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・京極夏彦「文庫版 書楼弔堂 破暁」(集英社文庫)も また古本屋の主が主人公である。いや、ご一新で旗本になりそこねた高遠某が主人公かもしれないのだが、たぶんこちらの役回りは狂言回し、古本屋の引き立て役であらう。高遠の家は旗本でありながら金持ちであつた。作中勝海舟が「まあお前さんとこは旗本のくせに物持ちで、金もあったから縁がなかったんだ。」 (225頁)と言ふほどである。従つて高遠は現在無職、いや無為徒食である。煙草会社に勤めてゐたが、病欠してゐる間にそれもつぶれたらしい。特にすべき こともなく、実家から離れての一人暮らしをしてゐる。そんな中で出会つたのがこの弔堂であつた。「慥かに奇妙な建物である。櫓と云うか何と云うか、為三も云っていたが、最近では見掛けなくなった街燈台に似ている。ただ、燈台よりももっと大きい。(中略)しかし到底、本屋には見えない。それ以前に、店舗とは思えない。」(24頁)その軒にすだれが掛かり、「弔」と書かれた半紙一枚、「これではまるで、新仏を出したばかりの家である。」(25頁)そんな風情の 古本屋、しかし中は本ばかり、「左右の壁面は凡て棚で、題簽の貼られた本が堆く積まれている。(中略)二階も、三階も、書架なのだろうか。」(30~31 頁)そこに主が登場して店名の由来を語り出す……とまあ、型通りの始まりである。そこに来る客は誰々でと物語になつてゐる。高遠はこの客ではない。書いてしまへば、客は月岡芳年、泉鏡花、井上圓了、中浜万次郎あるいは岡田以蔵、巖谷小波といつた人々で、この弔堂の同時代人、つまり明治の初めを生きた人々である。それぞれがそれぞれの事情を持つて弔堂に来る。さうして語る。語られるそれぞれの事情はフィクションであらう。それに対する主の蘊蓄話や説教の後、 「どのような本をご所望ですか」(173頁)とくる。その書が示された後、再び主の蘊蓄話があつて、各章は「誰も知らない。」(94頁)で終はる。このフィクションの部分はもちろんおもしろい。鏡花や圓了が売れる前にこんなことがあつたかもしれないと思はせる。妖怪譚でなくとも、京極は読者を楽しませてくれるのである。
・最後は「探書陸 未完」である。これは高遠と主が武蔵晴明神社の神主の家に書を引き取りに行く話である。その最後にかうある。「武蔵晴明社の宮司中善寺輔の一人息子はそれから二十年の後に父と袂を分かち、洗礼を受けて耶蘇教の神父になったのだと風の便りに聞いた。」(535頁)この一文は直ちに中善寺秋彦を思ひ出させる。やはり古本屋である。「姑獲鳥の夏」以降で大活躍である。しかも武蔵晴明神社の宮司である。この輔の孫、いや曾孫であらうか。時の隔た りからすれば曾孫かもしれない。秋彦は恐山の祖父母に育てられたといふ。ならば違ふのか。あるいは曾孫だとすれば、祖父が輔の息子の曾祖父と袂を分かつて恐山に来たのか。さうしてその息子たる曾孫が戻つてきたのか。これらのことは全く記されてゐない。私が勝手に想像するだけである。この章は「未完」である。主が高遠にあなたの人生は未完だと諭してゐる(530頁)。ここは珍しく、客として店に来てゐない漱石が「猫」を書く動機の如き話で終はる。もちろん 本当��ことは「誰も知らない。」従つて、この「未完」は高遠の物語と、中善寺輔の物語もまた未完であることを示してゐるのではないか。最近、単行本で続編が出たらしい。かういふのが入つてゐるのであらうか。その確認は文庫版が出るまで気長に待たう。そんな徒然を慰めてくれさうな古本屋の弔堂が現実にあつた らと思ふ。三階までの棚が和本で占められてゐる壮観を思ふ。
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久々の京極作品。
あぁ、これは面白い。京極節が炸裂している。
江戸の匂いが残る明治で弔堂と言う名の、今で言う古本屋での話。
話の中で有名人登場させ、その有名人のエピソードがまた面白い。
本は読まれなければ死んだと同じと言う弔堂の主人。
成る程、確かにそうだ。
この本を読んで私は再読しないであろう本たち400冊を売ることを決めました。
読書とは本当に底無しだと思う。
面白い作品に出会えば、もっと面白いものがあるだろうと更に読んでしまうし、
余り面白く感じない作品ですら、次こそは!と読んでしまう。
