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資本論を読んだことはない。読もうと思ったことはない。これから読んでみたいとも思っていない。
何故この本を買ったかというと宮沢章夫が書いたからという理由以外何も無い。
そして、資本論に関心がある人もきっと手に取る可能性大のタイトル。
で、資本論に関心がある人も宮沢章夫に関心がある人も、共倒れする可能性大の本だった。
「よくわからないねじ」「わからなくなってきました」「牛への道」みたいな奔放なエッセイで見られた宮沢節は、結局資本論を前に切れ味を失って、ただただ、苦闘している。
宮沢章夫にも資本論にも寄りかかれないこの本はいったい何に向けて書かれているのか。
読み終えて、宮沢章夫と共にくたびれている自分がいる。
なんかこう書いていると面白い本だったような気もしてきたけど。
09.8.25
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「資本論」を「読む」ほん。
そのまんまと言っちゃあそのまんまなんですが…。
たまたま「資本論でも読もうかな~」と思ってた矢先に見つけてしまったのです。いやそもそも「資本論でも読もうかな~」ってなんだよって感じでもあるが。
こういう風に「読んでいく」のもアリだな、と思う。
というか、ほんの「読み」のあり方なんてそもそも無いんじゃないか、なんて…。
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資本論は私には難しすぎるかな。
更に宮沢さんみたいな、マルクスの書き方を捉えて楽しむのも難しそう。
ちょっと理解が難しかった本。
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難解な古典『資本論』を四苦八苦しながら読んでいく実録。『牛への道』レベルのオモシロ路線を求めるとちょっと読みにくいかな?と思うムキもあるかもしれませんが、それでも宮沢章夫のノリに馴れた読者にはかなり楽しめる一冊。と思います。
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本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。
と、カフカは言った。
本の読めなさを、それでも読まなくてはならない。
と、佐々木中は言った。
読書とは本来狂気じみた行為なのである。
それもそうだ、マルクスが40年もの時間を費やして、考え抜いて、書きぬいた資本論をどうして我々が容易く読むことができようか。
読書とは他人の一生を、テキストによって一瞬で疑似体験しようとする行為である。
この本は、読書という狂気の沙汰のドキュメントである。
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宮沢氏の「資本論」との、現実との格闘の記録。マルクスの書き口を著者の手によって比喩を現代化し、味わい、ときにはツッコミを入れ、最表現する。生きていた人としてのマルクスに、そして著者に触れる、笑えて萎えてそれでもやらねばと思う、快著。