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お祖父さんが金田一京助、父が金田一春彦では、子ども時代は苦労(プレッシャー)が大きかったろうと思わず同情しそうになりますが、なんていうか・・・餅は餅屋?(←違うだろう)
秀穂さんはことばのことばっかし考えているかと思うとそうでもなく・・・野原しんのすけが自分の母親を「おいミサエ」と呼ぶのは父親の模倣だからごく当たり前に起こり得ることだが、フグ田タラオが「よかったです」のような家人の誰も使わない言葉を使うのは問題だ。タラちゃんには何か隠された生育の事情があるのかもしれない・・・なんて考えているあたり、国語学者っていろんなこと考えて忙しいんだなあと思いました。
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そういえばそうだ、
ほぉ〜ということも、もちろんあるけど、
くすっと笑ってしまうことが多かった。
“金田一一”(きんだいちはじめ)の話とか、
タラちゃんの「動詞+です」は
誰のコトバから習得したんだ…とか、
気になって仕方がないのですね^-^
目をキラキラ輝かせて調べているお姿が浮かびます。
テレビで拝見するにはおっとりと、
ユーモラスな秀穂センセイ。
くすぐり加減が絶妙というか、
小悪魔的にチクって皮肉を言ったり、
気になることに関しては、
怒濤の言葉でたたみかけるように
がーっと進む。
そのたたみかけ具合が大槻ケンヂっぽくて、
頭の中で大槻ケンヂさんの声で読んでた。
ちょっとした言葉のチョイスがさすが。
7章のまんなかのコトバ
8章の分けることば
が特に興味深かった。
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1つ1つの文章が短くて読みやすかったというのが率直な感想で、
息抜きとして読み進めることができた。
(言語本を息抜きにしている私って一体…)
シニフィアン(音声言語)とシニフィエ(意味言語)というのを、
ホントにひさびさに目にすることができたのが収穫かなと。
あと、チョムスキーというのも懐かしい響き…
いつ勉強したのかもさっぱり忘れたが、
私にもこういったインテリ時代があったのだなぁと再認識させられる作品であった。
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んー期待外れ。
というか、あたしが予想してたものと違うだけですが。
内容的にはまぁまぁ面白いです。
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著者は某クイズ番組で「国語の神様」とも称されている金田一秀穂氏。
(祖父の金田一京助、父の金田一春彦は共に言語学者、という
言語スペシャリスト一族ですね。)
サブタイトルは「『先生』と『教師』はどう違うのか?」
となっていますので、日本語のあいまいな意味づけの言葉を比較し
解説してくれる類の本なのかと思い、手にとってみました。
でもちょっと違います。
そういう部分もあるにはあるのですが、そのような「単語と単語の比較」
のみに留まらず、もっと日本語以前の、言語の「要素」
とでもいうべきものを解説しています。
そういうと難しく聞こえますが、決して専門的な言葉を使っている訳ではなく、
たとえば、「タラちゃんの言葉」「花粉症の言葉」
「匂いの言葉」「声に出して読めない言葉」「芋の言葉」
など、身近な話題に引き付けて、言葉の持つ根本的なコミュニケーションの
力を易しく面白く教えてくれているのです。
毎日のようにこのような文章を書いて(打って?)いる身としては、
言葉の持つ力というものを考えずにいられないのですが、
この本の中にも「筆記の言葉」などという項があって、
思わず頷いてしまうのでした。
ひとつの項が見開き2ページ分くらいの、それほど長くない文章なので、
よろしければお手にとってみてください。
日常的に使っている(使わずにはいられない)言葉というものの
あり方についての考えが変わるかもしれませんよ。
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金田一先生がことばを大切にしていらっしゃることや、ことばで伝えられる精一杯をお書きになっておられることが伝わります。雑誌ダカーポに2003〜6年まで連載された「言葉」をモチーフにしたエッセイをまとめたもので、一つが2ページほどなので少しずつ読めるのもいいところ。もちろんかの金田一一族なのでことばについて軽く深く考察を加える面白さは間違いがない。P118 「言葉は精密である方がいい。」 何でも○個と数え、かぶるも履くもまとうも身につける、では貧弱な語彙力がますます衰えてしまう。気をつけよう。P92 「芋」の言葉 「イモ」はジャガイモかサツマイモかサトイモか?という論争にひそむ世代間格差!KYみたいな言葉じゃなくてもひそかに私たちの世界を侵食する言葉があるのだ。 先生は若者とつきあうから気がつくが、メンバーが入れ替わらない空間にいるとそれがわからない。ことばから始まる無関心がもしかすると社会の変化への無関心に繋がるなら、それにこそ注目しなければならないだろう。
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言葉のことあれこれ。
雑誌の休刊がなければいつまでも話題は尽きなかったのではないだろうか。
あっちに行ってみたり、こっちに顔を出してみたりと、言葉というだだっ広いグラウンドを縦横無尽に走り回っている印象。
いろんな話が登場しているのに、それが言葉についてのほんの一部分でしかないという印象がどんどん色濃くなっていくから不思議です。
言葉に慣れる前には私も感じただろう「どうして?」を改めて問うてみるということを全くしなくなってしまった。
正しい敬語とか、そんなことをちまちま気にしていた。
でもたまには「どうして?」と自分に問いかけることもしたい。
この本がそう思わせてくれました。
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この本で初めて知ったのですが、魚には痛覚があって、痛みを感じるらしい。となると、活け造りってのは結構ドSな食べ方なんやな。美味しいけど(笑)
それはさておき、この本は雑誌に連載されていた言葉に関するエッセイをまとめたもので、思わず「そうなんだ」と感心する事柄がちりばめられていました。
一つ挙げると、地球上に様々な言語が存在することについて。僕も学生の頃は「言語が一つしかなければ語学の勉強なんかしなくていいのになぁ」って思っていましたが、もし単一言語しかなければ今のように人類が発展することはなかったそうです。