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白洲次郎の家庭内での姿が見えるのが面白い。
韋駄天と呼ばれるだけあって、全く家庭に収まらない正子さんの生き方にも惹かれるものがあります。
自分もこういう生き方したいですね。
#読書 #読書記録 #読書倶楽部
#ほんもの
#白洲正子
#白洲次郎
#2017年16冊目
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よかったな。久々にエッセイ読む。
いろんな昭和の文化人が出てきてよかった、銀座を味わったような、実際に会う以上に実感がわくような感覚。
出てくる人の本を読んだりしてもそこに期待してるものがないかもしれなくて、こういう本って、その人の視点や慕っている気持ちそのものがすごく読ませるから、もちろんすごい人たちのすごさはあるにしても、今もこうやって白洲正子さんがピカピカの新本で本屋さんに置いてあって読まれているというのが結局すごい。
でもなんていうか敗戦とか日本とか、そのアイデンティティを守ろうとした人たちの思いっていうのがあふれてて、正子さんも見聞きした人たちからそれこそ実になるくらい食い尽くしたんだろうなと思う。
人の見方がとても良くて、どれも細やかな愛情に満ちあふれてて、スパッとハラを割ってるようで、でもぜったいに誤解されないように、慎重に慎重に何色にも重ねて話してくれるのがすごくいい。健坊のところなんてまさにそれが出でてよかった。けっして持ち上げることはしない。見たまま思ったままに、その時の世間の空気もぜんぶ含めて描いてくれる。だから公平ではっきりする。すごく見えやすい。ちゃんと正子さんの見方がわかるようにぜんぶ書いてくれるから。
おもしろくない文というのはその見方を分かってもらおうとする努力をすっぱ抜いて、どうカッコつけたらいいか、どう言ったら評価されるかばっかり考えてるのかな。正子さんはその点、好きな人たちのことを好きだって書いてるだけでどんな評価も求めてないから潔い。そしてその点が評価されてるのかもしれない。
無駄に持ち上げることは何の評価もしないことと同じくらい愛がないのかもしれない、正子さんの文章には愛があふれてる。こんな人たちがいてよかった。いまはこんな文化が花ひらくことなんてほんとに稀有だろうし、まがいものみたいな場所もきっとコロナでなくなってるんだろうな。
この人たちが生きていた本の文化、(それだけじゃなくて骨董とか、古典とか、能とか)役割も、もう生きた場所にはないのかもしれない。私も動画をよく見るようになって、本という媒体を見ることにたまに目がびっくりするときがある。読みはじめると入り込めるんだけど。
だからこんないい本を残してくれて本当にありがとうございます。私もいつか孔雀になって来てくれるようなパートナーが欲しい。そういえば、旦那さんが亡くなったあとに墓のデザインを考え始めたら楽しくなってきた、っていうところにもすごく笑った。教養としてもエンタメとしても本当におもしろく読める本。
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小林秀雄、青山次郎などとの交流がエッセイの前半。
面白かったのは、吉田健一のこと。酷く運動神経が悪く、不器用だったこと、大食漢だったこと、お喋りだったこと、。知っていることもあるけれど、違う方向から光が当てられたように感じる。
文士たちの霊媒のようなった銀座の女性への追悼。う~ん、なんというか昭和だなと思う。実際そういう女性は居たんだろうけれど、何とも言えない違和感がある。
終盤は白洲次郎のこと。なれそめや家庭でのふたりについて。武相荘は何度か足を運んでいる。白洲次郎・正子の家ならもっと大きな家を想像していたんだが、疎開をきっかけで選んだ農家はこじんまりしていた。でも、大工仕事と農作業と車が好きだった次郎さんと骨董と着物と文筆に精を出す正子さんの住まいは、何とも言えない落ち着きがある。
このエッセイに現れる次郎さんは半分英国人。奥様の正子さんから見ると弱虫で正子さんの出産や病気ではただオロオロしていたという。
意外だったのは、小林秀雄や今日出夫とも親しく吞んでいたということ。なんと正子さん抜きで。朝帰りする正子さんを農作業中の次郎さんが迎えるシーンもあるが、次郎さんは文句を云わなかったとのこと。あとがきでは娘さんには愚痴をこぼしていたそうだが。
次郎さんは小林秀雄の本はおろか正子さんの本も読まなかったそうである。同じ家で暮らしながら別々の生活を送っていたという。
武相荘には趣味趣向は違うけれど、テイストは一致していたという解説があった。物凄い割れ鍋に綴じ蓋だと思う。