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マーケティングは心の中に隠された市場に働きかえる技術。企業はテレビ局かr亜人々の脳の時間を買い、人々の意識を狩りくる。意識は時間の関数だから。
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10分読み。フーコー研究第一人者の石田先生のメディア論。東京大学「新図書館計画」を見る。その点はあまり新しい記述はない。
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人類の知覚の延長として位置づけられるメディアが、テクノロジーの発達と、消費社会の発達に応じる技術(マーケティング等)とあわせ、人間の能力を超えて暴走しかねない時代となっている。メディアに恣意的にコントロールされないだけの対抗的リテラシーや、軛をかけるフィードバックの仕組みが大切になる・・というようなこと。
いろいろなところに話が飛んでいるが、人文系ならではの拡がりがあり、知的興奮を感じることができた。
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●おもしろいなと思ったところは、メディア技術が人間の精神を作り出し、そこから大衆心理の「心の中の隠された市場」を操作するノウハウとして「マーケティング」が確立されていったという記述。うすら恐ろしい話ではあるが、確かに様々なメディアを通して私たちの意識はそのメディアの内容に注意を向けさせられており、その注意力をいかに自身の手でコントロールするかがメディアリテラシーの本質なのかもしれない。
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ライプニッツのバロック記号論、思考を合理的に記す人工言語計画、哲学言語の探求、これを普遍記号論とライプニッツは名付けた。
直立二足歩行、手振りと言葉の並列進化。
アナログ・メディア革命、機会が書く文字の誕生。写真、レコード、映画、メディアとはグラフテクノロジーの問題。また、これは技術的無意識を生み出す。機会が書く文字を、コマやフレームを我々は正確に認識出来ない。そしてそれらにより、我々の意識が作り出される。意識生産。
テイラーシステム、フォーディズム、ハリウッド、マーケティング。ニーズではなく、欲望から消費が生まれるようにするべきである。リビドー経済、文化産業。消費を生産する。
デジタルメディア革命、全てを01のバイナリに。
受け手の注意力は奪い合うべき資源である。注意力不全、ハイパー・アテンション。
意味のエコロジー、自らの意識、意味の生活を自律的に制御できるのか?自らメディアを捉え返す回路を作る。この技術の時代であれば消費者でもそれは可能。
再帰性、内容や相手や状況に応じて、そのつどそれ自身のあり方を変化させて調整する。プラットフォーム化、読む人見る人使う人により、情報が刻々と変化する。
人々は自分たちの意識を、商品の時間を通して構成するようになる。
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オーソドックスなメディア論とは一線を画している。
コンピュータの歴史はライプニッツまで遡る。
知覚できないものがリアルだと感じる不気味さ。
文字ベースから身体ベースでコミュニケーションするシステム。
文化産業。
今の自分を俯瞰するために、リフレクディブになるために有用な本でした。
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【不思議のメモ帳】 【人間の心】
セルロイド 感覚器官
パラフィン 知覚・意識
粘土板 無意識
(フロイト) (iPadなど) (p.25)
マーケティングというのは、バーネイズが言うように、まさに私たちの「心のなかに隠された市場」に働きかける技術なのです。企業はテレビ局から人びとの脳の時間を買い、人びとの「意識」を借り切ります。意識は時間の関数だからです。そして、CMなどで人びとの購買意欲を喚起します。これは、物の形をしたじっさいの商品をマーケットで販売する以前に、「意識のメタ市場」でまず先にやらなければいけないPR、もしくは、プロパガンダ活動ということになります。
「意識の市場」は、「メタ市場(市場の市場)」、つまり、市場を決定する力をもった市場です。商品が実際に売買される市場よりも上位に位置しています。CMで人びとの意識に働きかけることは、実際のマーケットで商品をアピールするよりもずっと効果があります。(pp.111-112)
なんといっても、本を読むという活動は、注意力の集中を必要とする活動であると同時に、注意力の深い集中を通じて、人間が自分の意識と思考で情報や知識を整理する、文明の中心を占める知的活動であるからです。私は、これからも本を読む。書くという活動が人類文化の中心であり続けると考えていますし、そうであるからこそ、電子メディア化していくほんと紙の本の文化とをしっかりと結びつけることが何よりも大切なことだと考えているのです。(p.197)
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メディアにまつわる思想的問題について解説している本です。
1980年ごろに日本で現代思想のブームが起こったあと、「記号論」という学問分野はほとんど顧みられることはありませんでしたが、著者はメディアの現代的な意義について考察するためには、記号論的な思考が不可欠であるという立場に立っています。ただし、そのばあいの「記号論」は、いわゆる現代思想の一角を占めるそれではなく、ライプニッツに代表される近世の思想家たちによって展開された、記号と思考についての考察のことを意味しています。著者は、彼らの思索が現代のメディアの基礎になっていると主張しています。
他方で著者は、現代のメディアが資本主義と結びつき、さまざまな問題を引き起こしていることにも目を向けています。とりわけ、著者自身が東京大学の図書館改修のプロジェクトに参加した経験を踏まえて、電子書籍と紙の書籍についての議論にも踏み込み、メディア・リテラシーのありかたについて根源的な問題提起をおこなっています。
メディアが「知」のありかたに対してもつインパクトを思想的に論じた本だと思うのですが、本書で展開されている思想的なレヴェルの議論が、具体的なメディアのありようとどのように結びついているのかということが、やや見通しにくいように感じてしまいました。
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クロマニョン cinématographe運動の文字
フロイト 心の装置
記憶の補完→心の延長線としての身体拡張論
感覚器官系→知覚意識系→無意識
同時に忘却の装置でもある
アンドレ『身ぶりと言葉』
ライプニッツの普遍記号論『完全言語の探求』
P.61 64
ソシュールの言語記号学
技術的無意識
・記号はテクノロジーの文字による
・意味・意識を生み出す要素
・テクノロジーの文字は読めない
→メディアはテクノロジーの文字の問題
パース ダニエル・ブーニュー
フレデリック・テーラー『科学的管理法の原理』
ウラジーミル・レーニン
テイラー・システム→Fordism
libido経済
情報記号論
ボルヘス『学問の厳密さについて』
『記憶の人フネス』
Google言語資本主義
言葉の変動相場制
メディア再帰社会
クロード・シャノン