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古本屋で購入したのですが、ISBNがない・・・。表紙と出版社が同じもので代用してます。悪魔が収録されてない版です。
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恋することは自然なことさ…そこまで考え込まなくても…とつっこみを入れたくなるようなThe思い込み2作品。いやいやまじめに愛と性についての彼の理想を描いてるんだよね。ちなみにこれは彼の実体験も背景にあるらしい。
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「クロイツェル・ソナタ」は妻を殺した男の自白、「悪魔」は過去の女性関係を断ち切れず苦悩のあまり自殺した男の話。どちらも性愛が破滅をもたらすという点で共通している。
著者の性愛に対するストイックな考えが表現されたこの作品は、やや極端なきらいはあるが、実によく観察された結果の論だと思う。真に迫った描写が実にいい。また、文章が非常に読みやすいのも素晴らしい。
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人間の性によって身を滅ぼす2つのお話。
性的欲望こそが人間の諸悪の根源であるという考え方。
とても考えさせられる本でした。
「それじゃどうして…どうやって人類は存続してゆけるんでしょうね?」
「なぜ人類は存続しなけりゃならないんです?」
ここの掛け合いに、思わず人類の存続意義を考え直してしまいました。
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嫉妬のため妻を殺した男の告白を通して、惨劇の理由を迫真の筆に描き、性問題に対する社会の堕落を痛烈に批判した『クロイツェル・ソナタ』、実在の事件に自身の過去の苦い経験を交えて懺悔の気持をこめて書いた『悪魔』。性的欲望こそ人間生活のさまざまな悪や不幸、悲劇の源であるとして、性に関するきわめてストイックな考えと絶対的な純潔の理想とを披瀝した中編2作。
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基督教と言う背景ゆえに行き着いた結論なのか。
そのストイックさ、性に対する極端なまでの抑制は何を生むのか。
自分の内部での闘いはいつまで続くのか。
彼はその禁欲の果てに何があると見たのか。
08/5/27
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クロイツェル・ソナタ 人によって性の捉え方は様々だがここまで
迫真に迫る性にまつわる悲劇の狂気を描いたトルストイはスゴいと思う
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「悪魔」について
性欲に対する抗いがたい欲望と苦悩を自らの脳内からそのまま取り出され、皆がいる前でテーブルに広げられたかのような恐ろしい一冊。決して良心的な読後感ではない。男としては、非常に痛い。
エヴゲーニイ(主人公)とリンクしてしまう自分自身をここで告白したくはなかったけれど。
羞恥や懺悔の念を超え、破滅に至ってしまうのもわかる気がして末恐ろしい。
それに加え、妻リーザからの申し分ない愛情が拍車をかけて主人公を追いつめてしまう様がまたさらに痛ましい。
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トルストイの中編小説。
これを読むと、いかに彼が潔癖だったかがわかる。
アンナ・カレーニナの結末が彼によって必然だったのもわかる。
でも、説教くさくてあまりすきじゃない。残念。
クロイツェル・ソナタ:狂人が理性的なのは、トルストイがいかに真面目かっていう証拠だと思うな。
悪魔:赤いプラトークの女の登場が鮮やか。そういう気分を捉えるのがトルストイはうまい。
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16冊目。
『クロイツェル・ソナタ』
結婚は悪であり、精神的愛の交流などありえず肉体的愛のみが結婚の残滓である。
仲違いと肉の愛情による一字凌ぎの休戦という結婚生活にありながら、妻の浮気に対する嫉妬と妄想に苦しめられた挙句、妻を刺殺した男の独りごち。
結婚前に読み直したい作品ですね。
『悪魔』
一方、結婚生活の素晴らしさを説く後作。
妻の愛を一身に受けながらも、独身時代に遊んだ領地の農婦に対する劣情が冷めず
彼の身体に宿った悪魔を自らと共に弾丸で葬ってしまう地主の顛末を綴る。
この作品にはロシア語のみバリアントが存在するらしいです。農婦ステパニーダという「悪魔」を葬り去り、発狂した主人公が裁判に掛けられるラスト。
個人的にはこっちの方に興味が惹かれるんですが、いつか読んでみたいー。
しかし深読みすると、色欲に苦悩した上自殺っていうこともあり得るんだから浮気も多めに見てくれよwとも読めなくもないんですが。
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二作に貫かれているのは徹底した性欲=悪説。ロシアって極端なのが好きなのかしら。
後者はトルストイの実体験を含んだテーマで、妻を慮り死後まで出版を許さなかった作品らしいです。それだけに臨場感もリアリティも横溢しており読み応え大。
