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「女王の百年密室」、「迷宮百年の睡魔」に続くM&Rシリーズ三部作の完結編。
序盤はなぜこの作品がM&Rシリーズの完結編として位置付けられているのかわからなかった。登場人物や時代設定などが前作までとは異なっているように思える。また、内容も前作までのSFミステリィとは全く異なったものとなっている。
内容は胡蝶之夢のような感じ。自分の見ている世界がリアルなのか、神が見せる幻惑なのか。自分の思考は自分だけの物なのか、単に神により導かれた結果なのか。
かなり難解であり、正直全体の半分も理解出来ていない気がする。
しかし、「彼女は一人で歩くのか?」から始まるWシリーズとの繋がりが仄めかされており、真賀田博士らしき人物(コード?)も登場し、森ミステリィファンなら最後まで楽しんで読めるはず。
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百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作!
霧の早朝、私と鮭川は声を持たない聡明な赤目姫と三人でボートに乗っていた。目指す屋敷で、チベットで、ナイアガラで。これは幻想小説かSFか? 百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作!
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なんとか読み終わった……。
まさか、こんな話だとは。百年シリーズのラストって感じでもない『百年シリーズ』三作目。前作が昔過ぎて覚えてなくても関係ないよ(笑)
最初の方は頑張ってついていった、気がする。「僕」が入り乱れ始めた中盤もまだ頑張った。後半は訳わからなくなってきた。この思考の飛躍とでも言えばいいのか、どこに飛んでどう帰結するのか、そもそも帰結する気があるのかも謎な話の入り乱れよう。いや、入り乱れてるというのは観測側の問題です、ハイ。
あとがきに「森博嗣自身の言葉を借りれば『この小説は、僕自身が好きなタイプのものです』」とあったが、まさにそうだと感じた。だからだけど、森博嗣初見の人には勧められない。これはハードル高すぎる。でも、最後の水のたとえは一番わかりやすかった。なるほど、確かにね。
以上の理由から(?)、今作は星がつけがたいのでつけません。
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百年シリーズ最終作。
巷での噂どおり、前作までとは登場人物、ストーリーが全く異なっていて同シリーズだと気づく方は稀な気が。
でも、この作品好きです。
本当に夢か妄想か、誰が、誰の、何を語っているのか、操り、操られ。
混乱しながらも、なにか分かったような、分からないような。
それでも、この作品を経て、『彼女は一人で歩くのか?』から始まるシリーズへとバトンタッチされているのは頷ける。
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「人間は他人の思考をトレース、感情移入することもできる。だが実際には自分の気持ちしか知ることができない。他人になることはできない。そうだろ?」
しかし次の瞬間、わたしはあなたになっている。
内と外で繰り返され続ける対話。
霧散する意識。
眼の色。
この身体は無形の意識を縁取る触媒。
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百年シリーズ第3弾。
前回までの話とは全然違うじゃん。
時代背景も最近なのかと思えば、前作までと同じような時代なのかって気もするし
話している主観がどんどん途切れなく変わっていくから読み辛いと思いきや、読み進めていくと不思議な感覚を完全に受け入れているし。
もう一度読むと理解が進むのかも。
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『ぼやりと思い描くイメージこそが、最も偉大な汎用の意思。その信号のデータ量こそが、人間というものが到達した高みといえる。』
女王シリーズの第3弾にして、おそらく同シリーズの完結巻。人、ウォーカロン、命、意識、前2巻のメイントピックを、今回新たに登場した赤目姫を中枢に拵えつつ、旋回させ、潮解という形でイメージを作り上げる。ロイディに出会えなかった寂寞の念の代償として読者が得るのは、シリーズものという概念に抱いていた観念の反駁、そして、行間を只管埋めても到底到達し得ないイメージの深淵さ。
それにしても、これほどレビューが難しい作品もそうないだろう。まさに人工知能が到達し得ない最後の聖域、そこをそのまま真空パックして作品として昇華させたような内容だからである。言葉に還元した瞬間に間違ってしまう。
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森さんの新作。今までにない作品とかなんとか、って書かれていたのですが、確かに今まで読んだ事のない作品。でも、よくわからない。もっと時間をかけて読むべきなのか?
