投稿元:
レビューを見る
ついにフェルゼンが登場!宝塚のベルバラを期待してた私にはちょっと拍子抜け。しかしながらロザリーが登場したときには感動のあまりニヤリ。ジャルジェ将軍も登場。オスカルは………出るわけないか。
投稿元:
レビューを見る
ベルはら好きが講じて読んだ本。読みながら「なんでオスカルがいないんだーー!」と叫んじゃった。史実にはオスカルいないのは分かっていたけれど。
投稿元:
レビューを見る
伝記文学の最高峰。平凡な贅沢好き、色恋好きな人間が過酷な歴史の荒波に洗われて、本当に王妃らしい威厳を身につけるまでを格調高く描く。
文体はリズミカルだが、この翻訳はやや古めかしい感じで、中野京子訳の角川文庫版とも機会があったら読み比べてみたい。
投稿元:
レビューを見る
[図書館]
読了:2010/8/29
購入:2010/9/28
アントワネットの最後の手紙が、その中に書かれた人たちの誰の手にも届かなかった、というのがたいへん切ない。
アントワネットが処刑されたあとの、「なぜわたしは彼女のそばで死ななかったのだろう」というフェルゼンの苦しみも。そしてフェルゼンの最期が、18年前の6月20日、パリで民衆がフェルゼンを見つけていたら起こっていたはずの、まさにその通りの殺され方、6月20日の幻像の実現であったという点、宿命というものを信じたくなる。
彼女はフランス王妃たるには凡庸過ぎ、忍耐力がなさ過ぎた。
だが死の前日まで母として子の行く末を案じ続けたし、死の瞬間まで女帝マリア・テレジアの娘として矜恃を保ち続けた。
「破格の不幸」にこの女性は屈しなかった。それが自らの行いが無自覚に招いたものだったとしても。もしくはそうであったからこそ。
投稿元:
レビューを見る
今年読んだ中で一番良かったかも。翻訳もすばらしい。
ツヴァイクの文章は、まるでこちらの心を読んでいるかのように、知りたいと思ったことを絶妙のタイミングで提示し、不審に感じた瞬間に種を明かす。インタラクティブな読書体験ってこういうことを言うんだろうなぁ、と思った。
マリー・アントワネットを襲った恐ろしい悲劇ばかりではなく、命をなげうって協力する友、恋人、家臣などの胸をうつ愛と忠誠の物語でもあり、一人の女性の成長物語でもある。
投稿元:
レビューを見る
ベルばらに思いを馳せながら読めるのは上巻まで。下巻はMCコミックスで言えば9巻に当たります。最後まで威厳と気品を失わなかった彼女の生き様と死に様に感動を覚えます。
読了後は読む回数が極端に少なかった9巻を読みたくなります。9巻(文庫版だと5巻)が、より面白く、より感動があり、今度は1巻から読みたくなります。アントワネットの目線で読み通すベルばらは新鮮で感極まるシーンも増えました。フェルゼンの存在感も増します。 マリー・アントワネットってすごいわ。
投稿元:
レビューを見る
世界史を勉強しなかった自分への反省も踏まえ、子供が生まれたら読ませたい。
上巻の王妃の思慮の無さには閉口するが、
下巻に入り、運命の歯車が回り出してからの王妃の成熟ぶりには感嘆するしかない。
最期まで毅然として、誇りを失わない美しさ。
それだけでもうお腹いっぱい。
投稿元:
レビューを見る
透徹した冷静な目で、それまでのマリー・アントワネット像に左右されず、膨大な資料を元に描かれた評伝の古典として最高峰。ファルゼンとの恋や、靴職人や革命家などへ「凡庸」だとか「教養がない」だとかいう差別的で上から目線の表現があるとはいえ、面白い。俯瞰とロールプレーイングのバランスが絶妙で、おそらく訳も素晴らしいので、「今更マリー・アントワネットかよ」とはいわず目を通してもらいたい作品。
投稿元:
レビューを見る
人間の本当の輝きは, やっぱり最期の瞬間の直前に来るのだろう。
困難に直面して, 逃げずに対決することでしか, 最期の最期で毅然として誇りを失わずにいる術はないのだろう。
投稿元:
レビューを見る
昨年の12/9より読み始めて、ようやく昨日、1/26に読み終えました。
いや~~~長かったです。
(初版は1989年)
内容が重いうえに言い回しが固いっていうか二重否定とかけっこうでてきたりして意味が理解できず、結局何が言いたいのかじっくり読み返しているうちに眠たくなって・・・・。
ま、マリーアントワネットっていやもう知らない人はいないって言うくらいの歴史上の人物なわけですが、それもなぜかっていったらその処刑された方法がものすごいから。
そう。いわゆるギロチンでの死刑ってやつです。
この本では、マリーアントワネットがオーストリアからフランスへ嫁ぐときからそのギロチンで処刑されるまでの歴史物語がまあまるでその世界をのぞいてきたかのようにドラマチックに描き出されています。
時代は1700年代後半。
200年以上も前のお話をここまで詳細に語られている(事実かどうかはさておき)っていうすごさにも感動( ;∀;) カンドーシタ
