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1990年代末の「女子高生」をめぐる言説の象徴のような作品です。もっとも、宮台真司と速水由紀子によるマッチ・ポンプというような印象もあります。
宮台の「解説」には、アミは「今日的イノセント」=「世界の不受容」を象徴していると書かれています。身勝手な両親に背を向け、「テレファックス」という風俗で働き、DJキム・Dが主催するパーティでレイプされることになる彼女は、そうした世界の汚れにまみれながら、少しもその世界を受け入れない、イノセントな存在としてえがかれており、「セックスを一万回しても、マスターベーションを百万回しても、結局何の救いにもならない」とつぶやく彼女の「イノセント」な世界を、知的障がいをもつ兄タクヤとの性的な関係にかさねられています。
イノセントな存在どうしの「つながり合う環」が、「遺伝子」をめぐる空想のなかで求められるのは、「家族」という現実的なつながりに回収されてしまわないための著者の戦略だということができます。アミは偶然、自分が体外受精によって誕生したことを知って、「あたしの家族なんてものは最初から存在しなかったのかもしれない」と考えます。やがてアミはタクヤの子を宿すことになりますが、その子はアミの代わりに生まれるはずだった、両親の娘の生まれ変わりではないかという想念が、アミのなかに芽生えはじめます。
その後、アミは精子ドナーの男性と接触することになります。彼は、同棲していた女性と心をつなぐためのツールをもたず、そのことが理由で彼女をうしなったあとで、彼女の存在が彼の「心そのもの」だったことに気づきます。彼もまた、世界との現実的なつながりをもたない存在だったのであり、アミと出会うことで「袋小路」から抜け出すことになります。その後、彼とアミ、アミとお腹の子のつながりは、「実像の見えない幽霊のような存在」によって結ばれ、物語の締めくくりとなります。