紙の本
なかなかない着眼点の短編集
2017/08/24 12:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よしけん - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の周りにいたら、ちょっと対処に困ってしまう。そんな女性を正面から捉えた、なかなか稀有な短編集です。読んでいるうちに、なんだか本当にいたたまれない気持ちにさせられることが多く、読み終わるのに大きなエネルギーを要しました。自分の性格によるものなので、一般的に読んだ皆さんが同じような感想を持つとも思いません。その点において、controvercyな主題を取り上げた作品と言えるでしょう。
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太宰治賞、三島由紀夫賞受賞作。
妙に引っかかるというか、一見すると平凡な短編のようでありながら、何処かずれていてそれが気になってしょうがない……という、なかなか無い読書体験。
ユーモラスでありながらシニカルなブラックジョークにも感じられる作風はユニークで、一筋縄では行かないと思わせる。この著者の本は次も読んでみたい。
解説は町田康。この解説も、如何にも町田康らしい書きぶりで面白い。他に穂村弘の書評を収録。
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とても暖かくて冷酷な話。
あみ子、兄、母、父。
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映画鑑賞後の、2023年3月に記述。
2014年6月にちくま文庫で初めて読んだときは、
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とても暖かくて冷酷な話。
あみ子、兄、母、父。
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とメモしただけだった。
感想をまとめることができなかったのだと思う。
それくらい初めての読書経験だったのだ。
映画を見て、収録作3作を読み返してみた。
「あひる」「星の子」「むらさきのスカートの女」「父と私の桜尾通り商店街」を読んだ後だからこそ、ようや理解が深まったとも言える。
また前回読んだときはピンとこなかった、穂村弘、町田康による解説文も、明文だと感じた。
何だったかのあとがきで今村夏子が、「苦しみながら書いている」と書いていて、ほっとした。
「こちらあみ子」 少女
「ピクニック」 中年の女性(と同僚たち)
「チズさん」 年配の女性(と中年の女性)
考えてみればこの3作で、決して多くはない言葉数で、少女から年輩まで幅広い女性を網羅しているのだ。
相米慎二監督「お引越し」で、ひとつの作品内にあらゆる年代の人物を配置することの意義を感じたものだが、この本でもそれを思い出した。
詳細は知らないが、そりゃこんな作品集を出したら、次作に悩むわ。
むしろ「あひる」以降今村夏子が書き続けてくれていること、そして今村夏子を作家として成り立たせ続けている文芸業界、読者が、現在の日本にあるということが、奇蹟的なのだと思う。
カバーイラストは小川洋子「人質の朗読会」と同じ、彫刻家・土屋仁応の作品。麒麟らしい。
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【収録作品】
「こちらあみ子」:あみ子は、少し風変わりな女の子。純粋なあみ子の行動は、周囲の人々を否応なしに変えていく。太宰治賞・三島由紀夫賞受賞のデビュー作。
「ピクニック」:ルミたちが働く店に、年長の新人・七瀬さんが加わった。お笑いタレントとの恋を語る彼女の生活は、思いもよらない方へ転がって……。
「チズさん」:近所に住むおばあさんのチズさん。まっすぐに歩けない。傘もさせない。唯一話せることばは、孫の名前だけ。
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家族もクラスメイトもみんな良い人で、誰も悪気なんてないのに、うまくいかなくてボロボロになって、崩壊していく。つらい。
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文庫になれば読もうと思っていた。とりあえず表題作を読んだ。「面白い」という言葉が妥当ではないのだろうなという印象を受けるがゆえに面白いと感じた。これは様々な読みを可能とする。というかいろんな気持ちを抱かせる。所詮フィクションだなどと割り切れない思慮の時間を与える。凄い。
