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そうなんだよねえ、すんなりした文章のようでいなかがら、なんだか引っかかるのは、後書きで堀江敏幸が言うように、「ふたつの地層がぶつかりあって」「時間の小さな揺れが生じる」からなんだろうな。時制が内包されたような不思議な引っかかり。
人がさらりと死に、さらりと去っていく。
なんだか鳥がたくさん出てくるな。
「四十雀」もよいし、最後の「花束」の締めたあとの静謐が重い。
こういう文章を書ける人は、今の作家さんには見当たらないと思う。
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あっけらかんとして、次々と人が消えていく。
こんな小説があったのだ。
「みんなみんないなくなった」
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一人称の出てこない徹底した主観ながら、目線の優しさから偏った思考や不快感を催さないという、不思議な文章。落ち着いた読書を楽しみたい時には、どうも小沼丹か野呂邦暢を選んでしまいます。
『木菟燈籠』それそのものが墓標のように、誰かから風の噂の様に流れてきて知る知人の死について描かれる作品が殆どですが、其処には悲惨さが無く、心の何処かにひんやりとした秋口の風が吹くような、そんなちょっとした寂しさが、優しく軽妙な筆致で綴られています。小説とも随筆とも思える曖昧さも居心地の良さかもしれません。
上質な時間を楽しめる1冊でした。
あっ、大寺さんもでてくるよ!