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<目次>
はじめに
第1章 記憶と知識
第2章 知識のメカニズムを創る~子どもの言語から学ぶ
第3章 乗り越えなければならない壁から誤ったスキーマの克服
第4章 学びを極める~熟達するとはどのようなことか
第5章 熟達による脳の変化
第6章 「生きた知識」を生む知識観
第7章 超一流の達人となる
終章 探究人を育てる
<内容>
専門は認知心理学のようだが、子どもの言語獲得のあたりが得意らしく、最初はそんな話から始まる。途中から羽生棋士の話が入ってくるが、思ったよりも子供寄りの本だった。
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子供が母国語を覚える過程とケバブを通じて、正しい「学び」という行為を語る作品。
人が言語を習得するときには、単純に単語の意味を記憶するだけではなく、新しい単語を覚えると同時に、単語同士のつながりや使い方をシステム化しているそうだ。そして構築されたシステムにより、言葉を補うための知識である「スキーマ」を養って行く。
スキーマは行間に隠された言葉の意味を推測し、知識の吸収を助ける役割を果たすが、その逆に固定観念による思い込みを助長する原因にもなり得る。したがって一度覚えた事柄であっても、必要に応じてそのシステムをバージョンアップする事が、いわゆる熟達者になるための学び方なのである。
結局の所、ケバブのように断片を集めただけの知識は使えませんよ、という話なのだが、じゃあ正しい学び方とは何なのか、わかったようなわからないような、面白かったような面白くないような… 熟達には程遠い自分にとっては、ケバブの断片が増えたような作品でした。
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やたらと物理の例が取り上げられているので、もともと物理出かなと思って調べてみたけど、そうではなかった。同時進行で朝永先生の「物理学とは何だろうか」を再読していたので重なる話が多かった。自分の中ではセレンディピティ(この使い方は違うな)。私自身、慣性の法則(「かんせいのほうそく」と打っても一発で慣性と出て来ない。一般の認識はそんなものなのか。)を毎年中3に説明しているけれど、そこまで理解していないかなあと思いながら読んだ。確かに実感と合わない難しい考え方ではあるのだけれど。本書を新聞広告で見て、書店で確認して、買おうかどうしようか迷ったあげく、買うことにした決め手はFB。最近、本のまとめ買いをした日にFBに写真をアップすることが多い。見栄というか、ちょっとよく見せようと思ったのだろうなと思う。他人ごとのようだけど。まあ、子どもの言語習得に至る過程や実験の話はおもしろくはあるのだが、結論がある程度見えていたので、読まなくてもよかったかなあ・・・そんな中、羽生善治さんのことばはヒットした。「ひらめきやセンスも大切ですが、苦しまないで努力を続けられるということが何よりも大事な才能だと思いますね。」私自身常々「努力できるのが才能なんだ」と言っていたので、思わずひざを打った。(この使い方は正しい?ことばって難しい。読んである程度理解していると思っても、自分で使うのはなかなか自信が持てない。そういえば、よく政治家とかでも使い方を間違ってお叱りを受けているなあ。)
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とりあえず購入。スキーマとかの話が出てくる。なんか学生の時の教職科目で似たような話があったなと思い浮かぶ。
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多くの研究者が「学び」を扱っているが、例えば佐伯(1975) http://booklog.jp/users/ikthr/archives/1/4491002770 があり、そこでは「認知科学」の枠組みの中で、学習のプロセスに着目し、「わかる」ということを詳細に検討することで「学び」の構造を説明していた。他方、本書では同じ「認知科学」における「言語能力の獲得」や、脳科学の枠組みで「音楽家」の脳を分析した事例に挙げ、「熟達」の過程を検討することで「学び」を扱っている。
著者は科学も外国語学習も、熟達していくうえで重要なこととして、「誤った知識を修正」し、「スキーマを修正」(p.93)することと協調している。学ぶ側の年齢を問わず、誤ったスキーマを修正する役割が、学校・大学や家庭に求められていると思った。
また熟達の具体的な説明として、「そのスキルに特化した記憶」(p.124)が脳内に貯蔵され、かつシステム化され、結果的に素早く再現できること述べている。換言すれば「身体化した手続きの記憶」(p.136)である。この熟達を経て、臨機応変の行動ができるようになり、創造性を身につけることができることが、軽重はあるが「学び」のプロセスであると理解した。
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個人的に良書。英語教育を例にとって説明しているくだりは学びの本質をついていてとても分かり易い。多くの事を知ることも重要だが、一つの事を突き詰めていくことも新たな学びをつくる。才能も学びが作る、新たな考え方を吹き込んでくれる1冊。
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著者は言語発達、認知発達、言語心理学の専門家。「学び」とは何かについて「認知科学」の視点から論じた好著。記憶と知識、誤ったスキーマの克服、熟達とは何か、直観はどこからくるのか、「生きた知識」とは、などなど。
最近流行りの「主体的な学び」について、その中身があまり真剣に議論されていないことを著者は批判しつつ、「探求人」となるヒントを与えてくれる。
外国語の学習やスポーツの練習などにも役立ちそうな一冊。
