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図書館で借りて読んだけど、購入して線引きながら、何度も読みたい。こういう教育をどの小学校でもやって欲しい。
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『演劇入門』の核心から変わりはないが、より政策的、教育的に。鷲田先生人脈だったんですね。
使えるヒント数多あり。
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今まで「コミュニケーション能力が足りない」という人に、なんだか釈然としないものを感じていたんだけれども、これを読んでそれがすっきりした。
「コミュニケーションって何かはっきりしてない」と。
足りないといってるのに、何が足りないのか言語化できない。
それはつまり「コミュニケーション能力が足りない」と言っている人自体のコミュニケーション能力が足りていないんじゃなかろうか……というね。なんと言うわかりやすい皮肉だろうか。
演劇という手段を通して、そもそも「普通」に見えるコミュニケーションがどうやって図られているのかを顕在化させる手法は、さすがとしか言いようが無い。
虚構をいかにリアリティを持って見せるか、と考えるうちに、現実のコミュニケーションについて語るのだから、一周回っていて興味深いです。はい。
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現代の日本人が抱える、コミュニケーション能力という言葉にかくされたダブルバインド。それに苦しめられているのは自分も例外ではないなと感じた。
社交性や説明すること、それに対して虚しさを感じる心があるという考えは面白かった。
別に日本人特有の良さ、ハイコンテクストな部分を否定せずに、それでも国際社会に生き残るためにはしかたないじゃん、気楽に考えよう。そういった語り口が好印象だった。
もう少し、社交性を身につけようと感じた。笑
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平田オリザさんについては戯曲家くらいの知識しかなかったが、書店で平積みにされていて、なんとなく手に取り購入した。平田さんが大阪大学の大学院の教員もしているのをはじめて知った。
出だしは「コミュニケーション問題の顕在化」に向き合うために書かれている。コミュニケーション能力のダブルバインド、コミュニケーション教育、対話と会話、冗長率、日本人のコミュニケーションが少数派である認識、コミュニケーション教育と人格教育との差異、文化的背景が異なるコンテクスト(伝えたいこと)の違いなどが続き、第七章で大阪大学での仕事、コミュニケーションデザインについて述べている。シンパシー(同情、同一性)から、わかりあえる部分を探っていくエンパシー(共感、共有性)へという話には同意できたが、内容が全体的に散漫に感じた。
大阪大学では良き医療者の育成のために、コミュニケーション教育を重視しているそうで、医学教育もかなり変化してきていることを実感した。
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劇作家としての平田オリザについてはなにもしらなかった。
世間や学校での「コミュニケーション教育」に懐疑的で、
ちょっと敬遠したい内容かなとおもいながら手にとったが、
実際は著者がコミュニケーション教育に現に携わるなかで
感じている違和感を中心にまとめられた内容で、
共感できる考え、自分の仕事に活用できそうなアイデアなどがあり、
国語や日本語教育におけるコミュニケーション能力の扱い、
日本の現代演劇のおかしなところ、「会話」と「対話」の違い、
コミュニケーションデザインという視点、協調性から社交性へ、など
具体的な例をひもときながら全編おもしろく読了。
谷川俊太郎が帯によせた短評があたっている。
「これは掛値なしに「おもしろくてためになる」本です。
私も初心に戻って日本語を考えなおしました。」
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企業が求めるコミュニケーション能力はダブルバインド
2つの矛盾したコマンドが強制されている
「我社は、社員の自主性を重んじる」「何か相談すると、そんなことも自分で判断できないのか、いちいち相談に来るな」と言われながら、事故が起こると、重要な案件はなんでもきちんと上司に報告しろ。なんで相談しなかったんだとおこられる
日本企業で求められているもう一つの能力は、上司の意見を察して機敏に行動する、会議の空気を読んで反対意見はいわない、輪を見出さないといった従来型のコミュニケーション能力
日本社会は、社会全体が異文化理解能力と、日本型の同調圧力のダブルバインドになっている
会話 conversation 価値観や生活習慣なども親しい者同士のおしゃべり
対話 dialogue あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換 あるいは親しい人同士でも価値観が異なる時に起こるそのすりあわせ
異なる価値観を見出した時に、物怖じせずに、卑屈にも尊大にもならずに、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと
日本語の近代化 英語やフランス語が150年かかったことを30年でやり遂げた 対話の言葉が作られなかった
日本語には対等な立場で褒める言葉が少ない
日本語は対話の言葉を確立していない
敬語 日本語の根幹をなす大きな特徴 グローバルな社会で国際水準の仕事をしていくには、その文化さえも捨てなくてはならない、すてないと勝ち進めない局面がすくなからずでる
コミュニケーション能力の高い看護婦 胸がいたいんですといわれたら、オウム返しに、胸がいたいんですねと返す 患者が安心する 忙しそうにしているが、わたしはあなたに集中しているとシグナルをだしている
科学はhowやwhatについては答えられるが、whyについては応えられない
これからの時代に必要なもう一つのリーダーシップは弱者のコンテクストを理解する能力 社会的弱者は理路整然と気持ちを伝えることができない
エンパシー 分かり合えないことを前提に、分かり合える部分を探っていくいとなみ
もはや我々はものだけでは幸せになれない世界に住んでいる
バラバラ人間が、価値観がバラバラなままで、どうかしてうまくやっていく能力が求められている
協調性から、社交性へ
こころからわかりあえない
みんなちがって大変だ
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コミュニケーション能力
という、得体の知れない言葉。
先生も、親も、政治家も、サラリーマンも、就活生も、劇団員も、ロボットも、バベルの塔を崩した神様も、みんな読むべき、今年の必読書!
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巷間声高に叫ばれるコミュニケーションの問題、その本質を探る
という趣旨の本は数多ありますが、これは面白かった。
「心からわかりあえないんだよ、すぐには」
「心からわかりあえないんだよ、初めからは」
わかりあえないその先を考えて、変えてみよう。
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http://kumamoto-pharmacist.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-f1b8.html
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「これからの時代に必要なもう一つのリーダーシップは、こういった弱者のコンテクストを理解する能力だろうと考えている。」
(第七章 p.183より)
なるほど。
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コミュニケーション教育は国語教育なのだろうか。
喋らないこともコミュニケーション。
どうして企業がコミュニケーションを求めるのか。それは相手が何を考えているかわからないと不安だから。
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コミュニケション能力の定義と、それを高めるにはどうすればいいか、なにを教えれば良いか が分かりやすく書いてある
日本語について 言葉についてもいろいろ発見がある
適切に冗長であること
理論的にしゃべれない人は弱者なので
リーダーはそのコンテクストを理解する必要がある など
なるほど と思うと同時に
同意する事に怖さを感じる...過激さがある
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これはいい本。いままで少なからず思っていたことや、新たな考えを垣間みた。
この作者の文は凄く読みやすかったので、他の本も読んでみたい
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コンテクストの分散化が進む現代社会において他者とは本質的に分かり合うことはできない。
それを前提にいかに他者と「対話」をしていくのか。
すなわち、他者が置かれているコンテクストを理解し、その場や相手に応じた言葉遣い、コミュニケーション方法を選択すること。また、論理で理解することが出来ない人の意見をいかにして汲み取るのか。
そのような「社交的な」スキルを身につけなくてはならない。