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伊坂先生の『重力ピエロ』の中で一節が引用されており
興味を覚えたので読んでみた。
男の語る回想で殆どが物語られるのに、読みづらさを感じず
つい引き込まれてしまう。
個人的には、愛というものは存在すると思っているし
子孫を残す為の本能以外のことが確かに在ると思いたいのだが
しかし人がこの世に存在していなければならないとは
けして思わず 寧ろ世界の為には人間などいない方が良いのでは
と思う私にとっては、なんとも断定しがたい事実だ。
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肉欲が原因で心身を滅ぼした二人の男。一人は嫉妬心のため、もう一人は誠実さのために。この二つのストーリーを並べて読むことで、さらなる面白味が生まれる。
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トルストイの作品を初めて読んだ。『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』等大作と呼ばれるものが多いが、かなり長い作品ばかりなので、トルストイの作品を読む気になれないでいたが、この作品は短いものだったので読んでみた。また、ロシアの作風がそうなのかもしれないが、作中人物が管を巻くように、自分の考えを述べると云うのが、ドストエフスキーの作品と似ていると感じた。
どちらの作品も性欲を否定的に捉えたもので、かなりストイックな思想である。
クロイツェル・ソナタでは主人公が、列車の中で自分の妻を殺した経緯を乗り合わせた乗客に語る。おそらくこの作品が書かれた時代は、縁組等によって結婚相手が決まってしまう様な封建的結婚観から、恋愛感情によって結婚相手を決めようとする自由な結婚観へと移っていた時代だったのだと思う。列車で結婚観について議論していたグループの女性が、結婚には愛情という感情がなければならないという考えを述べる。それを聞いていた老人(主人公)は、そのような考え方を否定した上で、人間が一人の人間を長い期間想い続けることはできないと主張する。議論は平行線のまま終わるが、その後にその老人の身の上話が始まる。老人の主張は諸悪の根源は性欲にあると云うものである。それについてはここではあまり触れない。面白いと思ったのは、もし人生に目的があるとしたら、その目的が達成された瞬間に人生が打ち切られなければならない、そしてその達成を妨げているものは様々な欲望であり、その中で最も根深く、悪質なのは性欲だという主張だ。
主人公の身の上話の要点は、結婚し、夫婦生活があまり上手く行かなくなった頃に、妻と音楽と云う共通の趣味を持つ男が現れ、老人は妻の貞操を疑い出すが、妙なプライドから、逆にその男を家に招き、2人を通じさせる様な行いまでしてしまう。猜疑心が募ったところで決定的な現場を押さえてしまい、妻を刺し殺してしまう。妻を刺し殺すところで、自分の行動を制御することはできなかったが、次の瞬間にどのような行動をとり、その結果どのような事態が生じるのかをはっきりと意識していた、そしてその時のことは、短剣を突き刺した時、コルセットを突き破り肉に刺さっていく感覚を覚えているほど、はっきりと記憶していると云う告白が印象的だ。このようなとんでもないことをしでかした時、よく頭が真っ白になって何も覚えていないということがあるが、それは大部分嘘であるように思う。そのようなときは確かに行動を制御することはできないが、逆に感覚や記憶はいやにはっきりとしているものだ。
よく分からなかったのは、老人が妻に刺した後、妻に対して「赦してくれ!」と云うことである。殺すのはやりすぎだとは思うが、その時代の常識は不貞を働いた妻は殺されてもしょうがないという考えだったらしいし、夫婦の不和にしても、老人のほうが全面的に悪いと云うものでも無かったと思う。それとも現場を押さえたと云っても食事をしていただけで、誤解だったかもしれないということか?
『悪魔』の方は割と単純な作品に思えた。結婚以前に肉体的な関係を持っていた女性がおり(と云うよりも肉体的な関係だけの女性)���結婚後は妻に対して誠実に潔白に生きようとするが、その女性に対する性欲が消えることはなく、むしろ募っていく。主人公はその性欲から逃れようと様々な努力をするが、その努力が報われることは無く、自分に信頼を寄せてくる妻に対する罪悪感、周囲の人間に対する羞恥心から、ついにはピストル自殺を遂げてしまうと云うものだ。
自分は結婚や愛と云う様な感情に神秘性や信頼を感じることができないので、このような純潔の思想を支持することができないが、「愛こそすべて」などと云う人はこのような思想を受け入れなければ矛盾していると思った。
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トルストイの性に対するストイックな考えが描かれた「クロイツェル・ソナタ」「悪魔」を収録。
嫉妬に駆られ妻を殺した男の独白による「クロイツェル・ソナタ」。もう一方の「悪魔」は性に対して潔癖な男がもたらした悲劇を描く。
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評論家筋いわく、世界の文豪の中でトルストイの人物描写は一番完璧らしい。そんな中これらの話は、わりと軽くトルストイ的描写を味わえる作品。結局「悪魔」は人の創りだすものやぜ!