投稿元:
レビューを見る
この方のご本を拝読すると、なじかは知らねど心わびて。っちうのはローレライだけれども、
だつて!何にも残らないんだもの!よく重松清さんのご本は、優しいとか痛みがわかるっておっしゃるけれども、
だからなんなのよ!なんだもの!!!←逆ギレ。心わびて。
投稿元:
レビューを見る
20世紀末、実際に起こった事件などの、ルポルタージュ。たまに「ん?」と思うときもありますが、切り口が面白いです。人によっては、今までとはちょっと違った「事件」との関わり方が見つかるかもしれませんね。
投稿元:
レビューを見る
1990年代後半に起きた事件や出来事の周辺を散歩したルポルタージュ。筆者の考えに共感できれば、ゆるり。できなければ、一人よがりな作品どまり。
投稿元:
レビューを見る
読み物作家の重松清による、国内ルポルタージュ。
とても謙遜した書き出しで始まるこの作品は、雑誌に寄稿されたもので、当時ワイドショーなどで話題になった事件や、過去に話題になった事件などの現地(現場)を「寄り道」、「無駄足」と称した彼なりの(実際の移動、思考の中での)歩き方で事件についての外延を描き出している。
今までに重松作品に親しんできた方、つまり、フィクションの重松小説を読んできた人には最初違和感があると思いますが、読み進めていくにつれて、これは小説の中の出来事なのではないか?と思ってしまうほどの重松色あふれた切り口で事件が描かれていきます。
過去・現在・未来 ワイドショーをにぎわせたさまざまな主人公に脇役、そして、テレビの前でそれを楽しみにしている観客・・・誰も彼もが今まさに生きていて、現代の日本に存在するということ。。。つまり、誰しもが「隣人」になりうるということが、つまりは、ワイドショーに出てくる「隣人」が特別な存在ではなく、まさしく『隣人』なのだということがほのかに頭の中で帰結したような読後感でした。
投稿元:
レビューを見る
重松清には珍しくルポタージュ。酒鬼薔薇の事件などを事件の表側からでなく裏側から踏み込んでいく作品。批判的な文体ではないのはやはり作家としての気質なのだろうが、それが逆に考えさせられる。
投稿元:
レビューを見る
重松清どくとくの多摩地区重視。笑
殺人事件とか
人ごとに考えているけれど
私の周り、私自身にいつ起こってもおかしくなくて
起こる確率はいつも誰にでも一定なのかもしれない…と考えた本。
投稿元:
レビューを見る
こういう本には精神分析が詳細なルポタージュを求めてしまうので、宙ぶらりんな感じがした。
池袋通り魔事件が『疾走』の元になっているんですね。あれはいわゆる“少年犯罪もの”のジャンルとして書いたのかと思っていたが、そういう括りだけではないと知って納得。
投稿元:
レビューを見る
ルポライターとしての重松清の話は始めて読んだかな。
2000年辺りの事件を追う。
カレー事件や17歳のバスジャック事件、幼稚園児殺害事件とか。。。。
外側から書く、調べる、ルポする。自分もやってみたいって思った。
「まわり道まわり道」って言っていたけどなんかそれでよりリアルで時間もおいて冷静に見れるって言うかよかった。
日産の工場閉鎖「モノより思い出」多くの家族は苦しんだんだな。。。。。。。
モノを多角的に見られるようになりたいな
投稿元:
レビューを見る
新感覚。
『寂しからずや、「君」なき君』のなかで、
十七歳は危険な年齢、らしい。そして十七歳とは童貞の年齢である。マスターベーションの年齢である。
と重松清はこう措定している。なるほどなるほど。いろんな事件を引き合いに出し彼独自の考察がおもしろい。だが簡単には納得しない。
投稿元:
レビューを見る
〈ゴジラの目の位置から東京の街並を見下ろすと、やはりそれらすべてを踏みつぶしたい衝動にかられた。原子力怪獣・ゴジラが“核”のメタファーであるとすると、やはり、やがて僕達はゴジラに踏みつぶされる日がくるのだろうか?〉
引用部分の二つのセンテンスには、大きな転倒があることを見逃してはならない。
踏みつぶす/踏みつぶされるを同時に夢想すること。
核の時代に生まれた僕らは、常に地球の終わりを感じながら生きている。
投稿元:
レビューを見る
家族や教育などを中心に執筆している著者が、社会問題、とりわけ家族が絡む問題、にスポットを当て、ルポを書いている。
新聞やニュースでの取り上げられかた、とは異なっているのは間違いない。異なっている、といいうよりは一歩踏み込んでいる、といったほうがいいかもしれない。
一つの事件に対する視点が変わります。
投稿元:
レビューを見る
これはどう評価していいのだろうか?
感想としては切ないです。
現代のノンフィクションなのでしょうか・・・
投稿元:
レビューを見る
タイトル通り世紀末に起きた事件や問題について書かれたルポルタージュ作品。
風化し、忘れ去られたような、今となってはもう過去でしかない話。 だけど、その原点への寄り道、無駄足あるいは蛇足こそが隣人達を再び今に蘇らせている。
「夜明け前、孤独な犬が街を駆ける」
「支配されない場所へ」
「寂しからずや、「君」なき君」
など同世代が抱いた感情は少なからず共感してしまう部分もあった。読めば読むほど深みも出てくる。
重松小説にも深くリンクしているこの一冊。 一見の価値あり。
投稿元:
レビューを見る
こればっかりは賛否両論仕方ない。
中途半端な私は星三つという軟弱者。
でもどっちかっていうと反対意見。
しかし、読み物としてはとても興味深い。
足し算の原理はあたしもそうかもしれないなあ。
そうだよね、単純に「増える」とかそういうことじゃないよね。
でもなあ、これ「重松清」っていう優しいルポライターの憶測でしかないんだよなあ。
そうなのかもしれないけど、そうじゃないかもしれないよね。
別にこの人だって庇ってるわけでは決してないんだろうし、あくまでも客観的に、あんまり見ない角度から事件を見るっていうコンセプトなんだろうけど。
でも被害者家族はたまんないだろうな。
あたしも決して加害者をかばうわけではないけど、悪いことっていうのはわかってるけどどうしようもないときっていうのはあるんじゃないかと思っている。
だって人間って言うのは自己中なものだし、そうじゃなきゃだめだと思う。
投稿元:
レビューを見る
この本は小説ではなく20世紀末に起こった数々の事件を検証しているものです。
池袋通り魔事件、神戸児童殺傷事件から、日産自動車の業績不振までいろいろなことについて書かれています。
ただ真相を追究するのではなく、その事件の周りにある重松氏の言葉で言う「寄り道」、「無駄足」、「蛇足」にこだわったものになっています。
ただ、それで中心にあるものがボケてしまうのではなく、その周囲の関係ないように思えることこそが大事だと気付きます。
また、そのことを調べることによって、重松氏の作品の奥深さにつながっていると思いました。