私は自分の人生の一冊となる本に出会える事が出来るでしょうか。
本書は、本がもっと好きになってしまう、そんな一冊だと思います。
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(今風に言えば)「京極堂ロス」な今、それを埋めてくれるような、しかも大好きな本にまつわる話で、と私得なシリーズ第一作。京極堂ほど蘊蓄が語られるわけでもなく、百器ほど軽くもない。でも一人と一冊の本のマッチングが見事。実在の人物の偉業にこれほど影響を与えるなんて、しかも実際にあった出来事であるかのような美しいな流れ。最後の章は京極堂ファンへの贈り物のようなものですね(もう10年以上新作が出てないのか)。「神社」と出てきただけで(わぁ!)となってしまったよ。店主も小僧のしずるも不思議で魅力的。店主は少し出家時代の話が出てきたけどしずるは全く触れられず。今後この二人にまつわる物語もあるんだろうか。店主と顧客を引き合わせる高遠は高等遊民だな。江戸の雰囲気を残しつつ変わっている明治時代の東京の空気感がよかった。
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だいぶ忘れての読み返し。
高遠さんは、どうなったんだろう、どこかでリンクはないのかな。
てゆーか、トリストラムシャンディかよ。たまたま最近読んだのですが、それ勧められちゃったのかよ。ま、人生色々曲がりくねって無駄そうでも、自分の好きなことに注いでいれば良いのですよね。
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やたらと感の鈍い人たちが話をして、むだに文章が長くなっている。他の人が書いたら1ページくらいですむところを、5ページは使っているだろうか。読んでてイライラする。
殺人事件は起こらない。よって犯人はでてこない。推理小説ではない。
歴史上の人物に本を薦める。
登場人物は知らないわ、薦める本のこともわからないわで、「ほう、そうくるか」とは思わない。
知っている登場人物でも、その本はいらないでしょって思ってしまう。
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530頁超なのですから、普通なら「厚っ!」と言いたくなるところ、京極さんならば「わりと薄いやん」と思ってしまう不思議(笑)。
明治20年代半ば、三浦しをんの『月魚』をさらに趣深くしたような古書店“書楼弔堂”。近所に越してきた男・高遠の目を通して、弔堂の主人と客とのやりとりが描かれます。知らずに読むほうが楽しいのでここに書くのは控えますが、客として登場するのは歴史上の有名な絵師や作家などなど。客の話に耳を傾ける主人が「この人のための1冊」を選び取るまで。
原田マハの『暗幕のゲルニカ』のごとく、史実を基にこんな物語を編み出すとは。静謐さの中にもユーモアがあってしばしばニヤリ。日本語の良さを目一杯感じさせてくれます。
世の中に無駄なものは無し。無駄にする者がいるのだというだけ。無駄にするかどうかはその人次第。
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久しぶりの京極夏彦。
やっぱかっこいい。人物の描き方がかっこいい。
弔堂がどんな人かわからないけど、絶対かっこいい。
そして、どうやってこんな話を作り上げるんだろうかと京極夏彦の頭の中を知りたくなる。
すごい。
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明治二十年代、書楼弔堂に訪れた人が本を買っていく物語
登場人物は実在した後の偉人や、京極の他作品と関係のある人、架空の人物等様々
シリーズ1作目
コネで煙草製造販売業に就くも、風邪を結核と怪しんで休職して別居に移り住んだ男 高遠
元幕臣の嫡男であるものの、元服後は御一新があったために武士としての矜持もない
父親の遺産があるため、食いつなぐ分には普通に生活できる
風邪が治った後もダラダラと別居を続け、近所を散策していたときに書楼弔堂に邂逅する
「世界で一冊しかない自分だけの本」を求める店主が、いつの間にか集まった書籍を弔うために本を売っているという
そんな弔堂に訪れる人々の悩み
店主はそんなお客にどんな本を勧めるのか?
