ語ろうとすると長くなりそうだけど、その感じが何よりこの物語を広めた所以なんだろなと想像。