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購入したのは1月になってからだ。
タイトルだけ見ると危なさを感じたが読み出すとその杞憂は払拭された。
宇宙物理学と釈迦仏教の融合点と相違点を客観的に知ることができる良書だ。
注意点としてはここで扱っている仏教は日本人が慣れ親しんでいる大乗仏教ではないところ。
個人的には奇蹟を認めない釈迦仏教や上座部仏教の方が正統であるし本質(真理?)であると思っているのでなおさら読みやすかった。
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仏教と宇宙物理学の対話なんて非常に興味深かったので読みました。
興味深い内容でしたが思ったより対話してなくて著者二人それぞれの独話という印象。
個人的には仏教の方の話はちょっとわかりづらくて、宇宙物理学の方の話は面白かった。
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p156 "科学としては、「完全に正しい」はありえません。"これを聞けただけで満足。
p196 "世界観の根底に〜因果律がある"のは我々がそのような視点で観察するから。
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すごく頭のいい人は、読者のレベルにあわせて面白くなるように語ることができることの確認ができる。対談より特別講義部分の方が面白かった。
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仏教学の佐々木さんと、超弦理論の大栗さんの対談本です。個人的には、ここ数年ヨガにはまっていることもあり、仏教の伝播の仕方とかその中での変容とか、古代インドから連なる流れを知れたのは本当によかったです。読了後もやっぱり仏教と超弦理論がどう繋がるかは実はよく分かってないですが、宇宙がすごく薄っぺらいとか、まだまだ知らないことがありますw(2017.3月読了)
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仏教学者佐々木閑と物理学者大栗博司とのトークセッションをまとめた対談本である。お二人の対談や特別講義を通じて仏教学と物理学とが交錯し、大栗の指摘に応答しながら理系出身でもある佐々木の仏陀像が明らかにされていく。仏陀は超越者の存在を認めず現象世界を法則性(縁起)によって説明しようとし、その結果、世界には始まりも終わりもなく諸要素が法則に従って永遠に集合離散を繰り返していると考える。そこには本来意味も目的もない。先ずはこのような世界を正しく深く理解すること、その上で仏陀は「苦」からの解脱を求めたのだった。佐々木はこのような仏陀の姿勢を忖度して更に輪廻や死後の世界も否定した上で、「苦」からの解放を説く仏陀に帰依する。その意味で佐々木は「仏教者」なのだ。それにしても、「仮説と検証」という近代科学の方法論によることなく、思索のみによってこのような世界観に到達した仏陀には驚嘆するばかりだ。仏陀がもし現代世界に生まれていたら、間違いなく仏教者ではなく物理学者としてこの世界の真理の探究に専念していたことだろう。
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『強い力弱い力』、『重力とは何か』
でおなじみの大栗さんと
仏教研究者の佐々木さんの対談を
書籍化したもの
大栗さんの本を読んだことのある人なら仏教のこと
佐々木さんの本を読んだことがある人なら物理のこと
がわかるいい本だと思う
ただ理系の自分としては、まず最初にあげた二冊をお勧めしたい
企画としては面白いが、二人が話したことによる相乗効果的なものはあまりなかったように感じた
それぞれの本を一冊読んだ方がいいかなと
理系の人がわかりやすい、読みやすい形で仏教について知れる機会としてとてもよかった
それが相乗効果といえば相乗効果かな
釈迦の説いた仏教と、現在の日本の大乗仏教がいかに違うか
そして、釈迦の仏教が”真理の探究”として
物理と接点を持つ様子がよくわかる
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対談でもあり、お二人の話、とても分かりやすく刺激的でした。超弦理論も始めて、分かったような気にさせてくれました。佐々木閑先生を存じ上げず、釈迦から大乗仏教へ至る歴史的な経過は、ただ驚くばかりでした。大乗仏教が、壮大なイリュージョンなのではとすると、妙に納得できました。超弦理論で、ラマルジャンの数式が紹介され、驚きとともに再度興味が掻き立てられました。
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超弦理論の大栗博司氏と仏教学者の対談本。
対極の分野だが共通点も多い。
・ミクロの理論からマクロの在り方がわかる(万物の理論)
・時間と空間は絶対的なものではない。
・正しい、正しくないの二元論ではなく90%正しそう、50%正しそうといういくつもわけて判断する
・確率評価は都度変動する
・世界を認識する方法はいくつもあり、適切な切り口の理論や考え方を使えばいい。その理論は間違っていたら改めることが重要。