主な登場人物は高遠と他二人ぐらい
元僧侶である弔堂の主人
弔堂の丁稚 撓(しほる)は見た目は美童だが口が達者
他は店に訪れるお客
「後巷説百物語」の「風の神」からおよそ十五年後という舞台設定で
最後まで読めば、あのシリーズとの繋がりも……
史実を踏まえて虚構を愉しむ物語ではあるけれども
どこまでが史実なのか、歴史に詳しくない私にとっては判別が難しい
読み終わった後に調べてみて、そんなエピソードや後に判明した齟齬など、実際に存在する事を知る
・臨終
月岡芳年
最後の浮世絵師といわれる人物
主に残虐怪奇な無残絵が有名らしい
シリーズ開始初っ端に産女を出してくるあたりが京極なりのファンサービスかな
・発心
泉鏡花
デビュー当時の筆名が畠芋之助というのは本当のようだ
ただ、なぜそんな名前にしたのかは不明
本名からして耽美を感じるのに、何故にそんな芋っぽい名前にしたのかという不思議
・方便
井上円了
京極ファンからしたらこの人の名前はよく聞く
本人としては、怪力乱神を否定するために様々な怪異情報を収集していたけど、その網羅性と分類の適切さにより妖怪学の始祖とされている
となると、画図百鬼夜行がその本というのも納得
由良の関係者が登場するのも京極ファンとして嬉しい
巷説百物語シリーズ「風の神」、百鬼夜行シリーズ「陰摩羅鬼の瑕」を繋ぐシリーズだというのがよくわかる
・贖罪
ジョン万次郎
中濱といわれてもピンとこないけど、その来歴の違和感から想像すると該当者はそうなりますよね
そしてメインは岡田以蔵
岡田以蔵は明治になる前に処刑されたはずだけど
ジョン万次郎の護衛をしていたという記述も残っているという矛盾が基になっている
井上円了のときにも出てきた勝海舟の図らいと人となり
生きている人優先という考え
岡田以蔵は「生きている」人ですからねぇ
・闕如
巌谷小波
少年少女向けの「こがね丸」を発表した事で、児童文学の先駆者とされているようだけど、浅学の身のため聞き覚えがない
実は今で言うオタク的な収集癖があったともされるようだ
確かに、自分の好きな書籍のこだわりや執着の仕方が現代のオタクに通じるものがある
・未完
中禅寺輔
これまで実在の人物を出してきて、ここにきて百鬼夜行シリーズの中禅寺の祖父を出してくるとは
流石は京極先生、やってくれる!
物語としては、相変わらず暇な日々を過していた高遠が撓に頼まれて本の買い取りを手伝うことになる
その買い取り先が中野にある神社で、宮司をしているのは中禅寺輔だった
中禅寺輔は中禅寺秋彦の祖父なのですね
輔は父である洲斎が亡くなり、神社を嗣ぐため、妻と生まれたばかりの息子を残して一人実家に戻る
今は神社を継ぐために神職の勉強や修行をしているところ
買い取って欲しいという大量の本は洲斎が懇意にしていた戯作者菅丘李山の遺族から譲り受けたもの
菅丘李山は「巷説百物語」主人公の山岡百介の筆名
輔は神職を嗣ぐ決意をしたものの、陰陽師の在り方には否定的
所詮ペテン師の類いなのではないかという疑問
「迷信、まやかしは不要で滑稽なもの」と思っている
まぁ、この疑問に対しては今作でも随所で語られている言葉や百鬼夜行シリーズで京極堂が語る言葉が答えなのではなかろうか
「言葉は普く呪文。文字が記された紙は呪符。凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた、呪物でございます」
「書き記してあるいんふぉるめーしょんにだけ価値があると思うなら、本など要りはしないのです。何方か詳しくご存じの方に話を聞けば、それで済んでしまう話でございましょう。墓は石塊、その下にあるのは骨片。そんなものに意味も価値もございますまい。石塊や骨片に価値を見出すのは、墓に参る人なのでございます。本も同じです。本は内容に価値があるのではなく、読むと云う行いに因って、読む人の中に何かが立ち上がる――そちらの方に価値があるのでございます」
「心は、現世にはない。ないからと云って、心がない訳ではない。心はございます。“ない”けれど、“ある”のです」「“ない”ものを“ある”としなければ、私共は立ち行きません」
京極堂の憑き物落としにしても、実際はどうあれ、本人がそう思っているものというのが重要なんだよなぁ
思い込みにより、「ない」ものを「ある」ものとしながら、「ある」ものを「ない」とする事もできる
何とも哲学的ですなぁ
あと、この物語の一番大事なところは、人それぞれ人生の一冊に出会うまで探し続けるというところでしょうか
「本当に大切な本は、現世の一生を生きるのと同じ程の別の生を与えてくれるのでございますよ。ですから、その大切な本に巡り合うまで、人は探し続けるのです」
私もそこそこな冊数を読んできているけれども、果たして人生の一冊に出会っているのだろうか?