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知識と記憶、知識のシステムを創る、乗り越えなければならない壁、熟達による脳の変化、生きた知識を生む知識観、超一流の達人になる、探求人を育てる、の8章。
知識のドネルケバブ・モデル的エピステモロジー(認識)からの脱却。スキーマ(学習に用いられる思い込み的概念認知)の修正と探求を楽しみとすることによる熟達。
ドネルケバブは、実際の役には立たない知識の集積の例えだが、知識をぺたぺたと表面に貼り付けた竹輪のようなものと説明されて、焼いて削っている場面ではなく、焼く前の仕込み段階の様子だと思っても、やはり個人的にはイメージしづらかった。あえて専門用語でもない概念語を用いて、かえって難解になっているように感じた。
単なる記憶の集積では生きた学びにつながらないという点は同意するが、ではこの本を読んでよい学びが可能かとなると、そのような方法論の本ではないという結論なのだろう。
wear=着るという認知では英語学習のスキーマが誤っている(帽子もズボンも化粧もwearの対象になる一方、動作としての着るはput onと表現することの理解が妨げられている)など、言語学習や文化の理解などには特有のスキーマのための誤りを認知し修正することが必要という点は興味深かった。
16-77
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登録数やレビュー数が多いので、こちらにびっくり。
まだまだ「学ぶ」に日本人は関心が強い。
読みやすかったし、若い著者でもあるので「バレエ」とか「ダンサー」とかも出てきて、ちょっとうれしい。
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筆者は「覚えた事実の量」で知識があると思ってはいけないと説く。つまり本当に大事なのは「生きた知識」でなければならないのだ。ではどうすれば獲得できるかといえば「自分で発見する」ことが大事だそうだ。
私たちは自分が観察したり経験を自分なりにつじつまがあうように理解したいという強い欲求を持っている。その結果「スキーマ」という経験則のようなものが産まれる。スキーマは直感的につくり上げた「思い込み理論」というべきものである。人は、このスキーマによって判断を間違えることがある。つまり起こる現象を色眼鏡で見てしまうのだ。だから、自分が持っているスキーマを常に点検する必要があると著者は力説している。
思い込みの強い人にはオススメだ。
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友人からの薦めで手に取った本。結果大ヒット!
知識と記憶は違うのかというところから始まり、
学ぶための条件とは何か、子どもに学ばせるには
どうしたらいいのかなど、理路整然としていて
とても分かりやすい。
個人的には、英語がどうしても克服できないでいるのだけど、
その理由も理解できた気がする。この本で言うところの
スキーマが突破できていない。
ちょっといろんな人に薦めたくなってしまった。
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「学ぶ」ということと同時に「教える」ことも改めて考えさせられます。
非常に深い題材で、理論展開していけば際限なく広がりそうな内容を非常に上手くまとめられている。
物事を学び、上達する為の条件、方法、そして何が阻害要因なのか。
その理由が明らかにされていき、目からウロコの連続です。
とてもおすすめです。
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<熟達者とは>
・すばやく本質をつかむ(何が大事かわかる)
・予測力(カン)がある
・大局観をもつ
⇒問題を大づかみにとらえて、ゴールが見えない局面でも目指す到達点をイメージできる直観
<超一流の達人になるには>
・メリハリをつけて、高い集中力をもった練習をする
・的確な目標を持てる
⇒目指すべきパフォーマンスやそこに到達するための具体的な道筋や方策が見える
・思い込みにとらわれない
・振り返りをする
・向上することへの挑戦をやめない
・自己分析力
・自分の学びを自分で工夫する
<探求人を育てるには>
・知識は教えてもらうのではなく、自分で発見するもの‡ドネルケバブモデル(知識の断片をとにかく覚える)
・自分で発見すること、自分で何かを作り出すことに喜びを見出すこと、粘り強さを育てること
⇒遊びが大切(楽しい、能動的、それ自体が目的である)
・ほんの3~5%の小さな意識の変化が大きな違いを生む
・一人で考えることをおろそかにしない
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物事を理解するための言外の常識をスキーマというらしい。
これは学ぶときの、いわゆる「あたりをつける」作業に似ているとか。
スキーマが不適当なものであることもあるけれど、それを予め防ぐことはできないらしい。
私たちは、このスキーマを絶えず刷新して、新たな事象に向かっているらしい。
学ぶとは、知識をつなぎシステムとしていくこと。
こういったことは、なるほどとも思うし、何というか、耳に心地よい。
しかし、「探求人」を育てるのは簡単なことではないとしか思われない。
例えばどうするのか、という提案の具体性に欠ける。
先ごろ話題になった『学力の経済学』。
ちゃんと読んでいないが、その中に、ご褒美でつることは、それなりに理にかなっている、とあったと思う。
本書では、ご褒美はバッサリ否定される。
学習者が主体的にかかわって、生きた知識を次々に身に着けていくことを「学習」と捉える著者の議論からすると当然なんだろうけれど、内発的な動機付けだけではやっていけないことも知られている。
バッサリ切り捨てるだけではなく、もう少しどう考えるべきか、説明してほしいところだ。
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子育て中の親としても、一人の学習者としても、学びとは何かという問いに対するアプローチはとても参考になった。粘り強く学びを続けていきたい。