あみ子は「ちょっと変」な女の子である。周囲の人間はあみ子を「ちょっと変」だと感じることでそのすべてを許容してやれない。そもそも全ての許容など誰にも与えられたものではないが、その与えられた範囲があみ子の場合、他の人間たちと比べて狭くなっている。読者はあみ子に対して「可哀そう」だとか「切ない」などといった感情を少なからず抱くと思う。しかしそんなものであみ子を救ってやることはできない。仮にあみ子と同じ時代を同じ場所で生きたとして我々はあみ子を対等に許容してやれただろうか?できるはずもない。互いが互いの行動を監視しあい、その中で生まれるマイノリティーに対して非情なまでに冷徹な社会。特に経験の未熟な思春期においてはなおのことである。そんな中であみ子を受け入れることは茨の上を歩くことであり、誰からも、ともすればあみ子本人からさえ讃えられることなく徒労に終わる行為かもしれないのだ。人はしがらみや世間体の前に無力であり、罪悪感を覚えつつも「ちょっと変」を切り捨てる。利己的に生まれ得る罪悪感から許しを得ているのは自分自身だけである。
解説で町田康がこの作品は人に何かを与えるために書かれたのではないと言っている。そりゃそうだ。これを読んでも人間の持つ悲しい歪みを知っただけで何かの答えが見つかったわけではないのは上でも述べたとおりである。それでも僕達があみ子から何かをもらえるとすれば、どうするでなく、どうしようもなくともそれに「気付く」ことではないだろうか。
冒頭で描かれる現在のあみ子はそれなりに自分として楽しくやっているように見える。僕にはそんなあみ子に逆にちょっぴり救われることしかできなかった。
“次第に空気が冷えてきて、母が鞄の中から毛糸のセーターを取りだして着せてくれた。もう少し遊んでいたくて、「四つ葉のクローバー見つけるまで」と約束し、二人で芝生に座って雑草をつまんだりしながら、おしゃべりを続けた。”(46ページ)
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文庫化されたので再読。人間の残酷さをここまでさりげなくそれでいて身も蓋もなく描いた小説は近年なかったのでは。新作の小品「チズさん」はちょっとほっとさせてくれる。
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あみ子のことは好きだけど、この小説からは何も感じない。周りの人達も結局何も変わってない。せめてハッピーエンドにしてほしかった。あみ子が何もわかっていない分、虚しさが増す。
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あみこは4人家族で、父と後妻と先妻の子供である兄と暮らしている。
あみこは一般的なルールを守るという概念が欠落していて、他者の感情を推察することができない。しかしあみ子は無邪気に他者を喜ばせたりしたいと思う気持ちは持っている。母の開く書道教室で見初めた少年ノリくんにつきまとい、一方的に自分の話をしたり自分の食べかけのクッキーを善意からプレゼントするが、それはノリくんに受け入れられない。母が死産し、失意からなんとか回復した母にあろうことか水子の墓をプレゼントだといって快気祝いに贈ってしまう。それを機に兄は不良となり母は精神を病んで寝たきりとなってしまう。ノリ君にいつぞや渡したクッキーがあみ子が唾液でなめまわしたものだったことが発覚し中学校の保健室で前歯を失うほど殴られる。あみ子は祖母の元へ預けられることとなり小さな子供を友として平穏な暮らしをすることとなるのだった。
アウトサイダーの物語だった。でも、わたしにもあみ子のような部分があるから、切ない。他者や世界は少しずつ異質なものだからこそ、一歩引いて相手を斟酌するものなのだと思う。あみ子の在り方は恐ろしく素直でストレートすぎて容赦がない。
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―――なんか、自由の象徴じゃのう。―――
「こちらあみ子」(「あたらしい娘」より改題)で第26回太宰治賞。
「ピクニック」を収録した単行本で第24回三島由紀夫賞受賞。
さらに書きおろしの「チズさん」収録で待望の文庫化。
今村夏子という作者が世に出している作品のすべてがこの文庫を買えば読めてしまう。
「こちらあみ子」はハードカバーの単行本が発売された頃から読むべき一冊だと目をつけていた。
なにかの賞をとったらしい、という印象しかなく、内容も知らないまま読んだ。
ヒリヒリした。
すごいひとが出てきている、とおもった。
文章は読みやすく、世界観に入りやすく、でも本質的なところがわからない。
登場人物の思考がわからないなんて、ほんとうはアタリマエのことだ。
アタリマエのことなのに、怯んだ。
あみ子はこちら側が、あーそれをやったらこうなってしまうよだからやってはいけないよと恐れることをどんどん実行してしまう。
ハナトルナの裏に書かせた文字も、小麦色のクッキーも。とにかくヒリヒリするのだ。
なにより、あみ子がわかっているのかいないのかわからないところにヒリヒリするのだ。
「ピクニック」は集団心理の怖ろしさのようなものを淡々と綴っている。有名芸人の彼女である七瀬さんと、同じ職場のルミたち。生意気な新人。
集団の、暇つぶしのような話だなあとぼんやり思ってゾッとした。
「チズさん」も、これまた。
主人公が何者なのか、理解するのに時間がかかる。
今村夏子の、触れたはずなのに、砂のようにサラサラと風に飛ばされてなにもなくなってしまうこの掴みどころのなさ、そのくせ、わかりたい、なにが書かれているのか知りたい、という興味心を動かす魅力は、高野文子のそれに似ている。
