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平気で嘘をつくというより…故意だけど、悪気が無い。悪意に満ちているけど、善良に見える人たち。悪もまた、精神疾患として治療すべきか、など、私も時々考えていた。でも、本人たちは、困り感はなく、周囲には「悪」を見破られていない事が多くて、治療にはならない。
自分があちら側にならないように時々自問して、気をつけたい。あちら側の人たちには、近づかない。
ずっと読みたかった本。勉強になりました。
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フォトリーディング。私と同じように熱烈なキリスト者らしい。キリスト者である事を隠す事が出来ないとも、にじみ出てしまうとも言っている。そんなキリスト者である精神科医が書いた、人の邪悪な面に関する本。
高速リーディング。以後は高速を交えて熟読する。
読了。
邪悪な人たちは自己正当化のために破壊的な責任転嫁をし、自分の責任を認めない。その内面にはおそらく恐怖や不安があり、それをも認めないほど自分を巨大化させているとの事。恐らくナルシス無が原因。(ナルシスムは人の成長過程に誰もが通過するところだが、邪悪な人々はそこにとどまらざるを得ないほどの心の傷を受けた可哀想な人々、との事。)
非常に重い内容だったが、とても興味深かった。結局解決策はないものの、愛によって対応する以外、状況をさらに悪化させる、との事。
星五つ。
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虚偽と邪悪に対して、その原因や対処を検討している。
その立場は、科学的な立場たらんとしており、分析的で納得できる。
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思ったよりもちゃんとした心理学の本だった。
難しい内容をわかりやすく書いており読みやすかった。
幼少期に受ける心の傷が後々に及ぼす影響を痛感した。
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著者の心理カウンセラーとしての経験を元に書かれる「邪悪な人々」、自分の周りにも結構いるなという感想。自分が正しいと固執して考える連中ほどタチの悪いものはいない、ということ。
以下引用。
p.412
邪悪性とは、ごく簡単に定義するならば、誤った完全性自己像を防衛または保全する目的で、他者を破壊する政治的力を行使することである。
本書の原題は「虚偽の人々」となっているが、これは、虚偽、つまりうそをつくということが、悪の根源であると同時に悪の発現であるからである。
p.425
われわれの凶悪性はふとしたでき心である。われわれが凶悪になるのは、まさしく、自分自身に対する理解力が持っていないからにほかならない。ここでいう「理解力」とは知識のことである。われわれは無知から凶悪になる。
あまりにも怠惰なために学ぶことをせず、また、あまりにも傲慢なために学ぶ必要すら意識していなかったのである。自分のものの考え方がいかなるものであれ、それが正しい考え方だと信じ込み、それ以上調べてみようともしなかったのである。
p.428
人間の本性から怠惰とナルシシズムという二つの悪の根源を排除する方向にわれわれが大きく前進するまでは、一国民として、また一人種として、我々が戦争に対する免疫性を身につけることは無いと思われる。
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悪について学びたいな、と思っていたところ、たまたま友達になった心理学を研究している大学院生からおしえてもらった本。
「邪悪な人とはどのような人か?」ということが実際にそのような人たちとカウンセリングしてきた著者によって描かれている。
思っていた種類の邪悪さとは少し違って、後からじわじわくるような、イライラさせるような種類の人間を描いていたけれどもこれが「邪悪だ」と言われる所以はわかったような気がする。
院生が薦めてくれた本だけあって、やっぱり少し学問的で後半は腹まで落ちなかったけれどももう一度読んでみたい。「ナルシシズム」という言葉が自分の中ですっと理解できていないような気がする。
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表題に興味をもち読んでみたが、想像していた内容と随分違った。
結論までの道筋は論理的とは言い難く、こじつけや被害者意識、偏見に満ちているように思われ驚くばかり。
銃所持の国との違いなのか、日本が、自分が、平和すぎるのか、到底首肯出来なかった。
「邪悪」というワードが現れるたびにうんざりした。
特に得るところはなかった。
2014.6.3読了