(その苦労に関しての著者のお話はあとがきにてつづられています。)
それからこの本を読むにあたって重要なことは、この著者は彼女のことを凡人と呼んでいるってこと。
この定義づけもすごいけど、私にはちょっとこの意味が理解できませんでした。
それは読みすすめていくと(歴史上の出来事を理解すると)なんとなくはわかるようになるんですが、やっぱり私には彼女が凡人だったとはとても思えませんでした。。。
特に最後のほうの囚われの身となってからの彼女の崇高な態度の描写とか、人に与える印象だとかを読むととても凡人だったらそんなことはできないって思えたんです。
凡人だったら、きっとわらの女のように自殺してるんじゃないかって思ったりもします。
もしかしたらそれは映画を見るとよくわかるのかもしれません。
けど、この映画効果でプリンセスのゴージャス気分が味わえるっていう意外なサービスが行われてるんだってさ。
実際はそこがスポットじゃないんですけどね。。。
最後のほうは涙がでそうになりましたから。
余談ですが、最後のほうマリーアントワネットが一人囚人となっていたとき、その厳しい持ち物チェックがあった中ひとつだけ許されていたものがあります。
それはなんと・・・!!( ; ゚Д゚)
仔犬
これには驚きでしたヽ(;´Д`)ノ
それにしても、結末がわかってるとはいえ、ここまでいろんな事実があったんだということに改めて自分の無知さを思い知らされたわけです。
いつも思うんですが、そのときはいやいややってたことが、今になるとなんでもっとちゃんとやっておかなかったんだろうっていうことが往々にしてありますよね。
世界史がその一つで、今学生時代に戻ったら興味津々で授業聞いちゃうんだろうな~~って思えるんですけど。
ちなみにマリーアントワネットに関する書物はたくさんでてるんですけど、映画の原作っていうことではもう一冊、��ヤカワ文庫からも出版されています。
投稿元:
レビューを見る
下巻はヴァレンヌ逃亡のあたりからアントワネットの最期まで。
つまり、暗く辛い。
1年間かけて、他の本を読む合間に読み、ようやく読破。
愚鈍なルイ十六世、平凡すぎた王妃、そして愛に生きたフェルゼン。
ルイ十六世の愚かさを詳細に記しており、アントワネットが最期に見せた聡明さと対比があざやか。
ツヴァイクの描写を読んでいると、アントワネットがフェルゼンに惹かれたのもとてもよく分かる気がした。
自業自得とは言い切れない、アントワネットの悲劇。
どこまでも平凡な女性が、非凡な運命をたどった皮肉をツヴァイクはたびたび指摘する。
ただ、それだけが原因ではなく、革命というまさに非凡なエネルギーが、ちっぽけな人間たちを飲み込んでいったのだと思った。
アントワネットの子どもたちの末路は、読むに耐えない。
何かが変わることは何かが滅びること。
滅びの内実を考えさせられた。
投稿元:
レビューを見る
普通の女性が王妃としての威厳に目覚めたのは革命でした。彼女がマリー・アントワネットでなかったとしても、フランスは王家の打倒に向けて走り出していたのです。
投稿元:
レビューを見る
まるで演説を聞いているかのような文章で、登場人物の息遣いまで感じられる。
上巻の最後にフェルゼンが漫画の王子様のように颯爽と現れ下巻への期待を高めている。
下巻は更に歴史が動き、息つく暇もない程に緊張状態が続く。
そして、アントワネット処刑までの重く長い日々。
登場人物全員とお近づきになれる天下一品の本である。
投稿元:
レビューを見る
良かったです。シュテファン・ツヴァイクも訳者の方もほんとうにすごいなあ。海外の、しかも歴史上の人物についての本なのに、比喩がわからなくなったり、つまらなくなったりするところが一切ない。注釈も少なくて的確なので感情移入を妨げるわけじゃないし。
容赦ないエピソードはどこまでほんとうなんだろうなー、描き方が絶妙でした。死に近づくほど、扱いがひどくなるほど王妃らしくなっていく様子が痛々しく、切なく、けれどとても魅力的。
投稿元:
レビューを見る
下巻のマリー・アントワネット、つまり人生後半の彼女は、とても上巻と同一人物とは思えない程一変している。まさに苦悩の人。
本書はアントワネットに同情的…というか、少なくとも革命派の野蛮さへは非難めいた論調が感じられるのだけど、結局のところ後世のフランスにおいてこの一連の出来事はどう評価されてるんだろう。革命自体は否定されないだろうけど、シマゴーグが過ぎたというか、やり過ぎだった、という風潮があるのかな。
あとがきで、回想録ブームが巻き起こったとか、ルイ18世治下ではみんな手のひらを返した、とかあって、さらにはそこにサンソンの名前も挙げられていて、狼狽した。サンソンもそいつらのうちの一人かい、みたいな。もう何を信じたらいいのかわからない。いや、振り回されすぎだ。所詮私なんぞが目にできるのは誰かのフィルターが何重にもかかった幻影みたいなものなんだから、信じたいものを信じることにしよう。