好きな作家だとおもう。
作品数は期待できそうにない。
でも、綿矢りさのように遅れてやってくることもあるかもしれない。
のんびり待っている。
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『こちらあみ子』
多数派の中に生きる異物を、異物の視点から描いている物語である。
あみ子が小学1年生から中学を卒業するまでの日々。
あみ子は重度ではないが知的障害、多動などがある女の子。感情をコントロールできず衝動的で、社会性はなく人の気持ちを考えられない。
幼いころは風変わりで済まされていたが、他の子供たちが社会の中に馴染んでいく中であみ子だけが取り残される。周囲はあみ子に振り回され、疎み、敬遠する。
あみ子はいじめを受けたりバカにされたりするがその意味を理解できない。
また、あみ子自身も多くの人に迷惑をかけ、傷つけるがそれが悪いことだと気づけない。
あみ子の母は書道教室を営んでいて、あみ子は教室にやってくる同じクラスののり君に恋をする。嫌われて疎まれても正面からぶつかって行く。
こののり君への恋心と、母が物語のキーである。
あみ子の母は子供を死産するが、それを発端とするあみ子の行為から母は心が壊れてしまった。
あみ子は自分の行動が及ぼす影響と結果を想像できない。母がどうしてそうなってしまったかわからず、事態はひたすら悪化して行く。
最初は独特のズレたテンポと発散するあみ子の言動についていけないのだが、
意図的に隠されていた母の事情がわかってからは一層深味が増す。
最初ぐだぐだに感じたあみ子の混沌が物語世界にどんな影響を与えるのか想像し、捉え方が変化する。
三人称で書かれているが、頭の回らないあみ子のレベルで物語は紡がれる。だが読者は世界を拡大して想像することができる。
書かれていない登場人物の心理変化、決定的な破滅を察し、あみ子に苛立ち、他の登場人物に同情する。
物語世界をつぶさに描く小説が、世にあるほとんど全てだけれど、これは書かれていない部分を読者が想像することで補完し完成される。高度な話だ。逆に読者の想像力に依存する部分もある。
あみ子は正常な世界において明らかな異物であるが、当然本人は自分と他者の差に気づかない。
あみ子は邪魔者扱いされボロボロになっていくのだが、そうなるにつれだんだんと不思議な愛しさを感じてしまう。
頭の弱い子だからしょうがない、我慢しよう、という諦念が、あみ子を排除し、正常な世界を運営するために必要なのだと判断する物語の中の人々に、そしてそれは当然だと思ってしまう私自身から守ってあげたくなる。
そういう心理になると、さらっと描写された内容のひとつひとつにあみ子と世界の壁を感じる。
最後は父もあみ子を諦めてしまうのが、それすらあみ子には理解できない。
世界を共有できない人と一緒に生きるのは難しいのだと残酷にも納得してしまうのだ。
朝日新聞に掲載されたほむほむの書評が収録されているが、それも秀逸。
あみ子は正常な世界で生きていくことは出来ないと感じながらも、世界の外側に行ける彼女に少し憧れてしまう感情。
『ピクニック』
あみ子とは逆に、異物ばかりで構成された世界に、正常な人間が”空気がよめない子”として登場している。
正��表題作がずば抜けているため他の2作が霞む。
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料理上手な母、いつも優しい父、登下校を一緒にしてくれる兄。大好きな男の子。
あみ子の純粋さゆえに振り回される周囲の人々、そしてあっけなく崩れていく日常。
切なくて、もどかしくて、誰かをぎゅっと抱きしめたくなる作品。
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多分障害(発達障害?)を持っているであろう、あみ子を中心としたお話。
あまりにさらっと描かれすぎていて、
それが小説というものなのだろうけれど、
読むのがちょっとしんどかったかな…。
どうしても現実と比較してしまうので。
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夏のこの蒸し暑い、どうしようもなく打ちひしがれてしまう季節に読むことができて良かった。読み終えて顔を上げ、ぼんやりと見つめた窓の先、私の目の前には小刻みに揺れる影は見えなかったけれど。
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不思議な吸引力を持つあみ子のあまりにも純粋無垢な日常を描く表題作が味わい深い。風俗店で働きながら夢見るような恋愛に身を焦がす女性が主人公の「ピクニック」は、彼女を巡って繰り広げられる同僚たちのざわつきが女子会的な賑やかさで楽しい。
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打ちのめされたような気分。
正しい顔して座ってた子どもの頃の自分も、今の自分がもってるやさしさも、全部並べて違うと言いたい。全然違う、そういうことじゃない。いちからやり直しだ。
ちゃんと寄り添える人間でありたい。