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共感は出来なかった。
キリスト教についてある程度の理解がある人でないと
この本の内容を理解するのは難しいのかもしれないと思った。
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「力を尽して狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者多し。いのちにいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだすものすくなし。」
これはただの恋愛小説じゃないよ。
「アリサといえば、福音書が教えてくれた高価な真珠のようなものだった。わたしはそれを獲んがために、自分の持つあらゆるものを売り払う男だった。」
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ともすれば清純なキリスト教的風土を謳歌した作品としてのみ読み取られるかたむきがある。だが、これこそは、ジッド自身の、その生成発展の一時期における極めて痛烈な内心検討の実権の記録であり、代々プロテスタントの家に生まれたジッドが、キリスト教的先入感による《自己犠牲による徳の追求》をその極限の場合において考え、これに対して鋭い批判を試みたものであることを忘れてはならない。 ―あとがきより
信仰をするものならば誰でもぶつかる壁を命題に、それをよりドラマティックに書き上げている。構成、文章力は素晴らしい。ただこの『物語』のネックになっているアリサの信仰の姿勢に疑問を感じる。自分の人間性の失陥のやり場を神に向けている、自分の性格的矛盾の埋め合わせを『神』に押し付けている不自然さを感じる。そして神と自分の関係を、実感の世界から遠く離れたバーチャルの世界に追いやっている。生活の中での行動の伴わない信仰であればアリサのようにならざるを得ない。キリストの表した愛はそう言うものではないのではないか、と感じてしまう。
徳と愛とが溶け合っているような魂があったとしたら、それはどんなに幸福なことだろう!折々わたしには、愛するということ、できるかぎり愛し、ますます愛するということのほかにして、はたして徳というものがありうるだろうか疑わしくなってくる・・・・・・わたしにはときどき、悲しいかな、徳とはただ愛に対する抵抗だというようにさえ思われてくる!あろうことか!あるがままの心の傾きを、あえて《徳》とよぼうというのだろうか!ああ、心をさそう詭弁よ!見た目のいい誘惑よ!幸福の陰険なまぼろしよ! ―本分より
ここで言う《徳》は偶像以外の何ものでもない。アリサの素直な気持ちが《徳》だ!と言うのはかなり近いと思う。
08/6/24
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最後のシーンに心をすべて持って行かれる感動を味わった。
信仰とは無縁に生きる私にとって、アリサの追求しようとした愛とは一体何であったのかわからない。
でも、決して彼女のすべては信仰によるものでなかったはずだ。
それは、わかる。
彼女が足踏みしたのは愛ではなく恋のはずだ。宗教における愛はアガペーであり、慈悲である。
では、恋とは一体何なのであろうか。
愛と恋を一括される事ほどもどかしいことはない。一括してしまうから迷うし、苦しむ。
恋とは欲望だ。宗教は愛は許しても欲望としての恋を許してくれないことがよくよくある。信仰とは行き違うのが恋。そして障害があると燃え上ってしまうのも恋。
2人の若々しいそれを美しく儚いと思ってしまうのは性なのだろう。
いつの時代も初恋というのは忘れられないものか。
少なくともどこかにそっと置いていかなければならない気がするんだよ、ジェローム。
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世間には色々な人がいて、そこには色々な愛の形があるということは、わかるのだけれど。