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2016/10/9読了。
久々の百年シリーズ。
前2作とは設定が大きく変わり、より深淵に近づいているような、更に抽象的な内容的になっている。
但し、シリーズというだけあって、扱っているテーマは同様であるように思う。
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2016/11/23
自分という平面、むしろ全人類の視点を含んだ平面上の皺としてとらえる。死んだ瞬間人は別の時空の誰かになって、それが何度も繰り返されてこの世の今までのすべての人になった。だから覚えている。
人間、とは言っているけど大分電脳化が進んでいる世界だと思う。言うならWシリーズの子供が生まれない問題が問題として出る前(ここらへん忘れてる)。他人の視点にアクセスする権限が与えられた瞳の色の人たちが操り手なのかと。
自分自身が自分自身で在り続ける意味、肉体を持つ意味もないのかもしれない。そんな経験がないから肉体に執着するのだろうか?
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解説者冬木糸一氏の『何がなんだかわからないが、すげえ』に激しく同意。
この人のサイト、気になる。。
前作、前々作のミチルが登場しないのだが、
人の意識がその個体にある=私たちのような状態 ではなく
別の意識によって体が動いたり、 他の人の体に自分の意識が入っていたり、、、 というあたり、前作の女王の実験によるものだろうか。。。
そこでかろうじて同じ世界観、という事は分かるのだが。。
本作、コミカライズされるそうである。
という事は咀嚼しきれたのか、作画担当者。。凄い。。
ミチルの短い単語の羅列も難解だったが、理論詰で説明されても難しい。作者、凄いなぁ。。
冬木氏曰く、『折にふれて読み返しているうちに、意味が分るとはとても言えないが、その内容が実に馴染むようになってきた。端的に言えば、とても心地よい作品だ。』との事。『凡人の身としては、振り落とされないように必死にしがみついていく』そうで、
再読する機会があれば、積極的にいこうと思う。。
Wシリーズも読んでみようか。。。
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20170103読了
百年シリーズ第三弾。よくわからなかった。自分がどこにいるか分からなくなる感覚。
今までの集大成的な感じ?Wシリーズと四季シリーズをつなぐ感じか。評価はし辛い。
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森博嗣、2013年発表の小説。
「百年シリーズ」三部作の三作目ですが、前二作との直接的なつながりはありません。前二作がエンターテインメントのSFミステリー風冒険譚であったのに対し、本作にはまっとうなストーリーがなく、断片的で唐突な飛躍跳躍を繰り返すエピソードと認識論、存在論に関する堂々巡りの対話の集合体のような実験的作品といえます。赤目姫という極めて魅力的なキャラクターも段々影が薄くなってついには存在自体が曖昧になってしまうし・・・。これが小説として成功しているのかどうか、非学な私には正直な所良くわかりません。しかしとても刺激的で面白い作品ではあり、一読の価値はあります。
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再読。
この作品がほんとうに好き。混線する視点と思考、私はだれなのか、私がだれかであることは重要なのかわからなくなり、最後には帰結する。帯などにもあったけど、小説でここまで自由に書けるのすごい。
森作品のシリーズでとても重要な位置にあると思います。あ、でもうん、よくわからないよね。そこが好きなのですが……
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百年シリーズの三冊目だが、百年シリーズとWシリーズの先にある物語じゃないかと思う。「私たちは生きているのか?」にあったハギリのモノローグ、「人間は、いつか人間に決別することになるだろう。」正に人間に決別した後が本書の世界。
「私たちは生きているのか?」の仮想空間はあまり魅力を感じなかったが、いつか我々の意識や感覚が電脳空間に移転したら本書のような自分と他者の区別が判らなくなるんじゃないだろうか。
しばらく間に読んだ哲学入門や森先生の著作から、僕が求めていたビジョンが本書の世界かなと思う。でも、この世界観を思考では納得するんだが、心からこの世界観を希求するかというと、どうだろう。
途中、自己と他者の区別や夢と現実の間合いが判らなくなる箇所は筒井康隆を連想した。でも、もっとリアルティがあって、もっと判らないことだらけだった。
人形とか端末とは何だろう。操っている者がいるのか。操れるのか。
Wシリーズでもトランスファーがウォーカロンを綾っていたし、百年シリーズでも分離した頭脳が肉体を制御していた。一貫した感覚があると思うけど、森先生の作品に慣れていないと、この本は辛いかも知れない。