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大聖堂 強迫観念 セールスマン 悪魔と契約を結ぶ あなたは一種の卑怯者です 簡単、安易、これが貴方にぴったり当て嵌まる言葉です。 呪術的思考の段階を抜け出せない 二ヒリスティックな言葉、太古の昔からの悪魔の声 悪evilっていう字の綴りは、生きるliveっていう字の綴りと逆 我々は何故行動し、学ぶのか?その答えは簡単である。自分が関心を持っているものに対して、たとえ微かなものとはいえども理解の光を得るということは、完全な暗闇の中でのたうち回るよりはましだからである。 他人をスケープゴートにする、つまり、他人に罪を転嫁する。 彼らは、完全性という自己像を守る為に、他人を犠牲にするのである。 虚偽きょぎの人々 悪性のナルシシズム=うぬぼれ ヒトラー我が闘争 幼児ナルシシズムが保存される 長期間にわたる長い選択の連続を通じて、徐々に邪悪になる 神と悪魔の中間にある状態が真の自由 寄宿学校 R夫妻 誕生日に銃 サラとハートレー 依存と支配 イェール大学 牧師 結婚生活における隷属関係 邪悪性とは、自分自身の病める自我の統合性を防衛し保持する為に、他人の精神的成長を破壊する力を振るうことである、と定義することができる。簡単に言えば、これは他人をスケープゴートにすることである。 家畜の群れのようにガス室に追い込まれたユダヤ人 惰性と依存心の鎖 名ばかりの大人 dis非無ease安楽 アンビバレンス両面感情 ビリーは蜘蛛恐怖症 置き換え 自分の詩 独り アンダーアチーバ知能検査の結果に比して学業成績が良い生徒を「オーバーアチーバー」と いい、その逆を「アンダーアチーバー」という。 エディプスコンプレックスとは、母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる現実の状況に対するアンビバレントな心理の抑圧のことをいう。フロイトは、この心理状況の中にみられる母親に対する近親相姦的欲望をギリシア悲劇の一つ『オイディプス』(エディプス王)になぞらえ、エディプスコンプレックスと呼んだ(『オイディプス』は知らなかったとはいえ、父王を殺し自分の母親と結婚(親子婚)したという物語である)。 シャリーン 押し付けがましい 無条件の受け入れが得られる期間は、せいぜい幼児期の間だけである。心理的に成人している我々は、皆、程度の差こそあれ、愛される為には、自分の責任において、愛されるような人間にならなければならない、という事を学んでいる。 サイフォンの原理でガソリン譲る あの機械は君の神経症 ウガンダ元大統領アミン 内奥には善を求める隠れた本能 彼女の無能と失敗は、私自身の無能と失敗でもある。ベトコン ソンミ村事件 ペンタゴン 怠惰 追従者 共産主義 アイオワ州厄介者のラリー 必要悪 ユーゴスラビア 命を危険にさらして出かけていく男達の少なくとも95%が、あの戦争がどういう戦争だったかについて、いささかの知識も持ち合わせていなかった。あらゆる人間の悪の根源が惰性とナルシシズムにある ナチのユダヤ人大虐殺 宿命論を正当化 アプリオリ先見的な 愛が最初に果たすべき仕事が自己浄化である
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人が持っている邪悪性について話されている。
邪悪の根源には原因があり、子ども時代に愛を受けなかったら邪悪になる確率が高くなったり、環境による。
精神病になって、邪悪性に気づかない人やそれによって苦しんでいる人もいる。
悪「evil」の反対は生「live」である。
新しい発見のある一冊である。
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ちょっと第5章以下が頭にあまり入ってこなかった。宗教色が濃くなった気がしなくもない。
読んでいて、とある患者の反応が自分の母とそっくりで、衝撃だった。読んでいる中で、その患者のセリフが母の声で聞こえてしまって、つらかった。
でも、これで私は責めるのも悪いのも私じゃなかったんだ、このまま距離を置いていいのだと分かって、ほっとした。
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今回読んだ中のなるほどなあ文↓
『われわれはなぜ行動し学ぶのか。その答えは簡単である。
自分が関心を抱いているものにたいして、たとえかすかなものといえども理解の光を得るということは、完全な暗やみのなかでのたうちまわるよりはましだからである。そのほうがより満足感を与えてくれるものであり、建設的なものだからである。
われわれは、すべてを理解し支配することはできない。』
『(サイコパス/ソシオパスの説明をした上で本書で言うところの"邪悪な、つまりいわゆる平気でうそをつく人たち"について)
しかしながら、私が邪悪と呼んでいる人たちにはこうしたことはまずあてはまらない。完全性という自己像を守ることに執心する彼らは、道徳的清廉性という外見を維持しようと絶えず努める。(中略)他人が自分をどう思うかについては、鋭い感覚を持っている。(中略)精神病質者のように心楽しく道徳意識を欠いているのではなく、彼ら特有の良心の陰にある自分の邪悪性の証拠となるものを消し去ることに、絶えず専念しているのである。』
『邪悪な人間が選ぶ見せかけの態度に最も共通して見られるのが、愛を装うことである。』
『不快な状況に長期間置かれている人間は、当然のことながら、ほぼ不可避的に退行を示すものである。心理的成長が逆行し、成熟性が放棄されるのである。急激に幼児化し、より未開の状態に逆もどりする。
不快感というのはストレスである。(中略)ストレスにたいする人間の反応として、退行のほかにもうひとつ、「防衛」と呼ばれるメカニズムがあげられる。(中略)われわれには、自分の情動的感覚があまりにも苦痛または不快なものとなったときに、自分自身をまひさせる能力がある。(中略)自分の苦しみにたいして無感覚になっていれば、他人の苦しみにたいしても無感覚になりがちである。』