相手を想い、悩み、それを相手にちょこちょこと見せて、彼女の気持ちがとても不安定な感じがして読んでいてあまり気持ちがよいものではなかった。
狭き門を通らず、広き門を開けて生きていけばよかったのに。
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思春期に読んだらトラウマものですね! かくいうニコも高校生ですけど、恋愛観が高尚過ぎててただただ圧巻するしかない。
アリサの自己犠牲(実際はそうとも言い難い)的な神経とそれを崇拝するジェロームの関係はもはや絵空事だなあ。
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1909年の小説。思い出すと胸がつまります。終わりもすごく美しくて、箱庭のような小説。キリスト教信仰がものすごく重要な要素なので宗教に関する知識や理解がないと厳しいかもしれませんが、これはとても素晴らしい作品だと思います。綺麗な夢を見せてもらいました。訳も読みやすくて良かったです。
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あまりに話が進まないので、ムクムクと苛立ちが芽生えつつある。
「フランス文学ならなんでも面白いだろう」という当初の勘に裏切られた。
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地上的な愛を拒み天上の愛を求めて生きるアリサと彼女を激しく恋い慕うジェローム。お互いがお互いのこと好きなんだけど、彼女を何の気なしに好きなジェロームと<徳>を求めて清く生きることを第一とするアリサは、何かが食い違ったまま、結局アリサの死によって永遠に別れることになります。
この本から得た教訓は「現実を愛する」ということでした。
ジェロームはアリサを理想化しすぎだし(アリサが直接そのようなことを言及したときすらも、理想化しすぎている事実を認めながらなお悪いとも思わず幻想にすがりつく様子には恐ろしさすら覚える)、
アリサはジェロームが自分を偶像化してるのに気づいてあえて離れようとしてるけど、結局はジェロームを愛したいというよりは「清さ」に執着してるだけじゃないかと思ったりして
どっちもどっちだな、って感じです。
クリスチャンの恋愛観として「神の前において聖い」ということはあるかもしれないけど、
これは「きよさ」を履き違えた失敗例だなぁと思いました。
なんていうか、神の前において正しい男女関係ってきっと本当はもっと幸せなものでしょ?とか思ったりして。
でも、大いに陥りやすい失敗だろうなーとも思う。
相手の現実を、神様との関係において、愛せるようになりたいものだなーと思いました。
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作品に対する率直な感想として、この物語が雲間から無数に射しこむ光線の様な美文で瑞々しく描かれており、互いに惹かれ合っていながらも実らぬ愛を悲壮美として読み易いものとしている様に思う。それぞれの人物の境遇からくる心理描写も緻密で二人のやり取りも納得して読める。
互いの相手への愛が二人を神に近づけはした、しかしアリサもジェロームも神よりも互いを愛し、互いの為に徳を積もうとしている。そんな二人の信仰に疑問を感じたとき、アリサの中で愛と徳の関係に不調和が生まれ葛藤する。そこが狭き門がより狭くなり二人並んではもう通れないと思うに至ったポイントとなる。
アリサは自分の心を殺しジェロームを至上の想いで狭き門へ向かわせる、彼女の純粋な姿は信仰を前面にだしながらも自己犠牲精神にありがちな悦に浸った気配はなく、アリサは読み手の中で“聖らか”に人生を終える。
作者の腹案にはあるかどうか定かではないが、畢竟神なるものは何も救えないと認識する。
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……私はアンドレ・ジードで覚えてたんですけど最近読み方変わったんでしょうか?