名刺代わりの10冊に挙げる事ができる作品はいくつかあるけど、その1冊あれば十分という本にはまだ出会えていない
というか、今後も出会える気がしないんだがなぁ……
もう、書楼弔堂に行くしかないっすねw
それにしても、巷説百物語シリーズと百鬼夜行シリーズを繋ぐ重要なシリーズとは最初に読んだときは驚いたなぁ
さらに、出版社が「どすこい」「南極(人)」を出している集英社というねギャップがありすぎでしょw
それにしても中禅寺秋彦は祖父に育てられたんだっけ?
で、敦子さんは奥さんの実家という、兄妹で別々の家で育てられたという
この辺の事情は明らかになってないんだけど、今後ちゃんと明かされるときが来るんだろうか?
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明治の偉人が絡み、本で(弔堂の説教で)その人を救う。他のシリーズで得られたほどのカタルシスはないが、これはこれで良し。陸-未完ではあの人の祖父?も登場。ついでに参-方便では後巷説の登場人物も。
「どのようなご本をご所望ですか」 「いけないと思うたら逃げるが良しと存じます」 「生きていると云うことは、ずっと未完ということ」
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ぷらんぷらんしている主人公が見つけた一軒の古本屋弔堂。不思議な店主が営む店では、自分が読んだものを弔い、そして本当に必要としているひとに届けるために開けている。将来の有名人が様々な悩みを抱えて店に訪れます。誰だろうかと予想しながら読むのも楽しいですし、言いくるめる(?)店主のお悩み解決も読み応えがあります。主人公がこの先どうしたのかが気になるところですが、幸せになってもらいたいです。
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自分にとって本当に必要な本は生涯に一冊しかない、とのこと。早くに見つけてしまったら、探す楽しみが無くなってしまう。
一体いつ出会えたらいいのか。悩ましい。
その一冊に出会ったとき、私は「これだ!」と気付けるのだろうか???
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大変楽しめました。
京極夏彦さんの新しいシリーズですが、生き方に悩む歴史上の人物や文豪などが弔堂という古本屋を訪れます。
文豪や歴史上の人物たちが悩んでいるのを読んでいて
ああ、大層なお方も悩むんだなあ
と、悩みは誰にでもありますよ、と背中をふと撫でて貰ったような感じがします。
大切な一冊はあるほうがいい。
今で言うバイブルというやつです。
まだ見つけられないから、読む。沢山読む。
私も見つけられてないのかなあ?と考えさせられました。
とにかく、このちょっとしたモヤモヤとホッとした気持ちを引きずって、炎昼を読みます。
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ようやく読めました。何回か挫折。短篇で良かった。今となっては京極堂のあの厚みは読めないかもしれない。年を取ったと思います。京極さんらしくて語り口、久々に良いです。登場人物が実在の人なので、その方のファンの方はもしかすると嫌かもしれない。
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書物というものの存在意義を縦糸に,歴史上の人物達の思想を横糸に,書物を触媒に弔堂によって6篇が紡がれる.相も変わらず,現と幻との境界が曖昧模糊とした雰囲気を堪能できる.
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偉人が先へ進むための本を差し出す弔堂店主。
本を成仏させるためという発想が面白いし、この人は後の誰なんだろうと考えるのも楽しい。
中禅寺が出てきたのには驚いた。当時5歳の息子は秋彦さんだよね?