本書のカバータイトルが"平気でうそをつく人たち(People of the Lie)"なんですが、本文では一貫して"虚偽の人々"となっており、表記ゆれ撲滅原理主義としてはどっちかに統一して欲しい。
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精神科医の著者のもとにカウンセリングに訪れた患者、もしくはその家族のなかにある”邪悪”な病巣を紹介している本。
この本に登場する人たちに共通するのは本のタイトルの通り、「平気で嘘をつく」こと。なおかつ嘘をつくことがなぜ悪いのか理解できないことが共通している。さらに悪いことに、嘘をついているということが自覚できない人もいる。
嘘をつくことが悪いということがわからない、というのはまだ頭では理解はできる。でも嘘をついていることがわからない、という人間の思考構造は想像できない。
例えば、何度も転職を繰り返す女性が出てくる。若くて美人、IQも高いので、仕事を見つけるのはそれほど難しいことではない。
新しい仕事に就く前日に不安は感じませんか?と著者が聞くと、全く不安を感じないと言う。なぜなら自分の中ですでに仕事の内容がわかっているから。
全く新しい仕事(似たような職種も経験したことがない)なのに、仕事の内容がわかっているというのは、自分の想像した「虚像」でしかない仕事内容をを実像に投影し、それがあたかも当然であるという考え方。それを理解しないで「私」にわけのわからない仕事を押し付ける職場の人間の考え方が理解できない。という聞いている側には全く理解できない理屈をこねる(本人はこねてるつもりはない)
詳しい説明は省くが、こういう人が権力を持つと、ヒトラーや、ウガンダのアミン大統領のような残虐な人間になるらしい。自分と意見を異にする人間を排除してなぜ悪いのか、ということが本当に理解できないらしい。
う〜ん、理解できない!
他にも面白い症例があった。
カウンセリングに訪れたある男性は、ずっと仕事を見つからず、生活費のすべてを妻に依存している典型的なダメ男。さぞかし妻は夫を軽蔑しているかと思いきや、カウンセリングを進めるうちに、どうも夫がダメなのは、妻がそうであることを望んでいるからということがわかってきた。
つまりは夫が仕事を見つけようとしたり、自立したりするような行動をした場合、妻がその都度潰してきたので、夫もそれが楽なので、慣れちゃったということらしい。
だから本当は夫が立派な人間になるには、妻がカウンセリングを受けないといけないということだ。でも妻は自分が病気なんて思っていないから、受けることを拒絶する。
こうして一向に二人の関係は改善しないのだ。
「だめんずうぉーかー」で悩んでいる人は、男運が悪いなんて考える前に、カウンセリングを受けて、自分の病巣に目を向けた方が人生は好転する。(もちろん女性に限らず男性も同じ)
他にも子どもの成長を阻害しているのに、自分は子どもを愛していると嘘をつき、そしてその嘘にまるで気づかない(この辺の言い回しが難しいのだが)親の話とかもある。
それは、兄が自殺したときに使用した銃を、弟にクリスマスプレゼントとして贈る、というもの。
全く理解できないが、でもこの親は、その銃を本��にクリスマスプレゼントとしてしか考えておらず、弟がそれを受け取ったとき、どういう気持ちになるかにまるで考えが及ばない。唖然というのはこういうことを言うのだろう。
この本を読んでの結論は、理解できない人を理解しようなんて無駄な努力はやめようということだ。良心のない人は確かにいる。
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離婚調停中に、私はこの本に出会いました。妻は、虚偽DVを主張しており、どうやら彼女の記憶ではそれが真実になっているようでした。この本は、彼女を理解する上で、大変役に立ちました。私は、自己愛性パーソナリティ障害の関連としてこの本を読みました。身近に実例があったこともあり、非常に分かりやすかったと思います。
この本で、特に面白いと思ったのは、「病気」と「邪悪性」に定義をつけ、定義をつけることの有用性を説明してくれていたことと、個人から組織に視野を拡大していたところです。考え方として、大変参考になりました。
病気『人間としてのわれわれの潜在的能力を完全に発揮することを妨げる、身体および人格の構造内に存する欠陥である』
邪悪性『自分自身の病める自我の統合性を防衛し保持するために、他人の精神的成長を破壊する力を振るうことである』
この定義に当てはめると、毒親に育てられた子は、「親の邪悪性という病気によって生じる病気」といえるのかもしれません。理解不足で、間違ってたら、申し訳ありません。
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「虚偽と邪悪の心理学」という副題がついているが、あまり心理学という感じがしない。
精神科医として著者が出会った困った連中が大勢出てくる。ただ、彼らが「病気」なのかどうかはぼくにはよくわからない。人並み外れて胸糞悪いのと病気なのはどこが境目なのだろう? 病気は当人の責任ではないが、子どもを虐待するのは病気なんだろうか? そういう連中を「治せる」のだろうか?
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心理学、と銘打っているものの、お医者さんと
数人の患者とのやり取りの体験談、といった感じで
個人的にあまり響かなかったのですが
日本では20年以上前の1996年発行だが、
米国では1983年発行。うーんなるほど。