恋愛モノで宗教色濃いとくれば、私は全く興味なし!とか思ってたんですけど……なんか、意外におもしろかったんですよ…ほんとはもっと若ーいときに読んで純愛っぷりに感動すべきなんだろうけどなあ(笑)。
とにかく文章が美しいのです。
アリサにもジェロームにも全く共感を覚えませんけども(歳のせいかも)(でも昔読んでてもイライラしたかも・笑)、こんなキレイな文章読めたんならもういいや~とか思いました。
精神のあり方なんかはつい考えさせられました。
求道的って言うのかな。アリサは環境のせいとはいえちょっと極端すぎるんですけど、そこまで追い求めるものっていうのがない私はやっぱり浅はかな人間なんだろうなとも思います。
でもやっぱり宗教は分からん。
私の母はややクリスチャン気味なのですが、それで小さいときは日曜学校とかも行ったりしたこともあるんで、私も宗教の中ではキリスト教(プロテスタント)が一番身近ではあるのです。
とはいえ「主」と言われてもピンとこないですし…結局宗教ていうのがよく分からないんですよね。
で、さっきも言いましたがうちの母は似非クリスチャン(…)です。似非ではありますが、私よりは遙かに宗教に対して親しみがあるのでたまに色々議論するのですが、何度話してもやっぱりサッパリ分からん。
私にとっては宗教は「一定数の人間が共有する道徳心」ぐらいにしか思えないんですよね。
宗教が生きる指針だって言うならそれは道徳心やろう、と言うんですが、母に言わせると違うらしいのです。
その辺がよく分からん。
まあ、道徳に人生も魂も捧げようという人はいないけど宗教にそうしようとする人がたくさんいるっていうのを考えると違うかな、とは私も思うのですが、その違いは「神」の有無って言う気もするし…
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ノーベル賞を取った作家、ジッドの本です。
幼い頃から恋心を抱き合っていたジェロームとアリサ、
しかしアリサは神の国へ続く狭き門を潜る為に、
ジェロームを拒んでしまう…そんなお話。
信仰心が無い所為か、中々アリサの心情を解する事が出来ずにいましたが、
最後のアリサの日記で一気に其れが解き放たれた感じでした。
アリサ自身は神以上にジェロームを敬い、想っていたからこそ、
アリサは自分の幸福やジェロームの想いよりも、
彼をより高みに誘う為に拒絶したのですね…。
あんな風に人を想う事はそうそう出来ることじゃないなので、
読んでいて非常に考えさせられました。
あれほどまでに愛する人を想えれば、きっと狭き門も潜れるのでしょう。
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相手を愛するがあまり、聖人のように思えて、また、自分も聖人であろうともがき苦しむ2人の話です。
とにかく、とにかく、切なくて、最後は苦しいほどです。
気持ちは分からなくはないけれど、傍から見ていると、もどかしい。
でも、その切なさがとても好きです。
著者のジッド自身が、妻との間に同じような関係があったことを思うと、それもまた興味深いと思って読んでいます。
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「《力を尽して狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだすものすくなし》」
先生オススメ、恋愛小説と言えば、この1冊、、だそう。
むむむ、、高尚かと思いきや、なんだか笑ってしまうぐらい陳腐なやりとりも合ったりして、不思議だ。
でもこういうの、嫌いじゃない。
恋ってなんなのかなぁ、などと思うアラサー女子なのでありました。
ちょっとこれは、また時を置いて読み返さねばならないなぁ。。。
【8/17読了・初読・個人蔵書】
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『かえって,あなたがそばに来てくださるやいなや,たちまち感じられる胸騒ぎや気づまりなどから,どれほどあなたを深く愛しているかを,今度ほどはっきり感じさせられたことはありませんでした。でも,それは同時に,絶望的な気持ちで,というのは,ほんとうを言えば,遠くからあなたをお思いしていたときのほうが,もっともっと好きになれたのですもの。』
アリサの手紙の一節から彼女がジュロームを愛しており,愛するという行為に喜びを感じているのはわかるが,それだけなのである。
愛しているからそばにいられるように結婚をするのではなく,むしろアリサは結婚をすることで愛情が冷めることを恐れているようにみえる。つまり彼女にとって信仰心とはあと付けに過ぎないのではないだろうか。
本心は,ジュロームがアリサを完璧な女性だと思いこみ,アリサはそうあろうと努力することで成り立ってきた愛が,互いが接近することでその真実が露呈するのを恐れたために,神への信仰を理由にしてのがれたのではないか。アリサの目的はそもそも天上の愛ではなかった,というふうに解釈した。(おそらくかなりひねくれた解釈をしているだろうという自覚はある・・・)
しかし,信仰心が全くないといっていい私のような人間にとっては,宗教にかかわる恋愛観を理解するのはあまりにも難しい。
ぜひプロテスタントについて勉強してからもう一度読み直したい。