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仏教学者とゴリゴリの物理学者の対話。
ビッグバン理論などで宇宙の始まりは「無」だった(宇宙の誕生は偶然だった)、という考え方が浸透してきた。こうした理解と、「超越者の存在を認めず、現象世界を法則性によって説明する」(P.144)原始仏教は実は似たところがある、と。
とは言え、「仏陀は量子論を知っていた」というような説は二人とも強く否定する。個人的には、宇宙とは何だろうと考えているときに、最新の物理の知見がない人も偶然に似たような世界観を思い描くこと自体面白い気もするが、学者二人はそれを以って「仏教と現代物理学は矛盾しない」などといったことは言わない。
西洋が、科学の発展とともに「宇宙に意味がなく、人間にはあらかじめ目的が与えられていないことを明らかに(なった)」(P.33)ことに思い悩む中、仏教はもともとそういう設定がなく、「苦」そのものである人生において「修行によって自分を変えていくプロセスそのものが、自分の生き甲斐になると考える」(同)という点が興味深かった。
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仏教と宇宙物理のそれぞれの話はおもしろいと思う。けど、それらがうまく混じり合っているという印象は受けなかった。
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宗教者の佐々木閑、宇宙物理学者の大栗博司両氏の対談。対談と言っても普通の会話のやり取りではない。宇宙物理学と量子論、原始宗教と大乗仏教に関する専門分野のセッションを3回にわたって行い、間に質疑が入る。最新の科学情報と宗教情報が融合して、生きることの意味を考えさせてくれる。(大栗博士の超弦理論は理解できないが面白い、すごいと思う)以下は気になったメモ▼▼(大栗)死後の世界を佐々木先生はどう考えられますか。▼(佐々木)死んだ後の世界は信じません。釈迦の教えによれば、私たちの存在はたんなる構成要素のゆるやかな集合体にすぎず、それが生まれ変わり、死に変わりに際して離合集散していくのが輪廻だからです。そこには「自己」という不変の実在はありません。これを仏教では「諸法無我」と言います。もしも業のエネルギーがなければ、死によって発散した「私」は二度と再合成されないはずなのですが、そこに業が作用して、再び別の形で「私」を形成してしまうので、輪廻が繰り返されるというのです。▽私自身は業や輪廻という現象を信じませんから、結果として、私という存在は、「再構成の可能性を持たない、構成要素の緩やかな集合体だ」ということになります。それはつまり、私に死後の世界はない、ということを意味します。▽ここで申し上げておかねばならないのは、私自身が死後の世界を信じないからと言って、「死後の世界はある」と主張する人たちの立場を否定するつもりは全くないということです。大栗先生もおっしゃったように、「死後の世界があるかないか」という問題自体が、科学とは関わりのない宗教世界での問いですから、それに対する答えが科学的事実である必要がありません。▼(大栗)仏教では、意味がない人生をどうすればよく生きられると教えるのでしょう。▼(佐々木)釈迦は、「みんな同じようにこういう意味を持って生きろ」といったことは一切言いません。教えの内容は、日々の生活の具体的な方法を語る生活マニュアルなんです。そのマニュアルを実践することによって、自分が向上する、すなわち煩悩が消えていくことを確信する。
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仏陀の「苦しみは現実の誤認から生まれる」という考え方と、最先端の物理学から明らかになってきた「本当の現実」を組み合わせ、最終的に「人はどう生きるべきか」という問いへのヒントを与えてくれます。現時点で私が最も影響を受けた本です。
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仏教の学者と素粒子の学者の対談。ビッグバン、相対性理論、量子力学。科学者のような釈迦、四諦、三宝。基本的な話とやや難しい話がうまくブランドされていてとっても面白かった。
・キリスト教やイスラム教では唯一の神がいるが、釈迦は神ではなく法則を発見した。
・この世は苦に満ちているが、消す方法はある。
・修行ではなく、スーパーパワーにすがるのが好都合な大乗仏教が中国で主流→日本へ入ってくる。
・一般相対性理論と量子力学がブラックホールで矛盾するのを証明したのがホーキング。
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自然の法則を研究し、宇宙の真理から粒子までの成り立ちを追究する近代科学。
人間の真理を追究し、涅槃に入る道を説いた釈迦の仏教。
この二つは一見全く違うもののように思えますが、世の中の真理を求めて両者が到達したのは、「人生の目的はあらかじめ与えられているものではなく、そもそも生きることに意味はない」という結論でした。
ではこのような世界で、どのように生きるのか、なぜ物事を正しく見ることが必要なのかを、一流の仏教学者と物理学者が語り尽くします。
最新の物理学は私の頭ではあまり深くは理解できませんでしたが、両者の共通点には驚かされるものがあります。
とにかく素晴らしい本です。